前回の記事の続き。このところも松竹信幸氏や紙屋高雪(神谷貴行)氏の除名騒動があって、『日本共産党の研究』(1978年刊)の頃に似た空気が生まれているが、著者の立花隆氏はなぜそうなるのかの理由をあっけらかんと、ズバリ書いている。
反対派追い出しが象徴する党内言論の自由の圧殺に関して、共産党中央がその説明に必ず用いる詭弁は、
「彼らが追い出されたのは反対意見を述べたからではない。反対意見を述べる自由は党内で保障されている。彼らが除名されたのは、すべて反党行為、分派活動などの規律違反を犯したからだ」
というものである。この説明は、形式的にはいかにも正しい。そして、この形式的にはいかにも正しい説明が、スターリンの権力確立過程にもそっくりあてはまる。実権を握った官僚主義者が非従順な知性を追い出していく一般的な手法が、これなのである。官僚主義的な行政手段や手続きを駆使して、相手が屈服し非従順な知性たることを放棄するか、あるいはどうにも我慢ならず規律違反を犯すか、自ら脱党するかを選ぶように追いつめていくのである。こうして実権を握った官僚主義者は民主集中制下においては、必ず非従順な知性に対して勝利をおさめる。
官僚主義者はなぜ非従順な知性を嫌うのだろうか。非従順さが官僚主義に背反することもさることながら、その背後にあるのは、劣勢な知力の優勢な知力に対する嫉妬心である。もともと官僚主義は、劣勢な知力の持主の自己保身術として発生し発達したものである。もっぱら原則、規則、手続きの順守を主張するのに知性は必要ない。
単行本上巻、330-1頁
強調を附し、改行を一部追加
もちろん時代ゆえの制約もあり、立花氏はスターリン本人を「劣勢な知力」として描いているが、これは正しくない。冷酷なサイコパスだったスターリンは、裏面では第一級のインテリで、ブルガーコフ(作家)やショスタコービッチ(音楽家)についてはその芸術性を見抜き、お目こぼししていたとする評価が今日では多くなった。
とはいえ、そうしたボスに阿諛追従を連ねる官僚主義者――「スターリニスト」の描写としては、立花の記述はいまも正しい。で、読めばわかるとおり、同じ構図はソ連や日本の共産党だけではなくて、あらゆる組織や人間関係にあてはまる。
自宅に居たままフィールドワークするなら、SNSで学者を名乗る人々(いや、実際に大学教授だったりするんだけど)が繰り広げる「レスバ」がおすすめだ。そこでの言い分のほとんどは、
・なんで○○をフォローしているんだ。お前も○○陣営なのか。
・なんでこの発言に「いいね」したんだ。お前も同じ意見なのか。
・お前が引用する△△はウヨク(サヨク)のメディアだ。そんなものを信じているのか。
・お前が発言した□□という用語は敵側が作ったものだ。それを使っている時点でお前も敵だ。
・お前の主張に敵側の××が言及したぞ。つまりお前は××を有利にした裏切り者だ。
・お前は私をブロックしたな。つまり負けを認めて逃げたのと同じだ。
……の類である。立花氏が言うように、こうした「原則、規則、手続きの順守を主張するのに知性は必要ない」。つまり、毎日Twitter(X)に入り浸ってレスバ漬けの大学教員には劣勢な知力しかない、というかそもそも知性なんてないのである。
藁人形叩きだと言われないように、本note の読者にはおなじみの「あの人」の例を出して、令和日本の大学教員が用いるスターリニスト話法の一例を示しておこう。ここで非難されているのは私なのだが、ぜひ立花さんの指摘と見比べながら、熟読玩味してほしい。
彼らは処分を受けることなく、反省もしないのです。その呉座さんが浸ってしまったネットの「界隈」は、呉座さんが謝罪しても消え失せるわけではなく、むしろその一部が二次加害者となっていることは間違いないでしょう。
そして、ツイッターで一緒に誹謗中傷に耽っていなくても、事後的に二次加害する者もまた、あとから「界隈」に加わった者として、オープンレターによる批判の対象から除外するべきではないでしょう。端的に言えば、與那覇氏も「界隈」への新規参入者として「炎上」に燃料を投下し、そこから自著の宣伝などの利益を得ているというべきではないでしょうか。
(中 略)
二次加害が進行しており、それへの対応策が必要であったという前提が〔與那覇には〕欠けています。「ネットリンチ」はすでに、呉座さんの被害を受けた人がさらなる加害を受けるという形で起こっていた問題なのです。そして忘れてはならないのは、このオープンレター公表の一週間前に「與那覇1」を発表した與那覇氏もまた、「リンチ」に加わっていた一員といわざるを得ないということです。
嶋理人researchmap, 2021年11月23日
(強調は引用者)
だらだら書いてあるが(なんとこれでもごく一部なのである)、要は「お前にも反対意見を述べる自由はあるが、お前の意見は敵側の界隈を有利にした。お前が処分されるべきなのは、反対意見を述べたからではなく、敵の一員だからである」と言っているだけなことがよくわかる。
この人物が私に比べて劣勢な知力しかなく、もっぱら嫉妬心で行動していたことは、私に論破され尽くした後に本人が出した謝罪文(?)で、自ら認めている。たいていのことには動じない私も、最初に読んだ際には、さすがに呆れ果てた。
天才である與那覇氏にしてみれば、鈍才の私など対等に議論する存在ではなく、一顧だにせずに切り捨てて構わない存在として扱われているようにしか見えないのです。もとより與那覇氏の才能について何ら異存はありませんし、私が無能で怠惰な人間であることも承知はしています。
(中 略)
畢竟、「歴史感覚」を持つ自分は、「歴史にも学問にもなにひとつふさわしい素養を持たない」連中にまともに対応してやる必要はない、バカは黙ってろということなのでしょうか。私が鈍才なことは繰り返し述べているように認めていますし、本記事でお詫びしたように書いたものにも欠陥はいくつもあります。
同、2021年12月7日
「バカは黙ってろ」のみ
強調は原文ママ
この人が誰をスターリンだと思って、私の「粛清」を試みる挙に出たかはともあれ、敵に挑むも返り討ちに遭い、かえって味方の利益を損なったスターリニストの最期は哀れである。要は、使えないプロバカートル(意味は前回の記事を参照)だと見なされて、切られるわけですね。
劣勢な知力でも利用可能な「共産党話法」は、一見すると、今すぐ党派に入って確実に仲間を増やせる、誰にでも開かれたフォロワー獲得ツールに映る。しかし、それを振り回した帰結はもれなく惨めだというのが、20世紀のリアル共産党の末路が示す教訓だ。
なお、正しく本稿を読まれた方には自明と思うが、共産党話法にハマるのはサヨクとは限らない。「保守派で現実主義者の自分はそうならない」と自負しつつ、SNSのお友だちづきあいを優先するあまりに党派的な発言を繰り返し、スターリニストと大差なくなってしまう例は無数にある。
立花氏は同じ箇所で、自らも抹殺される未来を予見してブハーリンが述べた、コミンテルン第6回大会(1928年)での発言を引いている。最悪期のソビエト連邦にも似た光景が、21世紀の日本のSNSやマスメディアで繰り広げられることの意味を、私たちはいま、省みるときが来ている。
わが党においては、規律は最高の規準である。だが私は、レーニンが私とジノヴィエフに書いた未公開の書簡を引用したいと思う。かれはこう書いた――〈もし諸君があまり従順でないすべての知識人を追いだし、従順な大ばか者だけをのこすならば、諸君はかならずや党を滅ぼすであろう〉と。
単行本上巻、329頁
ボルケナウ『世界共産党史』からの重引
(ヘッダーは、みすず書房の本の表紙より。史実をもとに翻案した、逢坂剛さんの小説『クリヴィツキー症候群』がすごく好きでした)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年8月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。