USスチール買収にみる経営トップの国際感覚の低さ

大統領選という最悪のタイミング

日本製鉄による米鉄鋼大手USスチールの買収計画について、バイデン大統領が中止命令を出す方向だと、報じられています。すでにトランプ氏は「日本に買わせてはいけない。我々の製造業の遺産を取り戻す」と断言し、ハリス副大統領(民主党大統領候補)も「米国が所有し、米国が運用する企業であり続けるべきだ」と述べています。日鉄による買収計画の破綻は必至の流れです。

ハリス氏インスタグラムより

つくづく思うのは、日鉄が買収計画を発表したのは、大統領選が始まる直前の昨年12月で、なぜこのような最悪のタイミングで発表したのかです。大統領選に絡んで、直ちに政治問題化する。それくらいのことを経営のトップは分かっていなければならない。

期限内(25年6月まで)に交渉がまとまらなければ、880億円の違約金を取られる。2兆円を投じる計画が失敗すれば、株価にも大きな影響がでる。経営トップの責任は重く、失敗は辞任ものです。

次期大統領が決まって、冷静に議論ができる状況を待つ。並みの経営者でもそう判断する。日鉄の経営トップは、「最悪のタイミングでの発表」について説明しなければいけない。メディアもそこを追及しなければいけない。その気配はありません。

この買収計画は、経済、産業的な視点だけでは論じられない。「米国の安全保障を損なうのか」、「労働者の雇用に影響がでるのか」、「大統領選に巻き込まれたら高い買い物になる」、「日鉄がUSスチールを再建できるのか」、「USスチールは米国の製造業を代表する歴史的なシンボルで、国民感情が絡んでくる」など多くの論点がある。

大統領選を左右する鉄鋼、自動車産業の生産拠点が集まる「ラストベルト(さびついた工業地帯)」の一角、ピッツバーグには、USスチール本社、全米鉄鋼労組(USW)の本部がある。この州を大統領選でとれるかどうか。両陣営とも必死です。労働者票が絡んできます。

日鉄の買収計画は、案の定、鉄鋼組合を巻き込み、鉄鋼労働者票を取りたいトランプ、ハリス両氏を巻き込み、バイデン氏が決定的思われる決断をした。日経新聞社説は「日米鉄鋼再編を政治化するな」(3月16日)と見出しで、「政治が正当な理由もなく、民間企業の経営に介入してはならない」と、書きました。幼い主張で、政治化するのは必至の案件です。

日鉄経営トップは「しまった」と思ったら、違約金を払っても、早めに買収計画を中断するか、撤回し、大統領選後に出直す決断をすべきでした。「大統領選の終了を待って交渉を再開する」といえば、疑問に思う人は少ないでしょう。

「トランプ氏に近いポンペオ氏(トランプ政権下の国務長官)を多額の費用を払ってアドバイザーに雇った」、「1900億円の追加投資を決めた」、「取り締まりの過半数は米国籍とする」など、ずるずる譲歩案をだし、カネもだす。なんのための買収が分からなくなってきました。この「ずるずると譲歩案」が最もいけない。

純粋に経済、産業的に考えれば、日鉄の買収は単純に否定すべきではないのかもしれません。それにしても、論外のタイミングで買収交渉を公表(開始)したことは大失敗でした。私にとっては、日本を代表する鉄鋼メーカーのトップの判断能力の有無にショックを受けました。せめて米政府の裁定が出る前に、買収計画の撤回、中断を決断すべきです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。