「タダコロナ」のつけ払い請求書が、来月から国民に届きます。

週末にクリニックに行って、薬局に処方箋を渡した後、なんていうか「お喋り好き」っぽいおばあさんの薬剤師に名前を呼ばれた。ところが顧客との世間話にしては、妙に気まずそうである。

稀代の知性が傷つき、倒れ、起き上がるまで『知性は死なない 平成の鬱をこえて 増補版』與那覇潤 | 文春文庫
稀代の知性が傷つき、倒れ、起き上がるまで 気鋭の歴史学者を三十代半ばに重度のうつ病が襲う。回復の中、能力主義を超える社会のあり方を模索する。魂の闘病記にして同時代史。

そのはずで、要は10月から、ジェネリックの薬剤を選ばないと薬代が高くなる。概算だが、ひょっとすると倍になるだろうと言われた。そんな「不利益変更」をお得意さまに切り出すとなったら、言い澱まない方がおかしい。

「え、いきなり倍すか?」と聞き返すと、こんな感じの説明が続いて――

「ウチの薬局がしたいのじゃなくて、厚労省から『そうしろ!』と言う国の決まりなんです。あのぅほら、コロナの時、入院からワクチンからぜんぶタダにしましたでしょ? その分をどこかで埋めないといけないってことなんです。
お客さまだけじゃなくて、ここの自治体は乳幼児は医療費無料になっていて、さすがにそれだけは無料を続けようって最初は言ってたんですけど、結局ダメで乳幼児でも『ジェネリックを選ばない場合の差額はとる』ことになりまして。
厚労省だけじゃなくて、とにかく国の赤字をなんとか削れということで、他にも色んな省庁に命令が来てるみたいなんです、つまり、」

財務省の陰謀ガー!」になったら長そうな気配を察したので、「要するに、ぼくは来月までにどっちの薬にするか、考えておけばいいんですね?」と答えて退散したのだが、説明のどこまでがマニュアルに沿ったもので、どこからがおばあさんのアドリブかは、ちょっとわからなかった。

帰宅後に調べると、昨年末から「方針」としては報道されていたようだし、そもそもこれまで、ジェネリックを選んでも大して値段が変わらない方がヘンだった、という側面はある。薬局の説明チラシ(ヘッダー写真)には、こんな「わかりやすい喩え」も載っていて、思わず苦笑した。

先発薬で薬を飲むのも、
来月から個室入院と同じ「贅沢」に

それはいいんだけど、気になるのは来月になったら「これはひどい! 貧乏人は『劣った薬』でガマンしろというのか。新自由主義ガー! 弱者切り捨てガー! カネより命!!」と、Twitterとかで叫び出しそうな人たちのことだ。

おばあさんの説明にあるとおり、少なくとも「きっかけ」としては、無料で入院し放題・ワクチン打ち放題だったタダコロナ政策のつけ払いを清算し始めるんで、国民に請求書送りますね、っていう事情はあるだろう。で、叫びそうな人たちはコロナの時には、なんて言ってましたっけ。

2020年のCOVID-19禍においても、「正しいリベラル」系の論客は「平常運転」でした。
例えば菊池誠は《やはり、今や左派もリベラルも金に困らない層の道楽に堕ちてしまったな。経済弱者に冷淡すぎる》と言い、また東浩紀も《また今回、思想的に「リベラル」と呼ばれる知識人が、国内でも国外でも監視社会を積極的に肯定してしまったことも覚えておくべきでしょう》と言うことを述べています。

しかし、日本共産党などが「自粛と補償はセットだろ」と移動の制限という人権侵害に対して手厚い補償を求めたことを無視していますし、そもそも東の言う「監視社会を積極的に肯定」するリベラルというのは誰を指すのかわかりません。

後藤和智「安倍長期政権を「担ぎ上げた」のは誰か?
現代ビジネス、2020.9.14
(強調は引用者)

この恥ずかしい文章に表れているとおり、当時は「補償さえ出せば自粛の強要OK!」が、正しくないダメなリベラル派の空気だった。要は、自分たちが国家の強権(自由の制限)を望む自己矛盾から目をそらし、後ろめたさを打ち消す免罪符として「補償! 無料! カネ!」とばかり騒いで、政府の「コロナつけ払い」を後押ししたわけである。

口では「カネより命」と言っても、当の本人が実は「自由よりカネ!」で、かつ「命よりカネ」でもあったわけだ。そのことは、コロナワクチンの薬害問題に対する、彼らの露骨な無視を見ればわかる。

大東亜戦争とコロナワクチン: 歴史学者たちの「責任」|Yonaha Jun
今週発売の『文藝春秋』5月号も、表紙に刷られる目玉記事3選の1つが「コロナワクチン後遺症 疑問に答える」。この問題は当面、収まりそうにないし、またうやむやにしてはならない。 及ばずながら前回のnote では、日本で接種が始まった2021年以降、僕がコロナワクチンについてどう発言してきたかの一覧を掲載した。こうした試み...

これは後出しジャンケンではなく、ぼくはそもそも最初の緊急事態宣言が出る前から、そうした安易な態度の横行に、釘を刺していた。

休業を要請される業種への「補償が必要だ」とする声が上がったのはよいことですが、散々「感染者が増えた! 自粛が必要! むしろ封鎖を!」といった言動で煽っておいて、最後に一言「補償も考えてほしいですね」と添えておけば、パーフェクトに誰からも批判されない「模範演技」ができる。そうした振る舞いがメディアの種類を問わず、目立ち始めているように思います。

こうした「批判回避主義」のバチルスは、コロナウィルスに先んじて日本に上陸し、猛威を振るっていたのではないか。それが「善意でパニックが加速される」、危険な事態を招きかねない土壌となってはいないか——。私はそう感じます。

拙稿現代ビジネス、2020.4.3
同じ媒体でも、著者によってこれだけ違います

もう何度も書いたけど、「カネさえ出せば」何でもやっていい、憲法も人権もスルーしていい、自由や公平さなんて知らない、とする風潮はコロナで生まれた。そんなものを生み出さず、みんなが個人の自由を尊重して振る舞えば、後から「つけ払い」の請求書なんて届かなかったかもしれない。

おそらくはタダでなく有料だったほうが、未知のワクチンを打つ前に熟考する度合いも高まったし、打たない人にも寛容な社会であり得たろう。

そうしたチャンスをぼくたちは棒に振り、「(自粛+補償)✕(ワクチン+無料)=最☆強」みたいな、口にする一瞬だけはどこからもクレームが来なそうな言葉の麻薬に溺れた結果、つけの返済は(たぶん)永遠に続く。

2021年以来、僕はコロナワクチンについて何を語ってきたか|Yonaha Jun
4年前の今日、つまり2020年の4月7日に、日本で初めて感染症の流行に対する「緊急事態宣言」が出た。もちろん新型コロナウィルスをめぐるもので、当時の首相は安倍晋三氏(故人)。最初は7つの都府県に限られていたが、同月16日に全国に拡大され、翌月まで続いた。 おそらくこのとき、僕たちの社会は決定的に壊れた。今日に至るまで...

巷の話題は自民党の総裁選一色で、「あの候補は社会保障問題に切り込んだ」「この候補はそうじゃない」といった論評を、しばしば目にする。

しかし、単に「つけを取り立てますよぉ~」というだけではなくて、安易な「カネで問題が解決するふり政策」はもうしません、としっかり明言し、本当の意味でコロナ禍の(負の)政治を終わらせてくれるのは、誰なのか。

個人的に、注目するのはただその一点である。

結婚・出産増まで「カネで買える」とする
コロナ由来の哲学で運営された政権が、やっと終わります。
つけの支払いは、むしろ始まりますが
(写真は毎日新聞より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年9月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。