以前に「「ウクライナ応援団」はどこへ行くか」という題名の記事を書いた。
その趣旨は、政治活動と言論活動の境目が分からなくと、やがて悪影響が各所に及んでいくだろう、ということだった。
ウクライナを応援することが、政府関係者を始めとして日本社会の主流派の価値観になっている。その政治的性格のため、主流派の意図にそわない意見のみならず、情報までも拒絶する風潮が蔓延してしまった。少しでも意にそわない情報に接している人物を、そのことを理由にして「親露派」として人格批判の理由にしていく風潮も、多々見られる。
こうした政治活動と言論活動の境目が不明になる現象は、たとえば自国が戦争状態に陥ったときなど危機にある場合には、不可避的に発生してくるものかもしれない。その場合には、一般大衆の信奉と、知識人層の議論とを、きっちりと分け、少なくとも後者の階層の人々が緻密な議論を進めておく場を確保しておくことの必要性が問われてくる。
ウクライナについては、日本は戦争の当事者ではなく、しかも欧州の戦争であるため、必ずしも当事者意識が高いわけではない。
ところが日常的になじみのある欧州における大規模な戦争であることや、日本が軍事同盟関係を持つアメリカが他の同盟諸国とともに大々的な関与をしている事情のため、他のいずれの戦争の事例よりも、日本人の感情的な関与の度合いが高くなっている。そこで上述の「親露派狩り」マッカーシズムのような現象も、顕著になってくる。
この現象が倫理的にどのような問題を内包しているかも、大きな問題ではある。今回は、しかし、軽視されがちな情勢分析面での悪影響について、考えてみたい。
「【越境攻撃を「挑発」と形容】自国領土占領の“失態”にプーチンの不自然な言葉選び、国民より占領拡大を優先する冷徹戦略も」という記事を例に取ろう。
ここではクルスク侵攻作戦で動揺しているはずのプーチンは、しかし冷静さを装っている、と描写される。強気の姿勢を見せるため、クルスク州の住民を一刻も早く救い出す作戦を優先させない。東部戦線で戦闘を優位に進めながら、クルスク州でのウクライナ軍に対応している。これは「国民より占領拡大を優先する」邪悪なプーチン大統領の本質が現れた行動だ、という論旨である。
これはゼレンスキー大統領の姿勢にそった論旨だとも言える。ゼレンスキー大統領は、クルスク侵攻作戦開始後、しばしば「プーチンは自国民保護よりも占領拡大を優先させている」、と繰り返し述べている。
しかしこれは実はほとんど、「プーチンよ、ウクライナの期待通り、東部戦線の部隊をクルスク州に振り向けてくれないか」という懇願である。このような回りくどい懇願で、プーチン大統領が行動を決するはずはない。
期待通りにプーチン大統領が動かないため、「プーチンよ、お前のことを邪悪な奴だと思っていたが、そこまで本当に邪悪だとは思っていなかった、今からでも遅くない、自国民を保護するために、東部戦線の部隊を早くクルスクに回せ!」といったことを、ゼレンスキー大統領は言っている。そして日本の多数の論者たちも同調して、叫んでいる。
しかしこのようなウクライナ側の態度は、基本的な事実を見逃している。それはロシア側から見ると、東部四州はすでにロシア領になっている、という点である。特に2014年以降のドンバス戦争の係争地になっている地域は、プーチン大統領にとってはウクライナに対する外交政策の基盤を説明する住民保護地域である。この地域の住民を放置して、クルスク州の住民保護だけに部隊を差し向けるといった事態は、決して起こりそうにない。
確かに、ロシアの侵略行為は、国際法違反だと言える。国連総会決議も出ている。ロシア占領地域は、占領地域であって、ロシア領ではない。しかし、それはロシアでは採用されていない論理であり、プーチン大統領の行動を予測するには十分な情報ではない。プーチン大統領の行動を予測するためには、プーチン大統領の思考に内在した論理を分析しなければならない。
プーチン大統領が侵略をしているのは、プーチン大統領が邪悪だからで、それ以外に理由はない、という論理だけを信じるだけでなく、それ以外の情報を閲覧禁止するようになると、どうなるか。やがて次のように推論するようになる。
プーチン自身も、「俺が侵略しているのは、俺が邪悪だからだ、俺が占領した地域は全部ウクライナ領だと知っているが、俺が邪悪であるために力を振り回して邪悪な行為をして侵略して占領しただけなのだ」と、考えているに違いない、と想像してしまう。
そこでロシア領に少しウクライナ軍が侵入しただけで、「おお、邪悪だから好き勝手していたが、自国民が襲われるのであれば、そちらを優先させなければ!」とプーチン大統領が考えてくれるのではないかと想像してしまう。
「クルクス反攻で苦境に陥ったプーチン大統領」という題名の別の論考を見てみよう。
ここでも、プーチン大統領は、クルスク侵攻で苦境に陥った、という断定がなされる。本人がそのように振舞っていないとしても、今までなかったことが起こったのだから、苦境に陥っていないはずがない、という断定がなされる。
そして今後ウクライナ軍が、モスクワの住宅地などに「限定的な住民の犠牲もやむなし」という「心理的作戦」を仕掛ければ、いよいよロシア国民も、プーチン大統領が無力で邪悪な独裁者であることに気づいて、戦争反対の声をあげ、ロシア軍は撤退していくはずだ、という説明がなされる。
ほとんど小説のような話であり、この推察を裏付ける事実の展開が何もない。根拠は、「プーチンは狼狽している」「ロシア国民は覚醒する」といったロシア側の心理的要素の将来の変化への期待のみである。
「プーチンは邪悪である、ロシア国民は騙されているのでなければ、脅かされているだけである、したがってウクライナ軍がプーチンを脅かしているのを見たら、ロシア国民はプーチンを見限るだろう」、といった歴史的・論理的裏付けが不明な推察によってのみ、主張が成り立っている。
確かに、ウクライナのクルスク侵攻は、こうしたロシアを悪魔化する思想に依拠した一方的な世界観に基づく人々によってのみ、決定された作戦であるように見える。ゼレンスキー大統領は、日々、ロシアが、特にプーチン大統領が、悪魔であることを力説する演説やSNS発信に余念がない。
このゼレンスキー大統領の態度は、欧米諸国をこえた世界では、すでにアピール力を減退させ始めている。日本でもある程度はそうだろう。
ただし、まだ、「ロシアの主張が含まれている情報には触れてはいけない、もし見たらお前も親露派として糾弾するぞ!」と、日々、「隠れ親露派狩り」に余念のない人々がいる。言うまでもなく、クルスク侵攻作戦を絶賛した人々である。
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