野党やマスコミはなぜ万博にふれないのだろう? --- 田中 奏歌

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先日大阪に行き、気がついた。それは来年、万博がある、ということである。

大阪万博の開催まであと7ヶ月を切ったらしい(2025年4月13日~10月13日)。今は総裁選・代表戦とそれどころではないのかもしれないが、もう目の前なのに、大阪以外では万博のことなど聞いたこともない。

やろうとしていることすら知らない人もいるのではないだろうか? ひょっとしたら、静岡在住の私が知らないだけで、都会では盛り上がっているのかもしれないが、正直私はテーマも目玉も良く知らない。進捗の報道も否定的なことがあった時くらいしかなく、開催を目前にして、ここまでも話題にならないのは異常ではないだろうか。

今の段階で国を挙げてのイベントを盛り上げていかないというのは、やり方は違うが、ここでも先年の東京オリンピックと同じことが起こっているような気がする。

最初にいっておくと、私は今回の大阪万博にはあまり賛成ではなかった。あくまで個人の考えだが、夢洲・舞洲などの大阪の埋め立て地を活用するという名目で、維新の会がカジノを呼ぶために万博を誘致したと思っている。

万博による地域活性化という聞こえのいいイベントを誘致し、その跡地はもったいないのでカジノしかないね、という、そういう目的の万博開催だと考えている。成功裏に終われば大きな経済効果があるので、それも期待しての開催ということは認めるにしても、カジノが透けて見えるだけにいい気がしない。

わたしはカジノはいかがなものかと思っているし、カジノではなく万博一点に絞った場合でも、半世紀前と違い国民の意識はいまさら万博ではない、昔ほどのワクワクはない、と思っている。なので、いくら何でも、いまさら万博を誘致するのはいかがなものか、と思っていた。

が、しかし、である。今の時点で万博を応援しないのは間違っている、とも考えている。

万博誘致について反対するのはあくまで、誘致を撤回できる時期までである。誘致前の反対運動は、あったにせよ、そんなに激しかった記憶はないが、野党もマスコミも、痛みが少ない段階であれば、徹底的に反対したり誘致撤回の運動をしても良かったろう。

しかし、撤回できない段階になった時点以降も万博を否定し続けるのは、否定により、それでなくとも成功が難しいであろう万博を不成功に終わらせ、国益を損なうことになる。

中止できないとなれば、ボロボロで終わらせるのではなく、やれるところまで精いっぱいやるべきである。私のようなひねくれものもいるのので、下からの盛り上げも大事だが、国・マスコミ全体で上からもっと盛り上げるべきイベントのはずではないだろうか。皆でなぜ一緒に盛り上げられないのだろうか。

やはり東京オリンピックのようなことが起きているのではないだろうか。オリンピックの時はコロナなので、中止にできなくなったタイミング以降も野党もマスコミも反対していたが、今回の万博についてはそうではなく、無視する作戦のような気がする。

東京オリンピックについて補足すれば、東京オリンピックもコロナで中止できるまでの段階なら反対するのは(決して賛成しないが)考え方として理解はする。しかし、中止できない(正確には中止にはかなりの困難がともなう)段階になった時点で、今回の万博同様、いかにコロナを拡げずに成功に終わらせるかを国民総意で考えるべきであった。

東京オリンピックには国民の多くが反対していた、という向きには、新聞社などのアンケートには、「すでに国益を損なわずに延期も中止できませんが」という前置きを入れて、「それでも反対ですか?」と聞いてはいなかったことに留意すべきである。以前の投稿で述べたように、国民は、延期も中止もできなくなった時点でのオリンピックの開催に、決して反対ではなかったはずである。

その証拠に、オリンピックが始まったとたんにマスコミはそれまでとは手のひらを返してオリンピックを盛り上げようとしていた(ミヤネ屋だったか、タレントの宮根誠司氏は番組中で「手のひらを返します」などと恥ずかしげもなく言っていた)。

つまり、それは開催してしまえばほとんどの国民はオリンピックに注目する、という証拠であり、それにのれば視聴率を稼げる、ということである。しかし、中止できない中での無理な反対活動により、オリンピックの開催環境はすでにこの時点ではかなり棄損されており、結果的に国益を損ね得しまったように思う。

たぶん万博の開催が間近になれば、マスコミはまた、手のひらを返すだろうが、それでは遅いのではないだろうか。

※ 様々な弊害はすでに起きているが、ちょっとした例として、大阪では、当初「気味が悪い」と評判が悪かったマスコットのミャクミャクが、万博の浸透とともに「かわいい」と評価が変わったらしい。このままでは、万博の浸透の少ない大阪以外の地域では「気味が悪い」ままになってしまいそうである。こういうところから「盛り下げ」は始まっている。

先ほど、東京オリンピックと違い反対ではなく無視する作戦といった。今回は、反対の声すら聞こえず、報道でも政治の場でも皆無ではないにせよ、ほとんど取り上げられていないように見えるので、どちらかというと、とことん開催を阻止したい、ということではなく、明らかに不成功に終わらせることで国益を損ねようとしているようにも見える。

オリンピックでは、賛成であれ反対であれ、話題となり、開催までの雰囲気作りは多少はできた。しかし、今回のように話題にならなければ、開催まで雰囲気作りはできず、その時点で3兆円前後といわれる経済効果の多くも減ってしまうのである。

今後いかに開催費用が上昇しようとも、中止できないものであるならば、盛大に実施し、費用対効果で少しでもプラスが大きくなるように知恵を絞り、経済効果を少しでも多く回収することに国を挙げて全力を尽くすべきである。

金銭面だけでなく、開催までの間でいかに問題があろうとも、それを理由に駄々をこねるのではなく、皆で問題を解決し、問題を縮小していくことしかないだろう。もうすでにスケジュールが決まっていてもおかしくない学校からの遠足や修学旅行に反対するなど、大人のやることではなく、実施に当たっての問題点を皆で知恵を働かせて解決していく、というのが子供に見せる大人の態度である。

本来は与党がもっとしっかりすべきではあるが、今はそれどころではないのかもしれない。でも、野党やマスコミまでもがここまで応援せず無視する理由を考えてみた。

マスコミは、どうせ始まったら話題になるしそのときに手のひらを返せばいいのだから、今は無理しないで別のテーマで視聴率を稼げばいい、くらいに考えているのかもしれないが、私にはそれに加え、マスコミも野党も、オリンピックの時の「安倍・菅政権、憎し」と同じく、「大阪維新、憎し」の構図を、国を挙げての一大イベントに持ち込んでいるように見える。

成功して安倍・菅政権、大阪維新の会の手柄になるようなことにはさせまいと、国益を棄損してまでも妨害しようと考えていた、考えている、と邪推してしまうが、どんなものだろう。

終了後に不振の責任を問い、政局に持ち込みたいのかもしれないが、野党もマスコミも、日本という国を本当に良い国にしたいのであれば、国益を棄損するのではなく、こういう時こそ、政治に関係なく挙国一致で盛り上げるべきではないだろうか。再度いうが、もはや中止はできないのである。

野党はいったん「自党は開催には反対ではあった」と宣言したうえでいいので、「しかし、ここまで来たら、党を挙げて応援する。日本は素晴らしかったと言ってもらえるように、一緒に盛り上げていこう!」くらいは言って、一緒に課題の解決策を考え、様々な場面で盛り上げてもらいたいものである。マスコミはオール野党が盛り上げれば、仕方なしにでもついてくるだろう。

世知辛いご時世、万博で明るくなりましょうよ。

田中 奏歌
某企業にて、数年間の海外駐在や医薬関係業界団体副事務局長としての出向を含め、経理・総務関係を中心に勤務。出身企業退職後は関係会社のガバナンスアドバイザーを経て、現在は隠居生活。