9月27日、実質的には次の首相を決める自民党総裁選が行われる。
本命だった小泉進次郎氏が失速し、石破茂・高市早苗の両氏と三つ巴だと言われる。「どの2人」が決選投票に残るかで、最後の勝者も動く。先日も論じる配信をしたけど、私は政局は趣味でないから、予想はしない。
むしろ今回の総裁選では、あまり注目されないが将来、重大事となり得る争点が出ていた。例によって、それを取り巻く「専門家」の問題行動も見られたので、そちらを記録に残しておこう。
「ヨーロッパのことばかり考えているオタク」(原文ママ)を自称する東野篤子氏が、9月10日に河野太郎候補をめぐる記事を書いている。この方は確か、以前は「ロシアの対外政策に詳しい専門家」としてウクライナ戦争を解説していたので、実は欧州オタクだと知り大いに驚いたが、その話は今回は別にいい。
記事の内容は、産経新聞が行った「河野報道」への批判だ。要約すると、
・河野氏の9月8日のYouTubeでの発言を、同日の産経が「北大西洋条約機構(NATO)への日本の加盟に関し「将来、そういう選択肢があってもいい」と述べた」(産経の原文ママ)と報じた。
・しかし東野氏が配信を確認すると、河野氏は「NATOって「北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organisation)」だから、(仮に日本が入るなら)「North Atlantic and Pacific Organisation(つまり、北大西洋・太平洋条約機構)」になってしまいますよね」との旨を述べていた。
・河野氏は、太平洋も含む「組織改編」があった場合を想定して、日本のNATO加盟があり得ると言っており、産経の記事はミスリードだ。
中央の河野発言は、東野氏の文章のママ
ということである。
えっ、そこなの? 名前の問題?(笑)
国際政治学では、よく「bilateral(二国間)かmultilateral(多国間)か」という議論をする。現状でわが国の安全保障を担う、日米安保はbilateral な同盟で、現在32か国が加盟するNATOは、multilateral な制度である。
bilateral な日米安保は、日本とアメリカという二か国だけの取り決めだ。結果として、世界的に見ても特殊な内容だと指摘され、だから日本は「対米従属」なのだと、批判されたりすることもある(その当否は措いておく)。
対して、もしNATOのようなmultilateral な同盟に日本が入るなら、そうした日米安保の特殊性は、かなり払拭される。しかし、まさにウクライナ戦争で焦点となったように、NATOの加盟国には集団防衛の義務があるから、一か国でも攻撃されたら、他の国はその国を守らなければならない。
組織改編で名前が「北大西洋・太平洋条約機構」に変わったところで、もしその新NATOに日本が加わるなら、たとえば欧州の加盟国にロシアが侵攻した場合、自衛隊を派兵して防衛することになる。つまりは、有事にフルスペックの集団的自衛権を行使することが、加盟の前提となる。
……と書くと湧いてくるのが、「国際政治学のセンモンカである東野先生が、そんなことを知らないはずがない」といったファンネルだが、専門なんてどうでもいい。現に東野氏自身、同記事では「オタク」を名乗っている。
重要なのは河野太郎氏という、首相候補に名前の挙がる有力な政治家が、実際にはいかなる「防衛政策」を持っているのかだ。専門家である東野氏の記事と、素人の本稿と、どちらが彼の主張の本質を捉えているだろうか。
実は河野氏は、9月10日刊の『文藝春秋』の総裁選特集で、自身のビジョンを語っている。ファンとの交流が目的のライブ配信と異なり、同誌は、立憲民主党で新代表となった野田佳彦・元首相も「覚悟を持ってインタビューに出る」と述べるほど、日本の政治家が重視する公的な媒体だ。
そこで河野氏は、こう述べている。
日米同盟だけで平和を守ることが難しくなる一方、英、仏、独、伊などの欧州各国が海軍をインド・太平洋地域に派遣しています。中国が軍事拠点を違法に設置している南シナ海を航行したり、横須賀に寄港するなど、アジアに関与する姿勢を示してくれているのです。
今後、日本も尖閣諸島の問題、緊張が高まる台湾海峡問題などで、欧州各国に協力を依頼することがあるでしょう。その時に「アジアが大変だから助けて欲しい。でも他の地域はお任せ」では通りません。日本も応分の役割を果たさねばならなくなる中、世界で何をなすべきか、今回の総裁選の重要な論点であると考えています。
河野太郎「私が麻生派にいることは問題ではない」
『文藝春秋』10月号、115頁
(強調は引用者)
賛否は別にして、これが河野氏の防衛観である。欧州に東アジアで協力を仰ぐ以上、日本の側も「他の地域はお任せ」ではなく、「応分の役割」を果たすべきだと、明快に説いている。NATOの名称云々など争点ではない。
前回(2021年。岸田文雄氏に惜敗)と異なり、河野氏は今回は早々と本命から外れたため、「日米安保かNATOか?」は総裁選の争点にならなかった。しかし、人気取りのための総裁選である以上、発足する新政権は挙党体制を組むだろうから、外相・防衛相を歴任した河野氏が「関係閣僚」に就く可能性は十分ある。
実際に東野氏の記事を読んで、そのおかしさに気づく読者もいなくはなかった。しかし圧倒的多数はそうではなく、当の河野氏自身も含めて、多くのTwitterユーザーが好意的に拡散していた。
なぜ、そうなるのか。理由はシンプルである。
「①専門家が、②ファクトチェックで、③マスコミ(マスゴミ?)を、④論破した」。このフォーマットに落とし込むだけで、あたかも自分が知的な存在になれたかのように、勘違いするセンモンカやその読者が多いからだ。
特定の「形式」にさえ合致すれば、内容は空っぽでも間違いでもいいのだから、チョロいものだ。そうした手法で自尊心とフォロワー数を満たす「学者」はいま、その専門を問わず見られる。
要は亜インテリの悲喜劇だけど、むかし丸山眞男が言ったのとはだいぶ違う。丸山が問題にしたのは戦前、庶民には大学教員(インテリ)の言論がまるで届かず、そもそも別の通俗的な「教養」が根を張っている状況だった。
対して今日、大学教員たちはSNSほかで、むしろ一般の読者と繋がり過ぎるぐらい繋がっている。しかしそこで起きたのは、庶民の教養の底上げではなく、学者の側がフォロワーのウケを狙って、議論のレベルを下げることだった。つまりは「インテリまで亜インテリになった」のである。
コロナでもウクライナでも、まったく同じそうした力学で、センモンカが世論の舵取りを誤り、自らの信頼も損ねたことは、何度も書いてきた。
以前ご案内した今週末のイベント「らんまる」では、こうした問題をがっつり議論する予定である。会場は新潟の温泉旅館・嵐渓荘ですが、おそらくそのうちコンテンツ配信もあるかもなので、ぜひご期待ください。
(ヘッダー写真は、自民党の公式ページより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年9月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。