これで終わりにすべき袴田事件

1966年6月に袴田氏が働いていたみそ工場の会社の専務宅が全焼、焼け跡から専務を含む家族4人の刺殺体が発見されました。この犯人が袴田氏だと警察は断定、同年8月に逮捕、68年9月に静岡地裁で死刑判決、80年12月に最高裁で死刑確定となるも再審請求を繰り返しました。理由の一つは袴田氏が裁判において一貫して無罪を主張、警察の取り調べは一日12時間に及び暴行も行われた中での自白であり、証拠と言い難いものでした。また、今回の再審判決でも話題になったみそ樽の底にあった血の付いた衣服は事件後1年2か月たって発見されました。それが本当に証拠なのかが最大の焦点の一つでしたが、決定打はみそ樽に1年以上も漬かっていた衣類に赤い血痕は維持されない点でした。今回、静岡地裁の再審で無罪判決が出ました。

袴田巖さん NHKより

これが袴田事件の超訳。

英国BBCは今回の無罪判決について「袴田さんは半世紀以上にわたり死刑囚として過ごした。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、袴田さんは世界で最も長い期間、拘置された死刑囚だった」とあります。もう一点、BBCが指摘したのが「日本はアメリカとともに、主要7カ国で唯一死刑を採用している。日本では現在、死刑の執行方法として絞首刑のみが定められており、死刑囚には執行の数時間前に告知される」とあります。この2点について私の考えを述べてみたいと思います。

袴田事件は私が大学生の時、外務公務員試験を受けるにあたり勉強した事件の一つであります。つまりその頃からの話題であり、その行方はあやふやだったとも言えます。最高裁でいったん確定した判決なのに被告は再審請求を繰り返す中で徐々に世論も判決に疑問を抱き始め、「おかしいぞ」という方向にありました。この事件に一定の関心を持ち続けた人は法曹界の人や一部の方々に限定されていたのですがマスコミが様々な機会に一定のトーンをつけた形で報じ続けたことで世論形成が少しずつなされていったと思います。

当時の警察と検察は強引であっただろうと推察します。1966年はまだ戦後の成長期で無茶苦茶な時代の名残がありました。今のように取り調べにおいて人権は確立されず、いったん取り調べとなればとことんやられ、人間否定し、時として拷問の状況下で自白を強要するようなケースは多々あったと思います。袴田事件のように有名なケースにならずとも冤罪は一定数、あったのではないでしょうか?

例えば1948年に起きた「帝銀事件」は知る人ぞ知る有名な事件です。「集団赤痢が発生したのでこの薬を飲むように」と、閉店後の帝国銀行椎名町支店を訪れた犯人は行員に青酸カリを飲ませ、12名を殺害、強盗をします。その後、平沢貞通氏が逮捕され、その後、平沢氏は無罪を主張するも獄中死しています。この話は松本清張氏の小説も有名ですが、私自身が椎名町のそばに住んでいたこともあり、この帝銀椎名町支店があった場所もよく知っています。あの頃はGHQの影響下という時代背景もあり実に不可解な事件ながら警察の無理な取り調べは戦前の特高警察に近いものがあったように感じます。

バブルがはじけた後、私の元上司が業務に関係し、東京地検でとっちめらた際も連日長時間にわたり激しい取り調べを受けました。本人からその克明な話をリアルタイムで聞いていましたが、取調室のテーブルの上のスポットライトを顔に向け、「吐け!」と極めて強い口調で押し込み続けられ、途中何度も「くじけそうになり」「はい、やりました」と言いそうになったと述べていました。やっていなくても「吐けば楽になる」と思ったと言っていたのが極めて印象的でありました。元上司は結局捕まることはありませんでしたが、非常に厳しい余生となりました。

裁判の判断は時代と共に変わります。それは世論形成をある程度くみ取るためで極端な話、20年前と今では同じ事件でも判断が変わることは大いにあり得るのです。その中で袴田事件はあまりにも検察側が抵抗しすぎたと考えます。つまり、再審決定したのが23年3月でそれまで再審請求が2度行われ、いったん開始になるも再び取り消しになるなど紆余曲折したのは司法手続きと検察の意地そのものだったと思います。検察はプロセスにおいて完敗であって素直に負けを認めるべきです。まさかこれで控訴したら世論は検察に激しいバッシングをすることになるでしょう。

死刑制度。これは一言では語りつくせない内容ですが一言だけ。世界で死刑制度が減ってきているのは事実で今でも残っているのは世界地図で見るとアジアから中東、アフリカにかけての一帯とアメリカのみと言ってよいでしょう。しかし、その言葉通りに取るのもどうかと思います。

例えばロシアは「事実上廃止」となっていますが、あれだけ暗殺が繰り返される国で死刑がないと胸を張れるのでしょうか?あるいは欧米では事件があった際、犯人を狙撃し殺害してしまいます。日本では例えば京アニ事件の青葉死刑囚は瀕死の重傷を負った後、救命を行い裁判にて正当な手続きを経て死刑判決となっています。どちらが良いのかという議論はあるでしょう。

日本では歴史的に長年「死をもって責任を取る」という習慣があったことが死刑制度が残る背景のひとつであるかと思います。また法務大臣がなかなかな死刑執行のハンコをつけないということも話題になります。極めて難しい判断ですが、BBCが指摘する「日本はいまだに死刑制度が残っている野蛮な国」と言わんばかりのトーンは偏向報道だろうと考えます。死に対する考え方は宗教的背景を含め、ひとくくりにできるものではないと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年9月27日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。