読書の秋、「読み倒し」の読書

読書の秋という言葉自体がもう古いのかもしれません。四季を感じさせる言葉の一つで秋の深まりは人間の一年のサイクルの中で落ち着きを得るには最高の時期です。春のような華やかさではなく、夏のような飛び跳ねる感じでもない、冬のように耐える感じでもない、秋は確かに気持ちが最も静寂になる時であります。

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季節感がなくなった最近の日本の気象状況ではこんな話をしても心に響かず、「今年の紅葉は果たして年末までに終わるのか?」という気すらしてくるのです。仮にどの地域にしろ、紅葉が1月に食い込んでしまうようなことがあれば日本で長年醸成された季節感とその感性はどこかに行ってしまうのでしょうね。

日経に「嫌われる勇気」(岸見一郎、 古賀史健共著)が世界でまんべんなく売れており、6月時点で1180万部売れていると紹介されています。私もだいぶ前に読みましたが、なかなか面白かった内容です。当時の私の「読後備忘メモ」には「嫌われる勇気とはまず自分が今を着実に積み上げる、そして利他の心で自分の行為は他人のためになる発想の積み重ねであり、他人との距離感を考えすぎることによる価値観を否定する」とあります。こんなメモ1つで「記憶の倉庫」から印象を引っ張り出せるのです。読み終わってポイしちゃもったいないです。

私は購入する本は小説でも専門書でも読んでいる中で気になる表現があるとそのページの上端を折り曲げていきます。かなり有益だった本だと折り曲げだらけで本が分厚くなります。更に2度読みをすると案外読み落としている気づきがまた出てきます。その時は本の下端を折り曲げていきます。ですので読み込んでいる本は見た目、結構ボロボロになっています。

私は買った本は財産だと思っています。ハイブランドのバッグやアクセサリーにこだわる方がいるように私は本とそこから得たものが私のバリューだと思っています。よってブックオフに売るからきれいに読むという癖はありません。

ユーチューブやオンラインミーティングの際の背景が本棚の写真になっている方が結構いますよね。あれは何を意味するかと言えば「自分はこれだけ読んでそれなりに自分の言い分には論理性がある」と言わんとしているのでしょう。リアルの本棚を背景にしている方も散見しますが、百科事典のような「蔵書」を本当に読んだのかはわかりませんが。

タイトルにある「読み倒し」という言葉が「公認」されているのか知りません。ネットでチラ見する限りは意味が推察できる言葉として使われているようです。使い方としては読破して読みつくすということのようです。

ずいぶん昔、山崎豊子を読み倒しました。あれは自分にとって「読める」という自信をつけたと思います。そこでその次に司馬遼太郎に手を付けたわけです。10年ぐらい読み続けて紀行史は別にして2巻以上ある長編はあと僅かを残すばかりとなり、現在は氏の作品でも非主流の方を読み続けています。面白いなと思うのは同じ作者を10年も読んでいるので当然、氏の得意とする戦国時代と幕末は話が重なってくるのです。すると「あぁ、この話、あの小説にもあったな」ということになり記憶がよみがえり、更に「そうそう」と思わず相槌を打ち、書いてある字ずらが非常に鮮明に「見えてくる」のです。これは不思議ですよね。

ところで司馬遼太郎の作品を批判する方もいらっしゃいます。人にはそれぞれ考え方がありますから何を言うのも自由ですが、私は歴史エンタメと私の未熟な歴史知識の補完として読ませて頂いています。例えば坂本龍馬が日本であれほど持ち上げられた背景の一つは氏の「竜馬が行く」ですが、それは竜馬像を作り過ぎたとされます。つまり歴史の事実話からすればいびつな取り上げ方だったのです。彼は脱藩藩士であり、逆立ちしても日本の英雄候補にはなりにくい、だけどそういう人に光を当てたというのが小説としての醍醐味なのです。

城山三郎とか高杉良といった作品も歴史上、あるいは経済史上の実話をもとに書いたものが多いのですが、事実としては陽の目を見なかった方々を小説化し、スポットライトを当てることでへぇ、と思わせるわけです。私がこの2人の作品で思い出深い本を上げよと言われたら「男子の本懐」(城山)、「官僚たちの夏」(城山)、「ザ ゼネコン」(高杉、これは自分が勤めた会社の会長秘書が主人公として小説化された。)をまず上げます。男子の本懐は面白くて3回ぐらい読んだと思います。

不思議なもので同じ作品を20代の頃に読むのと人生の黄昏の時代に読むのでは印象が全く違ってきます。例えばフィッツジェラルドの「ギャツビー」は一番初めに読んだのが中2。当時、極めて難解だったのは歴史背景を知らなかったからです。つまり字ずらだけ読んでいるのです。5年ぐらい前に別の方の翻訳でよんだらスーッと入りました。同じ本なのに、と思います。

本好きの方は日本には多いと思います。よい作品は何年たっても全然廃れないのです。ついこの前は「若きウェルテルの悩み」(ゲーテ)を読んだのは哲学本をあさっていたなかで自分の中でヒットしたわけです。案外、自らの環境に合わせて名作とされるものを手に取る方が流行本よりもしっくりくるのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年10月13日の記事より転載させていただきました。

会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。