「感じの悪い人」論:人類は〈家畜〉から野生に戻るのか

このnoteを読むたびに「品位がある・ない」の二択で感想をくれる友人によると、前回の投稿は品位が低めらしい。もっとも同記事は、あくまでSNS上で粗暴な言動を繰り広げる「うおおおお!」な人びとを批判するために模写しているので、その責めを私に負わされても困ってしまう。

しかし、文脈がどうであれ「その瞬間だけ見て嫌だったら」距離を取っていい、否むしろ排斥すべき、といった風潮が高まっているのは確かだ。自分の主観的な忌避を正当化する際、攻撃的なタイプがポリコレを持ち出し、内向きな人はHSP(繊細さん)を名乗る点が異なるだけで。

資料室: ポリコレは、いかに「歴史学と反差別」を弱体化させたか|Yonaha Jun
一昨日の辻田真佐憲さん・安田峰俊さんとの配信は、議論が「歴史を語る際のポリコレの流行は、ある意味で欧米の中国化では?」という地点まで深まって面白かった。無料部分のYouTubeもこちらにあるので、よろしければ。 【ゲスト回】安田峰俊×與那覇潤×辻田真佐憲「実は役立つ中国史を再発見せよ 『中国ぎらいのための中国史...

こうした感性に基づくアパルトヘイト(隔離政策)は、想像以上に最も深い人類史の転回点になるかもしれない。そうした議論も、前回ご案内した『創価新報』10月号では紹介している。

與那覇:分断が最も深い米国では「中道の危機」の背景を、生物学の次元まで掘り下げる書物も出ています。ブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズの共著『ヒトは〈家畜化〉して進化した』(白揚社)です。

たとえばオオカミからどうイヌが分かれたかというと、人懐っこく人間の集落に近づける個体が、ヒトの食べ残しから豊かな栄養を得ることで、有利に進化した。こうした現象を「自己家畜化」と呼びますが、人間もまた他人を見た時、オオカミのようにいきなりかみつくのではなく、まずは触れ合って話してみようと。

そうした自己家畜化を経て、寛容性やコミュニケーション能力を養い、文明を築いてきたとされます。

段落を改編し、強調を付与
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ヒトは乳幼児のころから、親がなにかを指さしたら「親の指」そのものでなく「指す方向」に視線を向ける――「心の理論」に基づき相手の内面を推察して行動するが、これができる動物は意外に少ない。たとえばイヌはできるけど、キツネは基本できない。

しかしヘアとウッズによれば、人が抱いても噛みつかない Friendlyなキツネの個体だけを選抜して何世代も交配させると、やがて人のジェスチャーを読みとって餌を見つけられるようになる。動物に〈家畜化〉とは一見失礼だけど、実際には生存に有利なのだ。だから彼らの著書の原題は、Survival of the Friendliest である。

今日の問題は、こうした自然の摂理に反する方向へと、ヒトが「進化」の向かう先を転じつつあることだ。さっきの私の発言を続けると――

つまり「接触」や「対面」を通じて、互いに穏健化し、協力し合ってゆくのが人類史のコースだった。しかしそれが今、〝真逆の方向〟に反転しつつあります。

ITの発展により「触れ合わなくてもモノだけ届く」環境が自明視され、2020年来のコロナ禍はその風潮を加速させました。顔を突き合わせて話せば落としどころが見つかる話題でも、リモートのまま極論をぶつけ合い、怒りを募らせる人が増えています。

たとえば最近のTVやSNSで、どんなヒトが人気者になっているかを見てほしい。会話相手の話を聞かない、まして批判はシカトする、言葉や態度で「あなたなんて私にはどうでもいい」と示す、炎上しても自慢のタネとしか思わない。そんな個体ばかりだ。

特定のメンタルの「病名」を、キラキラさせるのはもうやめよう。|Yonaha Jun
今年の2月に「「発達障害バブル」はなにを残したのか」という記事を書いた。2015年頃から流行してきた、精神疾患の中でも発達障害だけは「ギフテッド」(恵まれた特性)で、特殊な才能と一体なのだといった論調に、警鐘を鳴らす内容である。 いわゆる日本社会の「同調圧力の強さ」に対して、いやいや、自分の個性を認めてくださいよと...

その帰結として、いまや発達障害なら「別に今から人の気持ちがわかるようにならなくてもいい」とまで、公言する識者もいる。前から注意を促してきたとおり、普通はそれってマズいと思うけど、うかつに注意して「私に〈家畜〉になれというのか。ハラスメントガー!!」と噛みつかれたら大変だから、周りの人は手を出さない。

"現象"としての北村紗衣|ヤマダヒフミ
   目下、年間読書人さんが闘争中の北村紗衣について文章を書こうと思います。北村紗衣は批評家という肩書になっていますが、私は北村紗衣という人を批評家とは思っていません。今流行りのインフルエンサーと呼んだ方が正当だと感じます。    さて、北村紗衣について文章を書き始めましたが、困った事に、この人物は自分に対する批判を弾...

目下、話題の「『キモいと罵倒する権利』を公言する倫理学の准教授」にしても、そうした一連の流れが産み落としたもので、突然変異で湧いて出たのではない。従来なら、自ずと相手にされなくなったろう主張でも、もし「進化」の方向そのものが逆転すれば、大目に見てもいられなくなる。

実はこの方、前々からオープンレター論争の登場人物です。
「キモい」かどうかはともかく、
こちらこちらを参照

Unfriendlyな個体は長らく、自然や社会に淘汰されてきたのだろうけど、彼らが「無双」しやすい空間がデジタル化で生まれてしまった。リアルな世界で生きづらさを抱えた人たちは、逆説ながら他人の気持ちがわからない面々こそを教祖と仰ぎ、Hallelujahの代わりに「うおおおお!」と信仰の叫びを今日も上げている。

トランプが「再選」するより、もっと恐ろしいことを彼が起こすとしたら|Yonaha Jun
今月発売の『文藝春秋』11月号にも、連載「「保守」と「リベラル」のための教科書」が掲載です。リベラル担当の私が挙げる5冊目は、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』。 ご存じのとおり、来月にはハリス vs トランプの米大統領選があるので、それに絡めて書きたかったんですよね。結果として、ベストな作品にたどり着けたと自...

Friendlyさゆえの進化が築いた人間らしい文明を、今後も大切にしたいと個人的には思ってきたが、人類がみな〈家畜〉でなく野生に戻りたがっているのなら、それはもうしょうがないのかもしれない。なにより散々「お前なんてしょせん〈家畜〉。こっちは野生でお前より強ぇ」と侮辱されて、黙っているほど私もお人好しでない。

社会が野生に回帰し、適者生存(Survival of the Fittest)の原理に戻るなら、Friendlyさの価値を守るためには、Unfriendlyな相手を弱肉強食で「狩る」ほかないだろう。狩られた場合にどういう最期を迎えるかは、先日、あるヒト(だったはず)の個体を素材に示しておいた。

「歴史学者」からのストーキング被害について|Yonaha Jun
何年かにわたり、オンライン・ストーカーのような「歴史学者」から誹謗中傷を受け続けており、困っている。 それは熊本学園大学の嶋理人氏という方で、私より年長なのだが本名での単著がなく、むしろTwitter(X)で用いる「墨東公安委員会」の筆名で知られている。思想誌の『情況』に登場した際も、自ら著者名を「嶋 理人(HN:墨...

来月には「狩り」を本格化させますので、身に覚えのある人はいま、謝っておいた方がよいですよ(にっこり)。面識のあった方は直接メールくだされば、内々に済ますこともできますし、互いに連絡先を知らない方も、謝る意思を公に示していただければ、対象から外すことは可能です。

P.S.
ヘアとウッズ夫妻の本は以前、こちらの記事の末尾でも紹介しました。いま読み返すと、「生き抜くため」なタイトルも不穏ですね(苦笑)。

評論家・與那覇潤が選ぶ、現代を生き抜くためのブックガイド。キーワード:「心のあり方」 | ブルータス| BRUTUS.jp
変化のスピードが速い、時代の転換点に立つ私たちは今、どんな本を読めばいいんだろう。インターネットやSNSが浸透して久しい今、私たちは常に誰かとつながりながら生き、時に苦しくなる。実体が捉え難い「心」をどう考えるべきなのか。「心のあり方」をテーマに、評論家の與那覇潤さんに5冊を選書してもらった。

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。