10月27日の総選挙は、予想外に劇的なものとなった。自民党は200議席を切り、公明党も大敗して、与党は過半数割れ(18議席の不足)。何度やっても似た結果だった平成末期と異なって、久しぶりに歴史に残る選挙になったと言ってよい。
野党第一党の立憲民主党と、自民党との差も、いまや50を下回る。しかし、議席を4倍増で28に伸ばした国民民主党により注目が集まるなど、平成期なら必ず言われた「二大政党制へ!」という空気はあまり感じない。
この結果をどう見るべきか。選挙戦の最中、目を惹いた調査に、共同通信の以下のものがある。
共同通信社の第2回衆院選トレンド調査で、望ましい選挙結果は「与党と野党の勢力が伯仲する」が49.7%で最も多く、「与党と野党が逆転する」との回答は前回12、13両日の調査より5.4ポイント増え、20.5%となった。「与党が野党を上回る」は24.8%だった。
10月20日配信
『赤旗』のいわゆる「非公認でも2000万円」報道が出たのは23日なので、そこから数字は動いたと思うが、政権交代=与野党の「逆転」を望む声は、なお多数派ではない。しかし勢力が「伯仲」して、緊張感を持った政治になってほしいと思う人が、マジョリティになったことは確実だ。
これは見覚えのある景色である。当時「保革伯仲」と呼ばれた、1970年代の政治状況のきっかけは、皮肉にも石破首相が師と仰ぐ田中角栄が、総理総裁として仕切った1972年12月の総選挙だった。
角栄は9月に日中国交回復をなし遂げた直後で、圧勝を見込んでいたが、むしろ自民党は苦戦した(過半数ラインまでの余裕が半減し、25に)。野党第一党は社会党のままだが、共産38・公明29・民社19と諸勢力が拮抗しつつ台頭し、多党化の時代を開いた選挙としても知られる。
自民党の意外な劣勢は、当時ピークを越えつつあった高度経済成長の帰結だった。保守政治家が後援会でがっちり抱え込む農村を出て、しがらみの少ない都市部で暮らす有権者が増える半面、資本主義のままでも十分豊かになったことで、マルクス主義の正しさにも疑問符がついた。
結果として、国民が政治に求めるものも多様化し、新たな選択肢に期待する人が増えたわけだ。これは昨日の選挙に照らしても、示唆が多い。
1972年に多党化をもたらしたのが「成長と都市化」だったとすれば、2024年に類似の結果を生んだのは「停滞と個人化」だろう。
もはや経済大国ではないとする意識が浸透し、家族どうしですら会話せず、スマホを眺めて食事する人が増えた。そうしたなかで、従来よりも左(れいわ)と右(保守・参政)の極端に張り出した小政党が、今回躍進している。
注意すべきは、政治的な趣味嗜好の多様化が進むと、政党という存在自体が空洞化し、単なる「議員バッジつきタレント」の寄せ集めになってしまうことがある。政策も公約も関係なく、インフルエンサー的にビビッと来た著名人に、「推し」的な全幅の信頼を置いて投票する人が増える。
タレント政治家を生んだハシリとされるのは、石原慎太郎が全国区の得票1位で政界デビューした1968年の参院選だけど、このとき2位当選した青島幸男が(その無責任さも含めて)百田尚樹氏と似ているという指摘を、柿生隠者さんが書いていて面白く読んだ。
実は政治学者の篠原一は、この68年の選挙を踏まえて書いた『日本の政治風土』で、みんな多党化って言うけど、むしろ実態は「多頭化」でないの? と当時から指摘した。維新の会がまだ「橋下徹党」だったころに、慧眼だと思って採り上げたことがある(『歴史がおわるまえに』に再録)。
一党支配に最初の翳りが兆した1968~72年に比べて、よくも悪くもいま自民党は、だいぶ弱い。平成半ばから言われてきたけど、多数与党といっても「公明党の積極アシスト、共産党の消極アシスト」に支えられての足腰だった。いよいよ今回は、それでも躓く結果となった。
与野党の議席数が接近し、国会に緊張感が生まれるのは望ましいが、ひとつまちがうと不まじめな目立ちたがりが政治をかき回す事態になる。実際に、70年代の「保革伯仲」では欲得ずくの政局ばかりが頻発し、統治のパフォーマンスがよかったという人はあまりいない。
いま各党の中ではいろんな人が、国会の召集を待たずに早速、合従連衡に飛び回っているはずだ。与野党を伯仲させ、あえて政治の「不安定化」を選んだ以上は、それがおかしな方向に行かぬよう、しっかり監視するのも有権者の責任である。
(ヘッダーはNHKアーカイブスより。1972年の開票速報で、いつになく消沈し敗北を語る田中角栄)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年10月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。