福岡で開催された日本癌治療学会で、医療分野におけるAIのセッションの座長を務めた。8演題の発表は、それぞれ興味深かった。しかし、発表を聞きながら感じたことは、日本は同じ失敗を繰り返して、30年を失ったのではないかということだ。
医学分野のゴールは、患者への還元、社会への還元だ。しかし、自戒を込めて振り返ると、還元していくためのインフラ整備をしっかりとしないままに過ごし、結果として、学会発表や論文発表がゴールとなってしまっている。多くの大御所が、基礎研究は大事だというが、基礎研究の成果を創薬につなげるシステムがなければ、日本からイノベーションは生まれない。
医療分野ではビッグデータを集める重要性は、長い間指摘されてきたが、具体的な手段・アクションがなければ戯言に終わってしまう。
今回の選挙でもそうだったが、所得を増やす、手取りを増やす、教育を無償化するなど、財源の議論もなく、喚き散らしているのと同じようなものだ。憲法9条を守ると言い続けている人もいたが、肝心なことは、憲法第9条を守ることではなく、国や国民を守ることだ。非武装中立論というメルヘンの世界からまったく脱却していない。これも周辺の脅威が全く見えていない、現実を直視しない戯言だ。
科学の世界を眺めても、国(省庁)の施策の失敗に対する反省がなければ、この国は浮かび上がることはできない。今回の自民党の大敗は、反省がなかったからだ。反省がなければ、同じ失敗を繰り返すのは必然だ。国の大型プロジェクトを客観的に評価し、なぜ、国全体の科学力が低下してきたのかを反省することがなければ、また、失敗するに決まっている。国の施策の評価は甘い。
最大の失敗例はAMEDだ。まずは、国全体として整えなければならない基盤的な技術、研究資材は長期的な計画のもとに整備すべきだったのだが、トップダウンで行うべき整備をしてこなかった。そして、すべて公募で平等に選考すると言いつつ、どこから見てもバイアスのある選考がなされてきた。これによって昔の徒弟制度の仕組みが復活し、なれ合い互助組合のようになったために、活力のある若者が少なくなってきたような気がする。
かつて、文部省が特定研究を推進した際には、平均点は低くとも、一人でも「この研究は面白そうだ」とまともな理由で選考に当たる研究者が強く支持すれば、採択されることがあった。評価者にも見識と矜持はあったし、責任を負っていた。もちろん、でたらめな評価者もいた。特定の大学の申請書にすべて5点満点をつけた評価者もいたが、そのような人は翌年から消えていたような気がする。今は、明らかに申請書を読んでいないと考えられるような評価をしても、責任が問われることがない。
日本の将来には、責任を背負っていく覚悟のある人材の育成が不可欠だ。そして、医療AIの話に戻す。魚を捕獲し、米を収穫し、おいしい果物を生産しても、道路・鉄道を含め、流通のインフラがなければ、当然ながら社会には還元されることはない。多くの医師・研究者が頑張って有用な医療AIを開発しても、インフラが整備されていなければ、それが全国津々浦々で活用されることはない。
国の活力にするためには、いつでも、どこでも、誰でもが、簡便に、安価で最先端の技術を利用できるためのインフラの整備が必要だ。こんな常識的な議論がないのは、先進国でこの国だけだ。
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編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2024年10月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。