総選挙での自民党の惨敗はいうまでもないが、連立パートナーである公明党も大きく後退した。小選挙区では11人の候補を立て、兵庫の2人、東京の1人は維持したが、大阪の4人、北海道、愛知の現職を落選させ、埼玉で新たに立候補した石井啓一代表が落選した。比例区は東海、中国、九州でひとつずつの議席を失った。
これを連立相手の自民党不振のあおりを受けただけなのか、公明党自身の凋落なのか、また、原因はなんだったかを少し考察してみよう。
長期的な退潮傾向とはいえない
党勢ということでは、比例代表選挙における得票率で見ることが適切だと思う。1996年の総選挙で小選挙区比例代表並立制が採用されたが、このときの選挙では、公明党からは新進党公認で出ていたから参考にならない。
そこで、森喜朗内閣で公明党が自公連立を組んでいた2000年の総選挙から、総得票数と得票率を列挙してみよう。
- 2000年(自公連立初回。776.2万票・12.97%)
- 2003年(873.3万票・14.78%)
- 2005年(郵政選挙。898.7万票・13.25%)
- 2009年(民主党政権成立。805.4万票・11.45%)
- 2012年(安倍政権誕生。731.4 万票・13.71%)
- 2017年(697.8万票・12.51%)
- 2021年(711.4万票・12.38%)
- 2024年(今回の裏金選挙。596.4万票・10.93%)
ということになる。
つまり、2003年の14.78%が最高で、その後は漸減傾向ということは確かだ。参議院選挙でも2004年の15.41%が最高なので、その点では一致している。
それでは、長期的な退潮の原因だが、意外に大きいのが政党が多くなったことだ。小沢一郎氏が2003年に民主党に加入し、2012年3月に離党するまでは、自民党と民主党という二大政党が並立する時代で、中道派の政党がほかになかった。
ところが2012年の総選挙で「日本維新の会」が国政に進出した。この維新の会の登場で、公明党は大阪などでかなり票を失ったし、その後の国民民主党やれいわ新選組の登場でも、影響をそれなりに受けている。
「比例は公明に」の声にも元気なく
また、今回の数値が自民党への不信の巻き添えなのかといえば、それでかなり説明できる。
上記の歴代選挙の数字をみると、民主党政権が誕生した2012年のときは、公明党への比例代表での得票率は13.2%減っており、今回は前回から12.38%減っているのだから、ほぼ同等である。
今回はもともと自民党支持だった層のかなりが、第一に裏金問題への対処の甘さに不満で、第二には自民党の票を減らして石破茂首相に退陣を迫りたいがゆえに、もっとも大きくは国民民主、さらに参政党、日本保守党、さらには維新や立憲民主党に流れたとみられる。
自公政権は維持したいが自民党には懲罰を加えたいから公明にという人もいないわけではなかったが少数だった。もちろん、重複比例の対象にならなかった裏金議員で公明への投票を呼びかけた人もいないわけではなかったが、それよりは、これまでは小選挙区で当選することに自信がある議員が、「比例は公明」といっていたのが、自分が比例で救済される可能性を考えて、「比例も自民」だったケースが多かったように見えた。
また、公明党支持者が比例での投票を呼びかけても、自民と組んでいる公明には投票したくないと説得に応じない人も多かった。
小選挙区での敗北の裏事情
議席では、2009年の時は、31議席から21議席に減少し、とくに小選挙区では太田昭広代表をはじめ、8議席すべてを失ったのだから、今回はそれよりはかなりましなほうだ。
その意味では、自公連立政権での地道は活躍や、政治改革について厳しい提案をして実現したことも意味がなかったわけでない。
また、大阪の4選挙区については、大阪市議会での協力関係をふまえて自民党のみならず維新も候補者を立てなかったもとでの議席だった。やはり裏金問題がなかったとしても、維新が対立候補を立てたら、少なくとも、2つの選挙区では極めて不利だっただろうし、残りも微妙だった。
その意味では、2選挙区では、裏金問題がなければもしかして勝てたかもしれないという程度の差だったことは、公明党の必死の巻き返しはそれなりに結果を出したのだというようにも見える。
一方、兵庫県では、維新が推していた斎藤元彦知事のパワハラ問題は、ある程度は維新に逆風だったと考えられ、次回が今回の勝利の延長線上にあるかは分からない。北海道は相手候補が立憲民主党だが、埼玉と愛知は国民民主党の候補で、国民民主党に突如として吹いたブームも大きな要因とみられる。
代表交代は影響したか
公明党は、選挙の直前に山口那津男代表から石井啓一代表に交代したわけだが、結果的にいえば、時期を間違ったということになる。
もともと山口代表は、三年前にも交代が取り沙汰されていたが、安倍首相襲撃事件などによる政治の不安定もあって見送られた。今回も、裏金問題での自民党の不人気もあって躊躇があったが、9人の候補による総裁選挙で自民党支持率も回復したのをみてチャンスだとみて交代したわけだが、裏目に出た。運が悪かったとしか言いようがない。
また、比例代表でなく、小選挙区での出馬をしたことや比例名簿に載せなかったことも、新しい選挙区が創出されるというチャンスだったとか、代表が比例当選者から出ることによる士気の低下を考えれば間違いとは言えない。
ここは、2009年に太田昭広代表の落選という危機を山口代表への交代で乗り切った経験があるのだから、克服することを期待したい。
自民の気ままな方針変更のとばっちり
いわゆる「裏金議員」を推薦などしたことについては、間違いなくイメージ低下になったが、それがどのくらいだったかは不明だ。
私は、裏金問題については、「常習的な駐車違反みたいなもの」といっている。これをあたかも巨大な利権が関与する贈収賄などと同レベルの犯罪のようにいうのはおかしい。また、使い道も例外的な議員を除いて私的流用していたとか言うことではないようだ。
しかし、清和会という21世紀になって三人の首相まで出した自民党最大派閥が、脳天気に不適切な不記載を組織的にしていたのはあきれたものだ。ところが、安倍首相が亡くなってからの清和会はリーダーシップを誰もとらず、きっちり分かりやすい責任の取り方をしなかったのであって、派閥の指示通り慣習的に誤った処理をしていただけの議員まで重複比例名簿に載せないのは、過去の不祥事と比べてアンバランスだった。
私は世の中でそれなりに納得される責任の取り方は、小泉純一郎、森喜朗という二人の元清和会会長にして元首相が、国民に詫びてそれなりの責任の取り方をすることと(引退しているが栄誉の事態など色々ある)、少人数の幹部の立候補辞退・公認辞退・重複比例名簿記載辞退(せいぜい10人程度)にして、早めに発表することかと思った。
ところが、もたもた様子見をして突然に大転換し、公明党とも協議することなく、あまりにも突然に広範囲の人数を排除してしまった。
これは公明党にとって極めて迷惑だったと思う。それぞれ地域で持ちつ持たれつの関係もあるし、有権者に対して非常にしっかりお詫びと説明をしている議員もそうでない議員もいる。
もし自民党が重複比例から排除した議員は、公明党に支援してもらわなくてよいというなら、それはそれでいい。しかし、そういうわけでなかったのだから、困ってしまっただろう。
そもそも、自民党が議員をどう線引きするかなどは、公明党と事前の協議があってしかるべき問題だったように見える。
国民民主との継続的な協力はやめたほうがいい
自公で過半数を割った後の国民民主党との協議については、103万円の壁の話については、公明党が問題にしてきており、社会保険の130万円の壁なども含めてかなり緻密な提案もしてきた。
それに対して国民民主党の単純で分かりやすいが、やや粗い提案を斬新な提案として、遡上に載せているのも腑に落ちない。
私は国民民主党、なかんずく玉木雄一郎代表の将来にはおおいに期待しているが、それは政権政党となるには無責任な立憲民主党などの勢力を侵食して、リベラル・左派の代表としてのもので、自民党に飽き足らない保守層に票を分ける存在としてではない。
もともと3分の2を窺う勢力をもっていた自公は、その回復を目指すべきで、自公と国民民主合わせて過半数を狙うような発想は根本的に間違っている。