「推し文化」が変えた政治とメディアのリテラシー

12月25日発売の『正論』2025年2月号に、「斎藤知事再選と「推し選挙」 その必然と危険」を寄稿しています。以下のnoteが好評で、ぜひ年内に出しておきたいと急遽お声がけいただきました。御礼申します。

疑惑の兵庫県知事を再選させた「見えない敗戦」|Yonaha Jun
11月17日の兵庫県知事選が、再選をめざした前職の「ゼロ打ち当確」に終わり、世相が騒然としている。むろん、当選した斎藤元彦氏がパワハラ疑惑の渦中の人だからである。 刑事被告人のまま米国大統領選に勝利した「トランプを思わせる」とか、斎藤バッシングが主流だったマスコミを「ネットメディアが覆した」とか、様々に言われているが...

「推し」の文化ってホントは、民主主義と相性悪いよね、とは、一見すると『正論』と真逆の朝日新聞で2021年の夏、延期された「コロナ禍での東京五輪」を控えた時期から言ってたんですよね(有料記事)。なので、今年の石丸・斎藤ブームを見て思いついたのではありません。

「タピオカ化」する日本の世論 歴史学者が見る新しい姿:朝日新聞デジタル
 世論に敏感とされる菅義偉政権が、東京五輪・パラリンピックの開催では、中止や延期を望む声が多かった「世論」を押し切った。「世論は間違える」と口を滑らせたブレーンの学者も出てきた。「世論」とは、いったい…

むしろ、私の関心は一貫しています。芸能をはじめとした「プライベートな趣味」の世界なら、推しの言うことが絶対! で生きていく人がいても自由で、それを他人が悪いとまでは言えない。

しかし政治家や、その意思決定に助言する「専門家」といったパブリックな、つまり趣味が違う人にも影響を与えちゃう存在を「推し」てはならない。そうした行為は、明確な悪である。

「私を嫌いでも、AKB48を嫌いにならないで!」が名言として美談になるのは、AKBが、嫌いなら単にスルーできる存在だからです。逆に、コロナ禍で過剰な自粛を煽って甚大な被害を出した人が、「8割おじさんを嫌いでも、理論疫学のことは嫌いにならないで!」で通るわけがないでしょ?

実際に諸外国ではそうした言い訳は、通っていません。むしろ歴史の再検証に基づき、処罰が始まっています(以下は米国の例)。

【感染対策規制】
連邦政府と州政府の感染対策は、高リスクな人々の保護を優先する代わりに、数百万ものアメリカ人に健康で幸せで経済的に健全な生活における重要な要素を放棄することを強いた。
【ワクチン】
約束されていたことに反し、ワクチンはウイルスの拡散や感染を予防しなかった。接種義務は個人の自由を踏みにじり、軍事的準備状態を損ねた。
【経済への影響】
16万以上の企業が閉鎖に追い込まれ、そのうちの60%は恒久的な清算へと追い込まれた。失業率は大恐慌以来のレベルまで急上昇した。
【学校休校】
長期にわたる学校の休校を正当化する科学は存在しなかった。子ども達は、歴史的な学習の遅れ、精神的苦痛、身体的健康の低下に見舞われた。

鈴木敏仁氏Twitter(2024.12.3)
強調は引用者

空気の共有では動けない分、徹底してすべてを文書化し歴史を共有することで、国家として存続し続けるのが腐ってもアメリカです。これに対して、日本は一見すると、色々とぬるい。

昭和のマジモンの戦争の際、「推し参謀」で投票したらセンターは辻政信だったでしょうが、戦後も実録ベストセラー作家として復権し、1959年の参院選では無所属なのに全国区で3位につけました。一度でも「推されちゃえばこっちのもの!」みたいな発想の人が、減らないのも国柄でしょうか(ヘッダーは、21年6月刊の拙著より)。

政治のような、無関心な人にも影響してしまう領域に、「推し」を持ち込んではいけないのです。逆にいうと、もし「推されて」キラキラしたいなら、政治にだけは関わっちゃいけない。

なぜ承認欲求のためにキラキラすると失敗するのか|Yonaha Jun
いま発売中の『週刊新潮』12月12日号に、JTさんのPR記事の形で1ページもののインタビューが載っています。連続企画の名前は「そういえば、さあ」で、私の回のタイトルは「ネガティヴさを許しあえる社会に」。 ずばり! イントロは「コロナでみんなが自粛しろと言って飲食店を閉めたので、逆に公園で外飲みするのが趣味になりました...

ところが世の中には、「政治で推される」のがいちばん儲かる、権力とのコネができて、公金も吸い上げられる、と考える人がいるんですねぇ。

平時には、政治に興味を持つ人ってあんまいないから、集客するのはむずかしい。でもコロナなり、ウクライナなりの「戦時」なら、一時的にみんながその話題限定で政治にがぶりつきますから、そこで推してもらえばウハウハだ、みたいな思考らしいんですなぁ。

メディアの側も、そうした人が「数字を取ってくれる」のは、ありがたい。だけど推されるために民意に合わせてるだけの人を、ずっと使い続ければ、遠からず現実とずれてくる。

『ウクライナ戦争は起こらなかった』|Yonaha Jun
フランスの現代思想家だったボードリヤールに、『湾岸戦争は起こらなかった』という有名な本がある。原著も訳書も1991年に出ているが、お得意のシミュラークル(いま風に言えばバーチャル・リアリティ)の概念を使って、同年に起きたばかりの戦争を論じたものだ。 ボードリヤールは当初、「戦争になるかもよ?」というブラフの応酬に留ま...

そうなっても「現実より推し! 事実よりカネ!」を続けると、どうなるのか。今回の『正論』では、こう記しています。

結果として、過剰な自粛・ワクチン政策から最大の被害を蒙った若年層は、メディアへの信頼を喪失し、リテラシーのあり方自体を変えてしまったように見える。

産経から朝日まで、幅広いメディアが一致した論調で報ずるのなら「本当だろう」と考える。これが従来のリテラシーだ。しかしコロナ禍の体験は、マスコミがみな同じ主張を言い出したら「逆に怪しい」と疑う感性を生み出した。

『正論』2025年2月号、138-9頁

それが様々な選挙での、「番狂わせ」の深層にある底流だと捉える視点は、今年のnoteで何度も書いてきました。

一方で、忘れるべきでないのは、次のことです。

気をつけたいのは、みんなが同じことを言い始めたら「警戒する」懐疑心自体は、ポピュリズムや全体主義を防ぐ上で健全なものでもあることだ。専門家の主張でも鵜呑みにせず、一度は疑って調べる「反知性主義」が、実際には知性の証明なのと同じである。

問題はそうした現状への不信が、特定の「推し」なる少数者への依存に帰着する点にある。市民どうしが互いに信頼し、議論しあうのではなく、「カリスマの躍進を自分の躍進だと錯覚して、自己実現します」というあり方はカルトであって、民主主義ではない。

139頁

この国で広がるニヒリズムには、理由がある。散々まちがった民意を煽った人たちが、いまごろ焦って「ネットを信じる若者はバカ。伝統と信頼のオールドメディア!」と叫んでも、失った信用は戻ってきません。

一方で「マスゴミ」を疑うことを覚えた若年層が、より怪しい詐欺師をネットで見つけて「推し」始めるだけなら、状況はもっと悪化する。それならいったい、どうすればいいのか?

答えとまではいきませんがヒントは、論考の末尾にしっかり記せたと思っております。2025年を希望のある年にするために、ぜひ年越しには最新号の『正論』を、手繰っていただければ幸いです!

参考記事:

「バーチャルな戦争」の時代に見つめ直す「参謀」の真価:與那覇潤 | ブックハンティング | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
前田啓介『昭和の参謀』(講談社現代新書) 令和の世相から痛感するのは、日本人は「バーチャルな戦争」が大好きだということだ。新型コロナが流行すれば「ウイルスとの戦争」だと言い募り、ロシアが開戦するや…
コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった(與那覇 潤) @gendai_biz
「コロナうつ」の発生を懸念する記事が目立つこのごろだが、重度のうつの体験がある私も実際に具合が悪い。もっともこの異常な状況下で元気がよいのは、メディアをジャックする「貴重な機会」を掴んだ一部の(自称を含む)専門家くらいのもので、仮に緊急事態宣言が解除されたところで、自粛要請が生み出した沈鬱な世相は容易に元へは戻らない。
「読み書き」するほど賢くなくなる人は、どこが問題なのか|Yonaha Jun
ぼくも隔月で載せていただいている『文藝春秋』の書評欄で、平山周吉さんが、その月でイチ推しの新書を紹介するコラムを持っている。 もうすぐ次の号が出ちゃうのだが、11月号では「大げさに言えば、「国民必携の新書」」として、佐藤卓己先生の『あいまいさに耐える ネガティブ・リテラシーのすすめ』を挙げていた。民主党への政権交代が...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年12月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。