戦後80年を「キャンセルをやめる年」に

あけましておめでとうございます。去年の師走に「2020年代の前半」が終わるという観点で、私たちの生きてきた時代を振り返るインタビューを出していただいたのですが、いよいよ2020年代も後半戦です。

世界は無根拠、だけど怖くない 與那覇潤氏インタビュー - 教育図書
アメリカでトランプ氏が再び大統領に選ばれ、日本では新たな総理が誕生しました。「公共」科目が始まった2020年代前半を振り返ると、コロナ禍のロックダウン、ウクライナ戦争、パレスチナ紛争をめぐる議論など、これまで「正解」とさ

一方で2025年は、日本人にとって戦後80年であり、昭和100年でもある。8月の半ばまでは、にわかに「歴史に学ぶことが大切だ」とモットモラシーお喋りを始める人が大量発生し、その後に急減することが予想されます。

天気や景気の長期予報風にいうと、一時的な歴史のインフレが今年の前半を襲う見込みです。その後の暴落が確実な怪しい物件に手を出さないために、今日はあらかじめ歴史のニセモノの見分け方をご教示しましょう。

ホンモノとニセモノはどう見分けるか|Yonaha Jun
時事通信社が運営する「時事ドットコム」に、拙稿「『ノット・フォー・ミー』が分断を和らげる」が掲載されました。会員限定の記事ですが、登録・講読は無料で可能とのことです。 概要が伝わるように、節タイトルを目次として列記するとこんな感じ。全体で3000字くらいの短い論説です。 ・「控えめ」な人こそが本当は強い ・令和の...

まず、その人の①新型コロナウィルス禍での言動をチェックしましょう。戦後最も「戦時下」に似た社会が出現し、実際にウィルスとの「戦争だ!」と煽られた2020年代の前半、そうした戦時体制の再来は「おかしいよ」と声をあげなかった人が25年に何を言おうと、ニセモノです。

2020年の5月、最初の緊急事態宣言が明ける前から、ホンモノは以下のように歴史を語っていました。5年も経ってから「戦争の歴史に学ぼう」と言い出す後出しジャンケンに、なにひとつ相手にする値打ちはありません。

コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった(與那覇 潤) @gendai_biz
「コロナうつ」の発生を懸念する記事が目立つこのごろだが、重度のうつの体験がある私も実際に具合が悪い。もっともこの異常な状況下で元気がよいのは、メディアをジャックする「貴重な機会」を掴んだ一部の(自称を含む)専門家くらいのもので、仮に緊急事態宣言が解除されたところで、自粛要請が生み出した沈鬱な世相は容易に元へは戻らない。

次に、後出しも後出しで②かつての歴史の語りに対して「道徳的な優位」を誇る論調に気をつけましょう。従来の歴史にはあれやこれやの要素が欠けており、「限界がある」からダメなもので、そうした意識の高い指摘のできる私カッケー!! みたいな人たちは、ニセモノです。

「完璧な時代」なるものがあり得ない以上、どんな時代にも当時の社会に応じた限界があり、それはいまという時代も同じなのです。なぜ、あたかも「いま」だけは限界がないかのように振る舞い、過去を裁断できるのか?

それは本人が歴史を生きていない、つまりニセモノだからです。昨年末、クリスマスの記事を読んだ方から「ライト兄弟の飛行機に、『性能が悪かったから無価値』とケチをつけるような歴史観が増えましたね」とのコメントをいただきましたが、まさしく然りですね。

「彼らはクリスマスだと知っているのだろうか?」|Yonaha Jun
バンド・エイドをご記憶だろうか。救急用品の名前にかけてあるけど、「バンドが助ける」の意味でBand Aid。1984年の12月、エチオピア食糧危機の救済のために、当時の英国ポップス界の人気者が集まり、”Do They Know It's Christmas ?” というチャリティ・シングルを出した。 アフリカを応...

同じ記事に対して、去年もシラスのチャンネルでお世話になった翼駿馬(ホルダンモリ)さんが、嬉しい応答を書いてくれました。実は採り上げられてる曲、CDで持ってるのですが、ここまで詳しくは知りませんでした。

サンシティでなんかプレイしないぜ|翼駿馬
クリスマスに合わせて、與那覇潤さんがとてもいい記事をアップしている。  この記事は、かつて話題になったBand Aidというチャリティ企画に関するものだ。このBand Aidの商業的成功は他の企画への呼び水となった。私もこのBand Aidの曲やその後の、この記事で取り上げる企画をリアルタイムで聞いていたし、ちょうど...

かつて、南アフリカには人種隔離政策「アパルトヘイト」により、白人と非白人が法的に差別されていた。
(中 略)
サンシティは、南アフリカの高級リゾートで、当時は白人専用だった。このサンシティでのライブは、高額のギャランティが支払われるということで、その金に惹きつけられたアーティストがこぞって公演をしていた。
南アフリカの人種隔離政策に疑問を抱いていたSteve Van Zandtは、Peter Gabrielの”Biko”を聴いてインスパイアされ、「オレはサンシティでなんかプレイしないぜ!」という極めてストレートな歌詞の曲を書いたのである。

翼駿馬氏note(2024.12.24)
段落を改変し、
強調とリンクは引用者

翼駿馬さんの記事でも示唆されているとおり、アパルトヘイトに抗議するチャリティだったこの曲がカッコいいのは、あくまで「オレはプレイしないぜ!」で集まってるところですよね。

プレイするミュージシャンも、いるのかもしれない(ていうか、現にいた)。だけど、オレはしない。したいやつがするのは、オレは軽蔑するけど、その人の自由。そいつらがダサいって主張は、させてもらうけど。

この曲もまたチャリティ・ブームだった1985年の作品ですが、インターネットがまだない時代の方が、「著名人の政治運動」はずっと真剣でした。

資料室: 1978年のアカデミー賞授賞式(多様性とポリコレの前、いかに世界は真剣だったか)|Yonaha Jun
近年トラブル続きの米国のアカデミー賞が、今年も情けない次第になったことはよく知られている。3月10日の授賞式では、助演男優賞と主演女優賞の受賞者(ロバート・ダウニー・Jr とエマ・ストーン)が「アジア系のプレゼンターを無視した」として批判を浴びた。 皮肉なのは運営側の、ダイバーシティの象徴として「多様な人種からなる5...

むしろSNS時代のいまだったら、起きるのは――

「○○がサン・シティでプレイするって!」「信じられない」「膝から崩れ落ちました」「涙が止まらないのでもう仕事休みます」「とりあえず、#○○のサンシティ公演に抗議します」「○○界隈ってキモい」「おまえ5年前のツイートで○○聞いてるって言ってたよな今どう思うの?」「○○のフォロワーは全員レイシスト扱いでいい」「この店は○○のCDを入荷してます、置くのをやめるまでもう買いません」「サン・シティ的な発想はトランスジェンダー排除の場面でもよく見られる、つまりトランス差別者は○○と同じ」「オープンレター『サン・シティ的な文化を脱するために』」「署名しました!」「(○○のフォロワーだけど一緒に燃やされたくないんで)署名しました!!」「うおおおお俺たち意識タカーッ!!!」

はい、③確たる自分がないのを他人への攻撃や付和雷同でごまかす人は、ニセモノです。「歴史のインフレ」をめぐって警報が出ている今年は、戦争や昭和史を素材に上記の事態が起きますから、いまから注意しましょう。

こうしたニセモノたちが、あたかも自分が社会正義の実践者であるかのように錯覚する風潮は、たかだか20年代前半のコロナ禍での流行にすぎず、けっして古くからあるものではありません。変えられないものでもありません。

ホンモノは、自分で考える。そして、ここが大事なんだけど、ホンモノかどうかに学歴や専門は関係ない。昔のポップ・ミュージックの曲からだって、いくらでも深くこの世界の課題を捉えられるように、自分で考え抜く姿勢さえあるなら、学問と関係なくその人はホンモノである。

ホンモノは、オレはどうするかを考える。ニセモノのように徒党をなして他人を叩き、「キャンセル」を自分の成果だと錯覚したりしない。

いま、2020年代は折り返し地点。散々だった前半から挽回するために、なにより必要な一歩は、ここ5年間の軽薄な流行は「ニセモノ」だったという社会的な合意を、しっかり築くことでしょう。

戦後80年を「脱キャンセル・カルチャー」の年にできるよう、異論に臆せず、世相に阿らず、今年も執筆に励んでまいります。ご期待とご支援のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

(ヘッダーは1990年5月、互いを「キャンセル」せず、アパルトヘイト廃止に歩み出すマンデラとデクラーク。時事通信より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年1月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。