最近はあまり書かなくなりましたが、日本人論は私が好きな分野の一つです。特に世界の人と比べて日本人の特徴や弱点を考えるのは有効な自己分析だと考えています。諸外国と比べて日本の圧倒的特徴の一つが島国かつほぼ単一民族である点です。そのために日本の歴史だけを紐解いても非常にユニークな成り立ちであったと思います。
鎖国していた江戸時代、長崎だけが世界の入り口でそこはオランダが代理人のような形で存在していたと思います。江戸後期はオランダ語を学び、オランダを師と仰ぐような風潮がありましたが、黒船到来から開国のムードが出てくるとオランダ語を駆使した人々は江戸で英語の壁にぶち当たります。「彼らにはオランダ語を理解できる人はいないぞ」と。ここで語学的には一気に逆転現象が起きました。オランダ語から英語への世界です。
日本のことを一時、ガラパゴスと称することもありました。世界の主流に対して日本が独自のやり方に固執することで日本だけ通用する商品が生まれたことを揶揄します。典型的な例がかつての日本独自の携帯電話と現在も続く軽自動車とされます。なぜ、かつてはそのような商品がヒットしたのか、そしてなぜ新しいガラパゴス商品が最近は生まれにくくなったのでしょうか?
複合要因だと思います。ガラパゴス日本の消費パイが小さくなり続けていること、マーケティング手法がかつてのテレビ、ラジオ、新聞からよりパーソナライズされたSNSに転換していること、諸外国の情報や製品が手に入りやすくなり比較論がしやすくなったことはあるでしょう。
日本が日本国内だけを見ていた時代から着実に変化の兆しが見えるともいえます。
ところで日本の強みを3つだけ挙げよ、と言われたら私は改善力、勤勉さ、粘り強さだと思います。一つの商品開発に対してPDCAサイクルを廻して意見を出し合い、チーム一丸で全力で進める強さとも言えるでしょう。良さは溢れていると思います。
ではなぜ日本の商品が開花しにくいのでしょうか?海外に33年もいると消費活動で日本びいきばかりというわけにもいきません。目についたもの、気になるものは買いますが、ふと思うのは「日本の商品はどこに行った」であります。
酒屋に行けば店舗の6割はワインでビールが2割。それ以外のスピリッツが15%ぐらいで隅っこの方に日本と韓国と中国の酒が申し訳なさそうにまとめて置いてあります。日本酒が売れているというけれどワインのポピュラリティには足元にも及ばないのです。スーパーでインスタントラーメンといえば韓国と中国製が圧倒的主流です。たまに聞いたことがない日本の即席めんが大バーゲンで売っているので買って食べれば「あぁ、失敗した!」。これでは日本の即席めんに客は戻らないのです。
ラーメン店といえば日本なのに北米で即席めんはダメというのはどういうことか、客へのアピールが足りないか競争力が十分ではないことはあるでしょう。「ラーメン食べたきゃラーメン屋がある日本」と海外は違うのです。マーケットの研究とはそういうことではないかと考えています。
マーケティングでは各国の特性を知ったうえで各国の人が興味を持つメッセージを発信し続けることが商品やサービスの周知として最も重要だと考えています。
この表現力は海外向けに限ったことではありません。私は本業との関係もあり興味深く見てきたのですが、YouTubeで「有隣堂しか知らない世界」という番組があります。有隣堂は関東地区を中心に約40店舗ある老舗の書店でかつては私も神田神保町の店ではお世話になりました。その有隣堂が配信する同YouTube番組がめちゃくちゃ面白い。辛口コメントもあり、へぇと思わせる深い内容もありで登録者数は32万人。書店発信のチャンネルとしては異例でしかもどんどん登録者が増えています。今では書籍販売において「有隣堂効果」とも言えるべく同チャンネルで取り上げられた本が売れるというケースも出ているのです。
かつてみのもんたさんは昼の番組で視聴者の主婦の方々への影響力が抜群で、生鮮品などを取り上げ「〇〇がカラダにいい」というと夕方、生鮮品売り場からその商品が瞬間蒸発するという現象が頻発しました。あるいはジャパネットたかたは高田明氏のあの独特のかん高い声が売りで一世を風靡したと言えるでしょう。みのさんも高田さんも商品の表現力を上手にすることで消費者に全く違うパーセプションを提供することができたのです。
北米で豆腐が健康によい食品として普及させたのはクリントン夫人がラジオで「豆腐が健康にいいのよー。私、いつも食べているわ」と何気なくしゃべったことから火がついたのです。あるいはアメリカでは結構有名なヨシダソースの創業者、吉田潤喜氏の講演会に行った時、氏は売れないソースを売るためにどうしたらよいかと考えた挙句、コストコの試供品コーナーで吉田氏自身が立ち、おもろいことをしゃべりながら試食させて売り上げが急増したと述べていました。こうみると、もしも高田明さんが北米でジャパネットをやったらどうなっていただろうと思うことすらあるのです。
私は日本の商品は日本人が開発し、日本人が利用するという狭いマーケットでいまだに自己完結していると思うのです。鎖国とまでは言わないけれど、知りたきゃ自分で調べな的なところはあります。でも海外の人は全く知らないのです。日本人は言わなくても理解するし、勝手にSNSで盛り上がってくれます。しかし、こちらではこれでもか、と発信し続けることでしか市場を大きくすることができないのです。
私どもは書籍のイベント出店を年5ー6回やっていますが、出店仲間には毎週、そして2か所掛け持ちという強者も結構います。ある方はSUVに商品を積めるだけ積んで1000キロ離れたカルガリーまで行商に行く方や、飛行機に5時間乗ってトロントにまで出店しに行く人たちも何人か知っています。彼らは自社で扱う商品をいかに知ってもらうか、SNSという手段だけではなく、出店を通じて手に取ってもらい、試食し、リピーターになってもらうという努力をしているのです。
その中には私が完全にハマった「食べるラー油」屋もあります。日本で売っているそれとは全く違う商品で、それを製造販売するオーナーの日本人の奥様には「これ、日本で売ろうよ」と一生懸命持ち掛けています。この店も昔は試食する人ばかりで買う人はポツポツだったのが最近はどんどん商品が売れています。思うに商品が売れている店の共通点は店主ないし店員の熱意です。そして一生懸命商品のアピールをする、それに対して消費者は「そうなんだー」とインプットされるのです。
そういう意味で海外における日本の存在感の薄さの一つはもしかしたら日本製は良いという自負が強すぎて殿様商売になってやしないかな、と思うこともあるのです。輸出者である日本の会社が現地の販売代理店にまかせっきりで自分たちで売ろうという意識を持っていない気がするのです。
2024年はSNSの時代だったと思います。2025年はあえて表現力の時代と言いたいと思います。海外の市場に合わせてどぶ板営業に近い地道な努力こそが案外勝者への早道のような気がします。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年1月3日の記事より転載させていただきました。