医療崩壊は、医療従事者の負担過多や市民の医療の過剰利用によって悪化している。静岡県での医療事故や不適切な救急利用の事例は、日本の医療制度の限界を明確に示している。医療資源の適正利用と、市民の意識改革が急務であり、かかりつけ医制度や制度的規制の導入が解決策として期待される。
医療崩壊、特に救急医療崩壊、産科医療崩壊が言われて久しい。小児科医不足も医療現場で言われて久しい。年末年始にかけて、それらを裏付けるような医療事故や記事が複数見受けられた。
昨年、令和6年12月末、静岡県富士吉田市立病院で筋ジストロフィーと想われる30代患者の人工呼吸器が外れたが職員が気付かず死亡した、という医療事故が報道された。患者は新型コロナで入院中だったという。人工呼吸器といっても近年は睡眠時無呼吸症候群の治療に使われる、CPAPと呼ばれる鼻マスク式の簡易型呼吸器だったようだ。
年明けには「今の日本の医療あるある」な記事が連続した。ひとつは「子供が発熱や関節痛腹痛なので救急病院に120回以上も電話したが受け入れてもらえず、さらに救急車も何度も電話し搬送してもらった。インフルエンザだった」。もうひとつは「大病院を予約したら、3時間待ちで診察2分、検査もたらいまわしで何時間も待たされた」というもの。
急病でも救急病院を受診できない。「医療崩壊、救急医療崩壊」している。問題は、その原因である。そして「死亡事故、あってはならない医療ミス」が発生する。その原因である。
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筋ジストロフィーは多数の病型があるが、呼吸麻痺を起こすものもあり、その場合人工呼吸器を使用する。従来はのどぼとけの下の気管を切開し直接呼吸の管を入れたが、近年は鼻マスク式呼吸器の性能が向上し、体を傷つけないこと、声が出せること(気管切開すると声が出なくなる)というメリットのため、難病でも使われる。
マスクは密着式で、外れたり漏れないように数本のベルトでがっちり頭に固定する。睡眠時無呼吸なら外れても自力呼吸できるが、難病で呼吸麻痺があれば、外れれば呼吸困難になり死亡もあり得る。
問題は「なぜマスクがはずれ、何十分も気付かなかったか」である。病院全体としてはさまざまな機能認定を受けており、専門看護師や認定看護師も配置していることから、本来は十分な機能を持つ病院と言える。
当該病院の公表書面でも詳細は触れられていないが、この病院にはいわゆる急性期病床の他に療養病床があり、地域包括ケア病棟・回復期リハビリテーション病棟として運用されている。これはいわゆる老人病棟(以後そのように略)である。その違いは看護師配置にある。
急性期では7:1、つまり患者7人に対し1名の看護師を配置するが、老人病棟では13:1、つまり半分の配置になる。それだけ目と手が行き届かなくなる。
高度で煩雑な医療が必要ない患者が対象であるためで、本来は合理的である。当該病院は310床で6病棟あるので(ICU等除く)、一病棟あたりざっと50床、7:1なら日中は7人の看護師が居ることになるが、老人病棟では4人居るかどうかとなる。手術や検査、入浴介助やリハビリに同行したりもするので、全員病棟内に居るとは限らない。
筋ジストロフィー等の進行性・回復困難な難病の場合、介護負担軽減や体調悪化時に一時的に入院することも多い。その場合、生命に緊急の危険が無い場合も多く、急性期病棟ではない上記「老人病棟」入院もあり得る。今回新型コロナとのことで、ハイリスクなので念のための入院観察だった可能性がある。もし重篤な肺炎なら気管切開での人工呼吸器が必要だが、そうではなかった。
今や急性期病床でも入院患者はほとんどが高齢者だ。老人病棟で受け入れる患者とは、多くが要介護者や認知症患者である。認知症患者に点滴などの医療を行うことは「介護(医療)への抵抗」から困難なことが多い。オムツや便をいじり自身や周囲を汚染したり、徘徊する等の症状もあり、複数名での対応が必要なことも多い。
50床・人に看護師4人で2人が認知症等の対応に駆り出されれば、残りは2人しかいない。ナースステーションに誰も居ないことは日常的、遠くのアラームは個室化も進んでいる現在では、聞こえない。
鼻マスク式呼吸器は簡易型であり、病院が使用することは少ない。患者の疾患からみて、日常利用していた持ち込み品であろうから、アラーム音はスタッフには聞きなれていないものになる。病棟内での使用を前提とした人工呼吸器は大音響のアラームを発するが、家庭内用の機種はうるさいので音量が小さい。このあたりが今回事故の背景と想われる。
問題はこれからである。患者はまだ若く、適切な治療や呼吸器利用でまだ少なからず生存できる可能性はあったかもしれない。ただし自力での生命維持は既に困難になっていた、その意味では延命治療で「生かされていた」とも言える。
これを医療ミスだ賠償せよと訴訟することは容易く、ある程度の賠償が認められるだろう。また当時勤務していた看護師、主治医、病院長さらに開設者の富士吉田市長は、業務上過失致死として刑事告訴され得る。遺族感情としては、処罰と賠償を求めたいことだろう。
しかし産科医療崩壊を引き起こした、福島県の大野病院事件を思い起こすべきだ。「もし、こうしていたら」というifの論理で過失を追求することは可能だが、その結果は医療者の委縮と嫌厭を招き「立ち去り型サボタージュ」を全国的に引き起こした。今も産科医は非常に不足し、各地で産科医療統廃合せざるを得なくなっている。一人の被害者の怒りが、全国民に不利益を与えたことになる。
今の日本では皆保険で気軽に受診でき寿命は延長し、「病院にかかれば治る」と皆当たり前に想っている。しかし現実は必ずいつか人は死ぬ、治らないこともある。
医療には不確実性が必ず存在する。それを忘れて「確実性、絶対治すこと」を要求すれば、医療側は逃げるしかない。最近話題の新人医師が労多くして報われないならと美容外科に行ってしまう「直美」も、その表れとも言える。
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年明けYahoo!トップに掲載された記事は、おそらく20歳前後の「娘」が年末から発熱と関節痛、少し良くなったのでおせちを食べ入浴したら悪化し、病院に電話120回以上119も何度もかけて、結果はインフルエンザ、というものだった。筆者は発熱外来にも携わる外来看護師だが、率直に言って「医療の不適切利用」である。
発症は30日という。その時点なら各地医師会の休日診療所を受診すれば、迅速検査ですぐ診断処方できたはずである。実際ちょっと発熱した程度、軽い風邪症状でも発熱外来に「押し寄せてくる」。過剰受診と想いつつ、確かにインフルエンザやコロナも多い。結果的には先手必勝で軽症化する。まずここで判断ミスである。
当該記事の筆者は報道関係者とのことなので、インフルエンザが大流行していること程度は知っていたはず、コロナも発生しているが、若く健康なら自然治癒することも知っていて当然である。ならば正月明けまで自宅静養させるべきだった。ところが「保存食」であるおせちを好きに食べさせ、体調不良なのに入浴させた。全く療養になっていない。
挙句病院に120回以上電話。規模によるが病院の外線回線は数回線しかない。オペレーターは一人か、事務員や当直医療者が対応する。電話回線を輻輳させ、医療関係者の業務を妨害したことになる。さらには救急車まで出動させ、そのせいで本来救命すべき心筋梗塞や脳梗塞その他「一刻を争う人」の医療を妨害し誰かの命を危機に晒したことになる。まさに医療の不適切利用だ。
ちなみに当該記事の筆者がどうか不明だが、多くの自治体は「ひとり親医療」で医療費無料や低額にしている。ところがこれが「ゼロ価格効果」として医療の不適切利用を増長しているのではという調査研究もある。
救急医療崩壊、救急車の不適切利用が問題視されてもう20年近い。救急搬送者の半数以上が「必要性が無い軽症者」で、中にはタクシー代わりや待ちたくないからと呼ぶモラルハザードも多いという。そのため救急車の出動回数は増加一方、到着時間はどんどん遅くなっている。本当に救命が必要な人を、助けに行けなくなっている。
そのため昨年あたりから、一部自治体は軽症診断された場合の救急車有料化や、119番での出動拒否の導入を開始している。119番する人が非常識、不道徳なら、規制はやむを得ない。
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もうひとつの年初の記事は、日本の医療の限界、フリーアクセスの限界と見直しの必要性を示唆している。
大学病院や一部の病院が選定療養費つまり紹介状無しで受診すると数千円の自己負担を追加するようになったが、相変わらず大病院志向は止まらない。寄らば大樹、何となく安心だからか。
医師一人が診察できる人数は限られる。一時間に患者が10人なら6分診察できるが、20人なら3分になってしまう。丁寧に診察して欲しいなら、皆が押しかける大病院に「行ってはいけない」。
記事では粉瘤とあったが、筆者の所属先含めて、気の利いた開業医なら日帰りで30分もあれば処置(手術)できる。小さなものなら初診診察その場でやって終了、もあり得る。記事の場合は紹介とのことで同情の余地があるが、「手術なら大きいところがいいです」などと言ってはいないか。そのように言われてしまうと、できるものでも「万一何か面倒になると嫌だな」と紹介して「投げてしまう」。
田中角栄政権時の老人医療費無料化以来、高齢者医療や小児医療はタダ同然に近い。さらに「受診は自由」フリーアクセスゆえに病院ショッピング、ドクターショッピングが横行する。中には十数種類の薬を処方され、何を飲んでいるか分からないという人も居る。
ポリファーマシー(多剤併用)の害が言われる近年だが、あちこちの医者にかかり沢山薬を飲み、具合が悪いとさらに別な医者病院でさらに薬をもらう。近年の研究では、かかる病院が増えるほど健康度が下がることも知られてきた。
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大学病院や大病院の使命は、開業医や市中病院では対応困難な症例への対応、高度医療提供である。救急医療の使命は、命が危うい人こそ助けることである。これが、フリーアクセスと安易な無料化、負担軽減によりモラルハザードを招き自壊を招いている。
かかりつけ医制の議論があるが、医師会の反発もあり進まない。高齢になると複数の専門性ある傷病を併発もするが、その人にとって一番大きな問題となる傷病は定まる。誰か一人に専属とせずとも、居住地域内開業医または小規模病院でのプライマリケア(初期医療)を義務づければ、問題は随分解決するのではないか。介護保険を利用するには、意見書を記載する主治医を求められるから、それでも良い。
筆者は北里大学出身だが、学生時代こんな「笑い話」があった。「相模原の人は市民病院が無いから北里が主治医だという人が多い。けど大学病院の外来医師は若手で2年もすれば交替するから、医師は自分が主治医だなんて思ってない」。部長あるいは講師クラス以上のベテランでなければ、大学病院や大病院で通常診療する医師は「若手」である。一方開業医の多くはベテラン専門医である。どちらの方が安心できるだろうか。
医療費削減のためでもあるが、セルフメディケーションが勧められている。正直、インフルエンザでも新型コロナでも、元来健康な現役世代なら、具合悪いのに病院受診し長々待って体力消耗するより、自宅で寝て好きなもの食べていた方がはるかに楽で自然回復する。
抗ウイルス薬は一日程度回復が早くなるかどうか、程度の効果でコスパは悪い。高齢者などハイリスク者や家族が居て、家族内感染リスクがあれば処方するが、そうでなければ市販薬と大差ない解熱剤と咳止め程度の処方である。そのために救急病院に120回以上電話し輻輳させ職員を振り回し挙句に救急車など「ヤメテクダサイ」というのが現場医療職の共通の本音だと想う。
一昨年筆者は介護職減少について投稿したが、昨年は地方各地で看護学校閉校の報道が相次いだ。少子化とはいえ、看護師志望者も減少している。医療も介護も、このままでは受けられなくなりかねないのだ。そうなってからでは遅い。
医療の利用の適正化を市民が自主的にしないなら、制度的規制を考えるべきだ。そして市民は病院、医療はいつでも気軽に「消費」するものではないし絶対治るわけでもない、それでも大切に護るべき有限の資源と認識すべきだ。
【参考記事】
- 呼吸器マスクのずれ、病院側が約90分間気づかず 男性患者が死亡:朝日新聞
- 異常知らせるアラームに90分間気づかず、人工呼吸器のマスクずれ男性死亡…コロナで入院中 : 読売新聞
- 【速報】30代の入院患者が死亡する医療事故 呼吸器マスクが外れる 約90分間アラームに気付かず
- 富士吉田市立病院
- 広報資料
- CPAPマスク レスメド社
- 正月に救急車で搬送された娘の診察結果「救急病院を予約するために120回時間をかえて電話」
- 子ども医療費「タダ」の落とし穴 ―医療需要における「ゼロ価格効果」を確認 | 日本の研究.com
- 手術のために大きい病院へ行く夫婦【3時間待って、診察が2分…】→再び病院に行った末に“おこった悲劇”とは
- 救急車呼んだが入院は不要→7700円を徴収へ 三重・松阪の3病院:朝日新聞
- 本県の救急医療の現状及び2024年12月2日(月曜日)からの救急搬送における選定療養費の徴収開始について
- 救急車の「実質的な有料化」、茨城県で開始 迷わずに呼ぶべき事例は:朝日新聞
- その通報、本当に119番ですか? 東京消防庁
- 呼んだのに「もうええわ」…救急車の不搬送2割! 全国で突出する大阪市 「ゴキブリこわい」で119も
- 高齢者のケアの分断を調査 Yokohama Original Medical Data Baseを用いた 横浜市75歳以上住民の全数調査を実施 | 日本の研究.com
- かかりつけ医を持っている人・いない人の特徴 ~コロナ禍の全国住民調査で社会的要因による格差が明らかに~ | 日本の研究.com
- 始まる介護崩壊。世代間扶助型社会保障の破綻から目を背けるな (筆者)