羽田衝突事故の経過報告書と『大空のサムライ』

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昨年12月25日、運輸安全委員会は1月に羽田で起きた衝突事故調査の経過報告書を公表。

事故は、

1)海上保安庁機が滑走路への進入許可を得たと認識
2) 管制官が海保機の進入に気付かず
3)日本航空機も海保機を認識せず

という3要因が重なったと指摘した(『読売』)。

2)も3)も重要なのは勿論だ。が、なぜ海保機が滑走路へ進入したのかということこそ、この事故の核心である。筆者は昨年1月11日の論考「保守主義の手法は既存を維持しながらの改革」で、いわゆる裏金問題とこの衝突事故に触れ、「改正を重ねた現行政治資金規正法の徹底遵守も、管制塔の交信に『否定語』を加えることも今直ぐにできる」と書いた。

前者では政治資金規正法が、リクルート事件(88年)を契機に選挙制度と政治資金制度の一体改革を図るべく、政治資金パーティー関連規制などの新設し(92年)、次に政党助成金の導入(94年)、更に日歯連事件に伴う寄付金の上限設定や透明化(05年)など幾多の改正を経て今日に至っているのに、また「政治刷新本部」を設けるとの自民党の姿勢を批判し、問題は「収支報告書への不記載」に尽きるのだから、先ずはそれ徹底せよ、と書いた。

後者では識者が、管制官とパイロットが音声ではなくデータでやりとりする仕組みや、全航空機の飛行情報を空港が共有して離着陸間隔を自動制御するシステムの研究開発も進んでいるので、時間も掛かるが、新技術の研究開発や導入に伴うコスト問題を世界が足並みを揃えて解決し、再発防止に向けて管制官やパイロットを支援する新技術の導入に繋げるべきと述べたことを紹介しつつ、先ずは管制塔の交信に「否定語」を加える早期に検討せよ、とした。

報告書には両機のボイスレコーダーの中身や海保機機長の証言が書いてあり、海保機が「管制官から滑走路への進入許可が出ていないのに許可を得たと認識したことが事故の要因の1つだと考えられる」と指摘している。『NHK WEB』にはこうある(以下、太字は筆者)。

管制官から滑走路手前の停止位置までの走行の指示と、離陸の順番が1番目だということを意味する「ナンバーワン」ということばを伝えられたとき、「『滑走路に入って待機してください。あなたの離陸順位は1番です』と言われたと思った」と話したということで、これを根拠に挙げています。

NHK記事にある両者のやり取りは次のようだ。報告書は、本来は滑走路への進入許可を受けた後に行う離陸前点検を、機長が副機長に離陸の順番を伝えられた直後に行うよう指示し、副機長が実施していたことも、機長の誤認を推察した理由に挙げている。

[午後5時45分14秒]
管制官「JA722A(海上保安庁機)、東京タワー、こんばんは。ナンバーワン。C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」

[午後5時45分18秒]
海保機副機長「滑走路停止位置C5に向かいます。ナンバーワン。ありがとう」

[午後5時45分21秒]
海保機機長「ナンバーワン」

[午後5時45分22秒]
海保機機長「C5」

[午後5時45分23秒]
海保機機長「問題なしね」

[午後5時45分24秒]
海保機副機長「はい、問題なしでーす」

[午後5時45分25秒]
海保機機長「はい、じゃあ、離陸前点検

またNHK記事に拠れば、海保機の機長は聞き取りに対し、基地とのやりとりに一部が重なるタイミングで「管制官から離陸の許可が出た」と話しており、さらに滑走路手前の停止位置を通過する際のことについては、副機長と共に「滑走路に入って待機」と復唱し、左右を確認して進入したと話しているとのことである。

上記の[午後5時45分18秒]までの両者のやり取りは事故発生直後に報じられていた。筆者はそれを読み、「もしあの時、管制塔が海保機に対して『滑走路に進入してはダメ』と付け加えていたら、海保機は『滑走路に進入しない』と復唱したはずだ」と、「否定語」を付け加えることの重要性を述べた。

そこで『大空のサムライ』のことになる。この撃墜王坂井三郎の手記は、67年5月に光人社から刊行された。撃墜数やその言動・指導振りなどには諸々批判もある。が、この種の手記に潤色は付き物だし、彼が高雄・台南から大陸を経てニューギニア・ラバウルと転戦し、ガナルカナルで重傷を負い、内地で療養しつつ部下を指導した後、再び出陣した硫黄島から報道班の横光利一と共に九七式飛行艇で横浜に戻ったその経歴は紛れもない。

筆者が本稿を書こうと思ったのは、坂井が37年に20歳で入隊した霞ヶ浦航空隊で教官から受けた訓練指導に「否定語」が溢れていたからだ。「三式二号初歩練習機」は複座で、前に教官が、後ろに練習生が乗る。後部席も計器や操縦稈など前と同じ仕様になっていて、練習生は教官の操縦振りを体感できる。前後の会話は「伝声管」を通じてされるが、そこで次のような「否定語」が連発されるのである。

<離陸時の地上走行時>

この位置まで機首を突っ込むんだ。水平線との関係位置を確かめろ。これ以上突っ込むと、ペラが地面を叩いて危ない。目標を忘れるな。この位置で自然に浮き上がるまで待て。無理に操縦稈を引き上げてはいけない。わかったか。

<水平飛行時>

地平線をしっかりつかんで、千鳥足にならないよう、また上がったり下がったりしないように、気を付けねばならない。

<エンスト対応>

離陸直後にエンストを起こしたら、飛行場に引き返すという考えは絶対に起してはならない。

死なないためにその状況で「絶対にしてはならない動作」を「否定語」で強く伝えているのである。あの時、羽田の管制官が海保機機長に伝えるべきことも「指示あるまで滑走路に入るな」であったに違いない。そうであったなら、機長は副機長と共に「滑走路に入らずに待機」と復唱していたに相違なく、事故は未然に防げたことだろう。

関連して昨年暮れに韓国務安空港で起きた航空機事故にも触れておく。坂井が、ガナルカナルで重傷負って帰国した傷が癒えて赴任した大村航空隊で、若い練習生を複座機で指導中に、油圧の油漏れで脚が出なくなる事態に陥った時のことが、『大空のサムライ』に書いてあるからだ。

坂井は練習生の手前動揺を隠し、先ずはまだ2時間以上飛び続けられる燃料のあることを確認した後、急上昇と急下降そして左右への横滑りを何度も何度も繰り返し、その反動を利用して脚を片方ずつ出すことに成功、無事着陸したというのだ。

他方、韓国の事故ではバードストライクに遭ったチェジュ航空機にはエマージェンシーサインが点灯し、2分間しか飛び続けられなかったという。従って、坂井が試みた様な脚出しどころか、何度か着陸をやり直す間すらなかったようだ。だが、コンクリの壁さえなければあんな大事故にならなかったのではとの疑問は残る。

このところTVのモーニングショーでも2度ばかり壁のことを取り上げていた。壁はその上にローカライザー(方位角表示施設)を設置するためのものであるという。コメンテーターらはもっと壊れ易い構造物にしておけば犠牲者が少なくて済んだかも知れぬと述べ、筆者も同感した。

が、「事故機と同型機を操縦の元操縦士『最高の胴体着陸だった』メディア指摘に反論」と題した1月7日の『朝鮮日報』の記事を読み、そしてGoogleで務安空港の航空写真を視認して、これらの疑問がほぼ氷解した。

記事には、元操縦士が「反対方向から進入した滑走路の中間に着陸を試みたことにつき、『最も近い滑走路に回って着陸を試みた』と話した」とある。片方のエンジンが故障して着陸しようとしたが、片脚しか出ていなかったので、両脚を出して着陸のやり直しをしようとしたところ、もう片方のエンジンも故障したので、止むを得ず旋回し「最も近い」「反対方向」の「滑走路の中間着陸を試みた」というのである。

なるほどGoogleの航空写真を見ると、務安空港は南から北へ向かって離着陸する仕様らしく、滑走路南端に件のコンクリ壁の様なものが確認でき、その北側200m辺りから300mほどタイヤの接地痕が黒々と続いている。反対側の滑走路北端にコンクリ壁はなく、その手前200mほどから南に200mほどタイヤ痕があるが、色が薄いので常用ではなさそうだ。

ならば確かに、逆方向から進入してコンクリ壁に激突することなど想定されていない。が、だからといって必要以上に堅固な壁をなぜ構築したのか、との疑問は消えない。尤もその類は身近にもある。例えばマンションベランダの隣戸との仕切りにも、「火事などの際、ここを破って下さい」などと書いてある。破れないと困るので、一度確かめてみようか。