コロナの頃、このブログで在宅勤務は生産性が下がると何度か申し上げたことがあります。当時、そんなことを言えばはたかれるような発言ですが、私はコロナから脱却すればいずれ出社せざるを得ないだろうと申し上げました。それに対して「俺は一生会社に行かない」「環境の良いところに家を買ったし」という声が続出したのも事実です。
今、出社への回帰はどんどん進んでいます。昨年、アマゾンが原則出社にしました。日本のアマゾンにお勤めの方が「社内からはブーイングが聞こえる」と言っていましたが、コロナ時期の対応が一時的なものだったと考えるべきでしょう。トランプ氏も政府関係者への出勤を命じています。もちろん、オンラインという便利な手法が確立されたのでそれがふさわしいケースでは臨機応変に利用すればよいだけの話で業務の効率化を考えれば出社にならざるを得ません。
企業がなぜ出社せよと言うのか、私はコロナの反動だけだとは思っていないのです。その間に急速に進んだIT化とAIの浸透が仕事のスタイルをすっかり変えてしまったのです。私は労働の質に関してはこの先、絶望的な状況に陥るだろうと予測しています。
日本で最近急速に広まる食べ放題形式の飲食店。その理由について様々な解説がありますが、多くは顧客目線でみた理由。ところが実体は従業員が集まらないので食べ放題にするしかないのでしょう。もちろん、食べ放題にしても従業員は必要ですが、会計は概ね一律金額で入店時の支払いが増えているので、スタッフは片付けに専念すればよいのです。極端な話、日本語ができなくても構わないぐらい労働の質は求められないのです。労働の質を求められないということは労働の質の改善はなされないということです。
私が入居するシェアオフィス。最近、ムカついているのです。かつては受付の方にモノを頼んだら気持ちよく引き受けてくれました。ミーティングルームの予約から来客時の案内までやってくれたのですが、最近はやりません。各種予約や事務手続きはオンラインでやってください、来客は客に直接電話して自分で呼び出せと。ではあなた方は何のために受付に座っているのでしょうか?2人いる受付嬢は朝から晩までほとんど駄話で終わりです。私は「なぜ?」と聞いたことがあるのですが、「会社の方針で全てオンラインで通すことになりました」と。彼女たちはオンラインで表示される顧客のリクエストや内容に従い作業を機械的にするだけなのです。これ、IT化が進み過ぎて機械に使われているだけと思いませんか?
私は日本でタクシーに乗る機会はあまりないのですが、乗った記憶の中で印象的なのは目的地を言うと運転手がナビに登録して「ではこちらのルートで走らせていただきます」と。なるほど、遠回りもしないし、交通渋滞も避けているので顧客目線のサービスとしては良くなっていますが、運転手は絶対に道を覚えないだろうな、という心配なのです。事実、先日、都内で待ち合わせをした相手が来ないのです。しばらくすると携帯にテキストが入り、「タクシーの運転手に全然違うところに連れていかれた。頭に来たので今から別のタクシーに乗り換えてそこに向かう」と。ちなみに待ち合わせは西麻布。連れていかれたのが芝だったそうで、いったいどうしてそういう間違いが起きるのか、想像できません。
カナダの税金に関する質問があり、私のビジネスパートナーが政府機関にメールで問い合わせたところ政府にしては珍しく1時間ぐらいで返事が返ってきました。内容を見るとこれがあまりにも素晴らしいパーフェクトなそしてしっかりした説明がなされています。一目見て「あぁ、これはAIが回答を作ったな」とわかりました。人間の表現にはもっとテイストがあって文章に粗があるのです。だけど完全無欠だとひねくれものの私には「人間味ないよなぁ」としか思えないです。
私が好きなYoutubeの番組があるのですが、最近、彼のトークが音声読み上げソフトになりました。声の質は似ているのですが、イントネーションがおかしいので10秒聞けば違和感満載になります。非常にがっかりでほとんど見なくなりました。Youtubeは動画配信者の個性が面白いのです。編集も大変だと思いますが、それをやっての価値なのです。皆さんの大好きな高橋洋一チャンネルが音声読み上げソフトに変わったら見ますか?そもそも画面は全く不必要な番組ですが、それでもそこに顔が出ているから見たくなるのでしょう。ラジオとは違いますよね。そこなのです、ポイントは。
効率化を求めるあまりITとAIが多用されています。顧客からすれば便利だし、わかりやすいことは確かなのです。しかし、労働する側は機械に使われているという意識があるのかないのか、画面の指示に従うという流れがより強くなってきています。これでは熟練という言葉は不必要になります。皆さんの給与は熟練度を不必要とするので一律いくらでもよいわけです。3年働いても5年働いても同じ時給や標準給与体系にしかなりません。
何が起きるか、といえば中間層の没落です。明らかに機械を使う人か機械に使われる人に分類される時代がやってきたということでしょう。やりがいがある仕事ではなく、自分の時間を提供することで報酬をもらう色合いがより強まるのです。少なくともこれをお読みの方は機械を使う方に残ってもらいたいと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年1月26日の記事より転載させていただきました。