リンクで倒れたボクサーに対し、レフリーは2人のボクサーの間に入ってレフリーストップをする。戦闘意欲を失ったボクサーに対し、これでもか、これでもかと戦い続ければ、レフリーだけではなく、観客もブーフィングし、戦いを止めるように促す。
イスラエルとパレスチナ自治区を実効支配してきたイスラム教過激テロ組織「ハマス」との戦いは2人のボクサーの試合のように、勝敗は既に明らかだ。ハマスは指導者を失い、多くの犠牲者を出している。そのガザ紛争を審判してきたレフリーは勝利者のイスラエルの手を取って、「貴方が勝った」と伝えるが、イスラエルは戦いをストップせず、戦い続ける。
イスラエル軍と「ハマス」の戦闘を審判してきたレフリーもリング下の傍観者も負傷するハマスメンバーやそのシンパ、戦場の犠牲者のパレスチナ人に同情し、戦いを続けるイスラエルへの批判を強める。一方、イスラエル側は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の活動を今月末までに停止するように関係の国連側に通達する。救援物資が途絶えれば、パレスチナ側の被害は更に増えることが予想され、国連を含む救援組織、中東諸国はイスラエルの対応を非人道的として批判のトーンを高める。
以上、2023年10月7日のハマスの「奇襲テロ」後のイスラエルとハマスとの状況だ。イスラエル側に同情してきた国際社会も既にパレスチナ側にその同情先を移動し、被害者だったイスラエルは久しく加害者として糾弾されてきた。国際刑事裁判所(ICC、本部ハーグ)は昨年11月21日、「ハマスを完全に壊滅するまで戦い続ける」と豪語したイスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相に対して戦争犯罪者として逮捕状を発布した。被害者と加害者の関係は見事までに逆転してしまった。ウクライナを軍事侵攻したロシアのプーチン大統領が同じように戦争犯罪者として逮捕状が発布されているが、ネタニヤス首相はそのプーチン氏と同列視されてしまった。フランスのマクロン大統領はイスラエルへの武器輸出を停止すべきだと言い出した、といった具合いだ。
ドイツのユダヤ人中央評議会ヨーゼフ・シュスター会長は「10月7日は世界的に反ユダヤ主義を引き起こす触媒として作用した。ハマスによるテロ攻撃の後に示されたイスラエルへの連帯は、すぐに崩れ始めた」と指摘している。同会長は2024年10月4日、南ドイツ新聞に対し「ハマスの攻撃後、イスラエル政府の政策への批判が、迅速にヨーロッパのユダヤ人全体に向けられた。これは非常に憂慮すべき事態だ」と述べている。
ドイツ民間ニュース専門局ntvのウェブサイトでヴォルフラーム・ヴァイマ―記者は「なぜ多くの左翼がイスラエルを憎むのか」をテーマに興味深い記事を掲載した。同記者は「カール・マルクスからグレタ・トゥーンベリに至るまで、150年間驚くべきことに、ユダヤ人に対する激しい憎悪が左翼運動のDNAの一部として存在している」と指摘し、「イスラエルに対する抗議はエスカレートしている。世界中のパレスチナ支持活動家や抗議する学生たちは、大声でイスラエルの存在権を否定し、文化人は舞台でガザにおけるイスラエル軍のジェノサイドを訴えている。イスラエル批判は初めはイスラム教徒が熱心だったが、今では左翼の支持者たちがその主導権を奪い、イスラエルを非難するケースが増えている。グレタ・トゥーンベリからジュディス・バトラーまでイスラエルを批判し、ますます露骨な反ユダヤ主義の様相を帯びてきた」と述べていた。
ちなみに、左翼の反ユダヤ主義は反資本主義と関連している。「労働者の天国」を掲げてきた左翼共産主義者は結局、世界の資本世界を牛耳っているユダヤ人資本家への戦闘を呼び掛けているわけだ。左翼にとって、パレスチナ紛争は自身の革命を推進するうえで不可欠な戦いであり、ユダヤ社会に支配されたパレスチナ人の解放運動(共産革命)ということになる。そのうえ、共産主義の革命論がヘーゲルの弁証法を逆転して構築(唯物弁証法)されているように、左翼の世界では常に被害者と加害者は逆転されるわけだ。
信頼性の高い動画「トラベリングイスラエル」は「結局は欧米社会はイスラエルを理解していない。戦いは最後まで徹底的に実行しなければ、相手は再び立ち上がり、イスラエルに攻撃を仕掛けてくるだろう。第1次世界大戦も中途半端だったので第2次大戦となった。ナチスドイツを徹底的に壊滅することで戦いを終えることが出来たのだ。同じように、徹底的にハマスを壊滅しない限り、ハマスは再びイスラエルを攻撃するだろう」と警告を発している。
イスラエルの「戦争論」は欧米社会の通常の「戦争論」とは違うわけだ。相手が白旗を挙げたり、相手の被害が甚大な場合、戦争当事国は停戦を模索する。しかし、イスラエル側は相手を完全に破らない限り、戦いを終えることはしない。イスラエルの戦争論には、神が祝福した領土、国を死守し、それを破る敵を絶対に許さないという考えが根底にあるからだ。神の名によって戦うイスラエルと、国益、領土などの利益のために戦争をする国とは最初からスタートラインが異なる。
ネタニヤフ首相はハマスの奇襲テロ直後、「アマレクを忘れるな」と国民に呼びかけた。「アマレクの蛮行を忘れるな」は旧約聖書「申命記」第25章17~18節に記述されている。アマレクは古代パレスチナの遊牧民族で、旧約聖書によると、イサクの長男エサウの孫エリファズの子だ。「あなたがエジプトから出てきた時、道でアマレクびとがあなたにしたことを記憶しなければならない。すなわち、彼らは道であなたに出会い、あなたがうみ疲れている時、うしろについてきていたすべての弱っている者を攻め撃った。このように彼らは神を恐れなかった」。
世俗化し、神を忘れてきた欧米社会は平和を久しく享受してきた。そして彼らの「戦争論」にはもは神云々といった大義や論理はない。あるとすれば、「民主主義」と「共通の価値観」といった曖昧なキャッチフレーズだけだ。ネタニヤフ首相がハマスを壊滅するまで戦い続けるといった時、西側の多くの知識人たちはイスラエルを「植民地時代の帝国主義の復活」と糾弾したことを思い出す。
イスラエルの「戦争論」は一見、ドイツの軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780-1831年)が「戦争論」で述べた「絶対戦争」の形態を見せているが、実際は、政治的、経済的、外交的な制約下での「現実戦争」と言うべきだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。