石破首相のガザ住民受け入れ表明の波紋

石破首相が、2月3日の国会答弁で、ガザの住民を日本で受け入れて、医療や教育分野の支援を提供する、と表明したことが、波紋を広げている。

衆院予算委員会で質問に答える石破首相 NHKより

多くの人々が、テロリスト組織ハマスの構成員である可能性のあるガザの人々を日本に受け入れるのは危険だ、と抗議しているようだ。

もちろんガザの人々の全てがテロリストではない。一般のガザの人々の過去1年余りの間の苦境を考えると、反対意見は、偏狭な意見のようにも感じる。

ただ、ガザの政治情勢が極めて複雑で厳しいものであることは、確かだ。公明党の岡本議員の質問と、それに答える石破首相の答弁が、極めて牧歌的な雰囲気のやり取りに感じられるものであったことが、かえって人々の不安をかき立てているところはあるだろう。

ガザの人々は、1968年の第三次中東戦争以来、イスラエルの苛烈な占領政策の下で暮らしてきた。2023年10月7日のはるか以前から、イスラエル企業に雇用されてイスラエル領に入ることを許可してもらうようなこと以外には、ガザから一歩たりとも外に出ることが許されない生活を数十年にわたって強いられてきた。ガザの人々が、外部世界に出てくるというのは、イスラエルがどのような理解でそれを許可するか、という点を含めて、極めて重大な行動であり、高度に政治的な話になる。

23年10月以降の苛烈な軍事作戦を通じて、イスラエルは、ガザの住民をエジプトに押し出してしまおうとしている態度を隠すことがなかった。ガザからパレスチナ人を追い出すことに成功すれば、イスラエルのガザ完全併合の完成だ。そうなれば入植活動が進んでいたヨルダン川西岸地域のイスラエルへの併合も、視野に入ってくるだろう。

このような動きは、明白な国際法違反である。思い付きで協力したりすべき事柄ではない。イスラエルの占領政策そのものが国際法違反であることは、国連総会決議のみならず、国際司法裁判所(ICJ)の判断などで、確認され続けている。イスラエルとアメリカを除く世界のほとんどの諸国や国際機関は、併合を受け入れない。住民を追放する「民族浄化」に該当する行為も、当然、国際法違反である。

アメリカのトランプ大統領が、エジプトとヨルダンにガザの住民を受け入れさせる、と宣言している。石破首相の国会答弁も、ガザのパレスチナ人を丸ごと移住させてしまいたいというトランプ大統領の意向を受けたものなのではないか、という憶測も流れる。

だが、強制的な住民移動は、国際法違反である。そんなことが許されるのであれば、あるいはそれが恒久的なパレスチナ問題の解決になるのであれば、過去半世紀以上にわたるガザの人々の苦境はありえなかった。周辺のアラブ諸国は、頑として、ガザの人々の移住を受け入れないだろう。

アメリカは、エジプトとヨルダンに、従来から多額の援助を提供している。トランプ政権は、おそらく援助の停止のムチと、援助の増額のアメを振りかざして、エジプトとヨルダン、あるいは他のアラブ諸国に圧力をかけていくだろう。

しかし200万人のガザの人々を恒久的に受け入れる負担は、トランプ政権期のアメリカからの援助の増額くらいで、解消されるようなものではない。

そもそもパレスチナ人を犠牲にして、イスラエルの占領・併合政策に協力した、ということになれば、アラブ諸国の現在の政権が持ちこたえられるのかわからない強烈な政治的突き上げが起こる。仮に援助の増減が大きな問題になるとしても、自分の政権の維持を犠牲にしてまで、イスラエルとアメリカのために、ガザからの強制住民移住に協力したい、などと考える周辺諸国は、皆無だ。

ガザにおける医療援助や教育機会提供のニーズは、大きな問題である。ただ本来は、ガザの人々が公平に享受する機会を得られる環境の促進を図るべきである。もし日本に連れてくるのであれば、なぜ日本に連れてくるのか、に関する理由付けが必要だ。

ガザの苦境に目をつぶり、ただ「日本人は善人です、善行をします」とトランプ大統領にアピールしたい、と願うことが、全世界で等しく好意的に解釈されるかどうかは、わからない。

イスラエルの常軌を逸した破壊行動を非難せず黙認しておいて、ガザの住民の移住を促進したいと表明することは、極めて高度に政治的な問題になる。単なる「楽しい日本」の「善人」の慈善活動の範囲で収まる問題ではない。

石破首相は、シリア難民受け入れの前例を踏襲したい、と意味不明な答弁も行った。しかしシリア難民受け入れは、戦禍を逃れてトルコやレバノンに到達していた人々が対象であった。難民キャンプから日本に来たのである。住民の強制移動が大きな政治問題になっている現在のガザとは、政治的事情が、全く違う。

そもそもシリア難民受け入れの際も、当時の安倍首相がG7会合等で、日本の難民受け入れ不足を他国に指摘されたところから始まった話だった。難民認定の特例を作ることを嫌う国内の勢力との折り合いをつけるため、国際公約としたシリア難民の受け入れを、「奨学金付き留学ビザの発給」という裏技で、乗り切った特異な事例だ。

確かにシリアのアサド政権が倒れた今、反アサド派であった「シリア難民=奨学金付き学生ビザの支給対象者」たちが、現在ダマスカスで権力を握る人々に通じる系統の人々であることが、意味を持ち始めている。だがこれはかなり偶発的な作用によるものである。そもそも現在に至っても、日本の政治的利益に合致する結果をもたらすのかどうかも、定かではない。

ガザの人々の受け入れにあたって、シリア難民の事例を繰り返す、という決意表明をするのは、的外れである。ガザの事情とシリアの事情が、全く異なるからだ。もし、「いや、的外れではない、政治的狙いがある」と言うのなら、それは、いずこかの国の体制転覆を視野に入れて政変後の人脈づくりをする行為だ、と内外に宣言することである。パレスチナ問題の文脈でそのような政治的制限をする覚悟が、石破首相にあるのか。

私はあらゆる場面で、ガザの人々の日本への入国を禁止するべきだとは思わない。日本に留学して学んだ人々が、パレスチナの未来を担っていくとしたら、どんなに素晴らしいだろうか。それが平和的に実現したら、もちろん日本の国益にも合致する。適切な人材に対して、必要性に合致した機会を提供することができるのであれば、それは日本にとっても望ましいことだ。

だがやみくもに情勢分析や政治判断を怠ったまま、ただただトランプ大統領にお世辞を言うことだけを念頭に置きながら、ガザの人々の移住に協力する意向を示してみたところで、本当に日本の国益が増進していくかは、はなはだ疑問である。

絶対にやってはいけないのは、ガザの平和な未来について共に悩むことを忌避しながら、小手先の「楽しい日本」を演出しようとしてしまうことである。

篠田英朗国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月2回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。