2021年春のオープンレター騒動の頃からSNSを騒がせてきた、「誹謗中傷の季節」が終わりを迎えつつある。とはいえ、ネットの誹謗中傷がなくなったり、減ったりしたわけではない。
まともな批判に「中傷だ!」と言い張って責任逃れをする人や、自分の加害行為には頬かむりして、被害を受けた時だけ「中傷された!」と喧伝する人が増えすぎて、「誹謗中傷!」と叫んでも以前のような共感を集めなくなった。よいか悪いかはともかく、そんな事態が進んでいる。
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1月23-24日
背景はこちらの記事も参照
大きな潮目になったのは、政治家が「誹謗中傷!」と訴え出る例が増えたことだ。もちろん相手が政治家であれ、中傷は許されないが、民主主義国の政治は異論があってなんぼのものだ。中傷扱いすることで、国民の批判を封じ込めようとしてませんか? と見る目が厳しくなる側面はある。
結果として「いま中傷された!」と「昔あなたもひどいことしただろ!」の、罵りあいになる例も増えているらしい。そんな経緯もあって、とある政党絡みの写真がふと目に入った。
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元は2014年8月のデモで、
問題になったのは2022年7月の
安倍氏暗殺後
……あ、トラウマの症状だな。
歴史の知識があれば、これを見て1956年のハンガリー動乱での「斬首されたスターリン像」を思い出すのは、難しくない(ヘッダー写真)。その時に受けた傷が尾を引いて、いつか「他の誰かにやり返したい!」と念じ続けた人が、冷戦終焉のだいぶ後まで残ってたんだなぁ、と遠い目になる。
そう思ったのは、今月刊の『表現者クライテリオン』3月号の鼎談に、ぼくのこうした発言が載っているからだ。辻田真佐憲さん・浜崎洋介さんと、昨年末に行ったイベントの再録(前編)である。
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気になるのは、〔伊藤隆氏が〕どう共産党を離党したかの語り方です。辻田さんの取材には、武装闘争を放棄した1955年の六全協がきっかけで辞めたと答えているけど、『歴史と私』では叙述が微妙に違う。
後者ではむしろ翌年のハンガリー動乱の際に、伊藤さんがハンガリーを支持してソ連を批判したところ、降格されるなど党内で叩かれた。それで共産党を見切ったという書き方になっています。共産主義は民族の自立や、市民の解放の側に立つと信じてきたのに、ソ連の「帝国主義」を肯定するのかという憤りに駆られたとも取れますよね。
86頁
算用数字に改め、強調を付与
伊藤隆氏といえば、実証的な昭和政治史の開拓者であると同時に、筋金入りの反共主義者だった。なんせ、通史シリーズの1冊として海外交流史を担当した『日本の内と外』(原著2001年)なんて、前半は明治のお雇い外国人とかふつうの話なのに、後半は文字どおり全部がコミンテルンとシベリア抑留である。そんな書き方あるか?
これはぼくの勘だけど、晩年の伊藤氏が辻田さんの取材で離党の経緯をぼかしたのは、ハンガリー事件までは共産主義を「信じていました」という話を、したくなかったんじゃないだろうか。
自分は本気だったからこそ、党も運動も堕落しきっていると知って、許せなくなった。だからその後は、アンチの急先鋒でやってきた。実はそうした生き方は、そんなに珍しくない。
村松剛という、ぼくの好きな文芸評論家も(伊藤さんと異なり、共産党員ではなかったが)同じだったことを、神谷光信さんの評伝で知った。三島由紀夫の親友で、後半生ではガチガチの反共・保守反動として知られ、自宅を極左セクトに放火されたり(!)した人である。
重引になるが、1957年1月の『新日本文学』で、その村松はこう書いた。
かつてナチスや日本軍は、民衆のパルティザン化にあい、どれが敵か見分けがつかなくなって、ついに徹底的な殺戮と破壊との「清郷」行為に出た。そしてますます、民衆の敵意をそそりたてた。立場こそちがえ、いま赤軍がこれと同様のことをしたのである。
(中 略)
直接の問題は、何といっても〔ハンガリーの〕国民全般の反共化にある。反共化にさせた発条はソビエトの政策だ。
(中 略)
反共化した大衆を武力で弾圧し、ブチ殺すことが、大衆を救う唯一のみちであり必要悪であるか。他の、もっと漸進的な方法があり得たはずだろう。困難であっても、それをさがし出すのが人民の政治家の義務である。
神谷光信『村松剛 保守派の昭和精神史』82頁
(初の評伝にして、名著です)
さて、こんなことを書いてきたのは、出ている雑誌の宣伝もあるけど、もっと大事な理由がある。
「本気だったからこそ、アンチになる」の対偶は、「アンチになる人が出ないなら、誰も本気ではなかった」。今回示したとおり前者は正しいので、論理学的に後者も正しく、反論はあり得ない。
たとえば「オープンレターを信じて署名したからこそ、逃亡し黙ったきりの責任者を許さない」という批判者が、いるだろうか? ご存じのとおり、誰もいない。なら署名しなきゃいいのに(笑)。
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「本気でウクライナを応援してきたから、なし崩しで停戦になるのを黙って見ているなら、ファンだった専門家でも許せない!」という人も、ほぼ見ない。アンチさえ出てこないということは、つまり本気じゃなかったのである。ウクライナなんてどうでもよかったのだ(笑えない)。
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私が目下の歴史学をバカにし続けるのは、ホンモノの歴史を信じるからこそ、ニセモノを殴り、蹴っているのである。辻田さん・浜崎さんとの鼎談のうち、伊藤隆氏を扱う箇所の補足として、そのことはぜひ伝えたい。
同じイベントでは、やはり昨年に亡くなった福田和也・西尾幹二の両氏も偲びつつ、あるべき歴史の紡ぎ方を議論している(以下、冒頭の無料動画もあり)。多くの方に届くなら幸いです!
参考記事:
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編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年2月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。