このところ米の高騰や品不足の話題が沸騰しているので、その原因やらのことを調べてみた。が、驚くことに、そもそも「正確な」米の物量、即ち生産量、供給量、需要量、そして在庫量の数字が見付からない。正しかろうと思われるのは「全国300余りの倉庫におよそ100万トン」(「NHK NEWS WEB」)あるとされる政府備蓄米の量ぐらいか。が、これとて「およそ」である。
同記事には、農水省は、去年収穫された米を前年比+18万トンの679万トンとみている一方、JAなど主な集荷業者が農家から買い集めた数量は216万トンで、前年比21万トン(約8%)下回っているとしている、とあり、同省が中小の集荷業者などがどの程度買い集めているか把握できていない、と書いてある。需用量に至っては6800余字の記事中に出てこないが、生産者、中間業者、小売業者、政府首脳、そして消費者などの声を報じているのは多とすべきか。
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Wako Megumi/iStock
筆者の「米」に対する問題認識は、消費の減少、コメ余り、減反政策、生産者の高齢化、大規模化の必要性、高い輸入関税、食糧安全保障の核心といったこと。なので、5kg2000円が4000円になっても、3人家族が月に20kg食べるとして8000円が16000円になる程度だから、それで農家が米作りを続けられるなら仕方がない、というものだった。
余談だが、江戸時代に百万石と称された加賀藩の米生産量を試算すると、米1石は2.5俵、1俵は60kgなので1石は150kgになり、それは大人1人が1食1合を3食として、1年間で食べる量だそうだから、加賀藩は百万人を抱えられたことになる。が、米1合を炊くと300g=茶碗2杯になるそうで、現代人はそうは食べまいから、前記の計算は江戸時代の約半分と置いている。
閑話休題。ネット検索すると「JA農協&農水省がいる限り“お米の値段”はどんどん上がる…スーパーにお米が戻っても手放しで喜べないワケ」と題する、元農水官僚の研究者が書いた論考があった。記事は勿論この方の主張なので、全てを鵜呑みには出来ないとしても、興味深いデータや見解が披瀝されている。
先の「NHKWEB」記事は、江藤農相が「正直なところ、上昇した価格が落ち着くことは当然期待している。価格は市場で決まるべきものだという考え方は変わっていないが、市場が正常化することを願っている」述べたとも報じている。石破総理も「(備蓄米放出により)コメの流通の目詰まりが解消し上昇した価格が落ち着くことを期待している」と述べたとある。
が、「上昇した価格が落ち着く」とは何たる言い回しか。「落ち着く」には「安定した状態になる」という意味はあっても、「値下がりする」という意味はない。はっきり「例年の水準まで下がる」となぜ言えないのか。が、ここでの論議はそれも絡むが、江藤氏の「価格は市場で決まるべきもの」との発言の方である。
元農水官僚氏の論の核心は、「政府の減反政策こそが米の逼迫と高騰の元凶」とするもの。即ち、政府が「米の需要が毎年10万トンずつ減る前提」で進めた減反政策によって供給が絞られるために、米価が、農相の言う「市場で決まるべきもの」にはなっていないというのである。周知の通り、モノの値段は需要と供給の関係で決まる。
農水省とJA農協がここ数年、農家に更なる減反を指導して来たことで、全農と卸売業者との取引価格は、60kg当り、21年産1万2804円、22年産1万3844円、23年産1万5306円とこの2年間で20%上昇し、10年ぶりの高値になった(24年度が速報で2万3000円になるとの記事もある)。元農水官僚氏は、米価上昇は「JA農協と農水省の筋書き通り」とまで述べている。
加えて元農水官僚氏は、「減反はJA農協発展の基礎」と述べ、「零細な兼業農家」は「農業所得の4倍以上に上る兼業収入をJAバンクに預金し」、また離農した農家も「農地を宅地等に転用・売却して得た膨大な利益もJAバンクに預金」したため、「JAは預金量100兆円を超すメガバンクに発展した」というのである。
俄か勉強の筆者に事の真相は判らない。が、食糧を含めた我が国の安全保障を盤石にするために必要な幾つかは知っている。その最たるものは、トランプのディールを見れば判る通り「国力」であり、それは経済力や軍事力や人口や民度などによって表される。資源の乏しい日本だが、幸い農・水産業は自給自足が可能であり、中でも主食の「米」は、元農水官僚氏によれば「減反を廃止すれば、1700万トン生産できる」そうだ。
そこで、筆者が本稿連載中の「昭和百年の礎:杉浦重剛のご進講“考”」の1914年10月1日の進講題目は「米」であった。連載では省いたその草稿をそっくり以下に紹介したい。
その心は、前述の「NHKWEB」記事に登場した政治家・生産者・流通業者・消費者の諸氏が草稿を読み、「米」についての理解を深く共有することが、現下の「米」問題の解決に繋がる気がするからだ。
杉浦重剛の「米」ご進講の草案
第六回御進講「米」 【大正三年十月一日】
米は我国にありては最も古い穀物なり。古典を按ずるに、皇祖天照大神、高天原を知ろしめし給ひける時、御田をつくらせ給ひしことは明瞭なる事実なり。而して皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を我が大八洲(おおやしま)に遣はされんとし給ひける時三種の神器を授けられ同時に稲穂を取りて與へられたり。天孫之を携へ来りて大八洲に播種せられければ、米穀能く登(みの)りて、瑞穂国の名あるに至りぬ。
されば歴代の天皇亦皇祖の御心をつぎて、農業を奨励し給ふことを怠らず。一例を挙ぐれば崇神天皇の如き、或は池を掘り、溝を穿ち、堤を築き、農業の進歩改良を図りて至らざる所なし。是れ農を以て立国の本とし給ひけるによりてなり。而して我が国の農業が米を以て其の首脳とすることは、殆ど言を須(もち)ゐざる所なり。故に新穀登る時は、之を神明に捧げて祭祀を行はせらるるを古来の風習とす。神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)の如き是なり。
神嘗祭は天皇が新穀を以て造れる神酒(みき)と神饌(みけ)とを伊勢大神宮に奉らせ給ふ儀式なり。
新嘗祭は天皇が其の年の新稲を神に奉らせ給ひ、且つ主上御自らも食し召し給ふ祭祀なり。
殊に大嘗会(だいじょうえ)は、天皇御即位式と同時に行はせらるる最も重大なる祭祀なり。即ち天皇新たに御位(みくらい)に即かせ給ひたる後、初めて新穀を以て天照大神及び天神地祇を奉祭し給うふとなり。故に先づ悠紀田(ゆきでん)、主基田(すきでん)の御定めありて、殊更神聖に作り上げたる米を供へさせらるるを法とし、以て報本反始*の意を表せらるるものなり。*ほうほんはんし:天地や祖先の恩に報いること
此の如く我が国は古来農業を重んじ、米を尊びて、以て立国の大本とせられしかば国民亦朝廷の御思召を体して、能く田を耕し、米を作ることに辛労を辞せざるなり。種蒔き、植ゑつけ、草取り、其の他幾多の手数を煩はして、然る後始めて食すべきの米を得るなり。毎年春より秋に亙りて農夫の労する所、実に思ひ及ばざるものあり。故に徳川時代に於ても、士農工商の階級を立つるに当り、農を以て士の次に居らしめたるは、是れ亦米を尊ぶが為めのみ。
農夫の辛労によりて得たる米は、能く我が国民の生命を支え、精神を養ひ、又一国の経済を立つ。更に少しく之を詳(つまびらか)に言はんに、我が国民必須の食物は古も今も依然として米なり。上は天皇の尊きも、下は一平民の卑しきも、忠臣も義士も皆米を食として以てその身を養へり。単に其の身体のみならず、又其の精神も養ひたるなり。加之、我が国の経済は米を以て最大要件とす。一年の収穫少きは四千万石、多きは五千余万石なれば、仮に之を四千五百万石と平均し、その値を算するに、一石十五円として六億七千万円を下らざるべし。我が国産にして此の如き多額の値を有するものは他に之れ有ることなし。
されば米の不作なる時は、国民挙って之を憂ひ、人気沈滞す。之に反して豊年には人々自ら心豊かに勇み立ちて、民情安らかなり。此の如く痛切に我が国情を支配するもの、又他に之れ有ることなし。一国の命脈は実に米に繋れりといふも、決して過言にはあらざるなり。今日欧州列国の大乱につきて考ふるに独逸の如きは僅々一二ヶ月にして早くも食料の欠乏を感じ、之が為に軍隊も国民も共に非常なる苦境に陥りつつあるは、我等の等しく聞く所なり。此くては縦令(たとへ)兵士の勇敢なるにもせよ、戦に於て最後の勝利を収むること難かるべし。我が国は古来農業奨励の結果として、国民の食物を国内に産出し得るは、国家の一大勢力たりというべし。欧州諸国にては多く米を産せず。亜細亜諸国には多量に之を出す所なきにしもあらざれども、其の質劣悪にして、到底我が国の米と比するには足らず。之に就きて左の如き一奇談あり。(中略)
米は実に我が帝国の宝なり。瑞穂国の名ある所以、国民の消長之に因る所以を知り且つ之を作り出す民の粒々辛苦の状をも知らせ給ひて、而して日々の膳羞に向はせ給はば、報本反始の念自ら起り、同時に国運、民情等につきても必ずや大に覚らせ給ふ所あるべしと信ず。
ドイツに触れているのは、ご進講の日が第一次大戦の開戦の翌月であったからだ。杉浦は「我が国は古来農業奨励の結果として、国民の食物を国内に産出し得るは、国家の一大勢力たりというべし」と続けて、米の自給自足が「国力」の源泉の一つと述べている。
石破総理には、「米の不作」と「豊作」は「痛切に我が国情を支配する」、「一国の命脈は実に米に繋(かか)れりといふも、決して過言にはあらざるなり」との杉浦の言を、しっかりと噛みしめてもらいたい。国民の多くは、貴方の考えている何倍も日々の生活に困窮していますよ。能書きは良いので、実行をして下さい。