水商売から資格取得、そして海外移住:異端の行政書士が語るサクセスストーリー

海外居住してリモートで仕事というと、エンジニアなどIT関係だけと思われがちです。しかし、海外移住する方の職業はIT関係に限りません。

そこで、ドメスティックと思われがちな行政書士の仕事をしつつドバイに居住している佐々木麻理子さんに話を聞いてみました。(インタビュー日:2025年1月6日)

※画像はイメージ(編集部)
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今の姿から想像しがたい、お金がなく「コミュ障」だった子ども時代!

――佐々木先生はドバイ在住の行政書士で、華やかな生活をおくるゴージャスなイメージが確立していますが、小さいころからキラキラして華やかな「陽キャ」だったのでしょうか?

佐々木麻理子行政書士(以下、佐々木):子供時代の私はその正反対、小学校・中学校時代、空気を読めず、人と話すのも苦手な、いわゆる「コミュ障」でした。

お金についても、中学・高校時代でさえ月の小遣いは500円で、「この中でやり繰りしなさい。」と言われて育ちました。父が、清く貧しくあるべきという考えを持っていたためです。

高校生のころから、友達とのコミュニケーションを取れるようになってきて、だんだん遊ぶためにお金が欲しくなってきました。最初は、荷物の仕分けのような単純作業をしたのですが、日給5,000円くらいでした。その後、渋谷でうろうろしていたら、声をかけられて、個室で座っている男性とお話をするだけで5,000円もらえるという、出会いカフェの仕事もやりました。でも、それ以上は手を出しませんでした。

大学時代、スナックとキャバクラで働きはじめて、一変!

佐々木:家が貧乏だったので、18歳から実家を出てパチンコ屋のバイトを時給1200円でしていました。しかし、学費と生活費が足りなくなり求人サイトを見ていたところ、時給2300円のスナックのバイトを見つけたのが人生の転機でした。

スナックのママは、私に水商売の経験が無いから使いやすいと思って、採用したのでしょう。夜8時から深夜1時くらいまで、週5日くらい仕事していました。

ところが、スナックの仕事に慣れてきたころ、私にバックするはずだったお金をスナックのママが横取りしていたことに気づいてしまいました。さらに、他の女の子から、「キャバクラに行けば、時給4,000円だよ」と誘われて、キャバクラに移りました。

大学卒業後も就職せず、キャバクラ勤めを続けていた!

――大学に全然通っている様子が無いですし、大学3年からは就職活動もしなくてはいけないのですが、大丈夫でしたか?

佐々木:大学の授業は全然出席しておらず、単位もギリギリでしたがそんなに学力の高い大学ではなかったので何とか留年して卒業しました。

一方、就職活動はやりませんでした。

大学3年になると、まわりの友人たちはみな、髪を上げてスーツを着て、就職活動を始めていました。でも、わたしは、もはや夜の生活が染みついてしまい早起きしてスーツを着て嫌な思いをしながら月20万円を稼ぐ意味を感じられませんでした。今にして思えば、会社で学ぶことの大切さに気付いていなかったと思います。

ベロベロで朝帰り、実家で父に「生きている価値が無いな」と言われ、キャバクラ勤めを辞めた

佐々木:26歳になった頃、母が病気になり実家に戻ったのですが、キャバクラ勤めを続けていました。

ところが、いつものようにベロベロで朝帰りして、家で転がっていたら、前から仲の悪かった父から、「お前は、毎日ベロベロで生きている価値が無いな。」と吐き捨てるように言われました。雷に打たれたような衝撃でした。

私はずっとモラハラ気質の父に虐げられてきたし、私には何もない。でも、何も無いなら、今から何かを作っていけばいい。と気づいて目の前が一気に晴れ渡ったんです。

父は宅建と行政書士の資格を持っていたので、自分も資格を取ろう、そうすれば水商売を辞めても食べていかれるだろう、と思い、その日の昼、本屋に行って宅建の本を買いました。

宅建試験は4か月の勉強で合格!

佐々木:最初のころは、入門書を2、3ページ読むのが限界でした。学校もろくに行かず、水商売に明け暮れて本を読むことが無かったもので。

そこで、宅建の試験が4か月後にあるから、試験という目標から逆算して、1日何ページずつ読もうとスケジュールを立てていき、これを1週間くらい続けたらペースができ始めました。

また、宅建の勉強を始めたことをFacebookに書き込んだら、高校時代の友人も宅建の勉強をしていることが分かり、一緒に勉強をするようになりました。

この、①目標からの逆算と②同じ目標を目指す仲間が大切ですね。

このころには、1か月前にできなかったことができるようになった!というように、日々、勉強を楽しめるようになってきました。

そのおかげで、4か月の勉強で、平成27年(2015年)の宅建試験に合格することができました。

司法書士試験にトライ!

――宅建の資格を使って仕事を始めました?

佐々木:宅建の資格を取っても、実務経験も何もなかったわたしは独立開業はできなくて、どこかに勤めるしかないです。

毎日朝8時からオフィスに行って仕事というのは、朝起きられない自分にはきついので、独立開業を目指して、司法書士試験も受けることにしました。

司法書士試験は半端な気持ちでは合格できないと思い、退路を断ちました。

店も辞めましたし、キャバ嬢には戻らない覚悟だったので、ブランド物やドレスをすべて捨てたり売ったりして、エルメスのバーキンを買おうと思っていたお金で予備校に行くことにしました。

それからは、水商売時代の人間関係もすっぱり絶って、本当に朝から晩まで、ストイックに勉強に集中していました。運動不足で太るといけないと思い、ダイエットもしていましたね。勉強時間は合計6300時間、体重も最後は40kgを切っていました。

水商売時代の人間関係は絶ったと言いましたけど、店が終わった後に車で送り迎えをしてくれる送り屋さんだけとは繋がっていて、時々ドライブに連れて行ってもらっていました。

司法書士試験に二回落ちて三回目を受ける前、「司法書士試験にまた落ちたらどうするの?行政書士試験は簡単だと言っていたんだから、受けてみなよ。」と、その送り屋さんに言われました。

行政書士試験を受けてみたところ、ギリギリで合格しました。司法書士試験は三回目も不合格だったので、本当に、行政書士試験が私を救ってくれました。

いきなり行政書士として独立開業

――一般的に、行政書士の資格を持っているだけで稼げている人は少ないと言われます。合格後、どうしました?

佐々木:その辺を全く考えていなかったんです。

持っているのは行政書士の資格だけで、事務作業なども一切できなかったわたしを雇ってくれる事務所はどこにもなく、未経験のまま独立しました。

行政書士の登録費用も無かったので、さきほどの水商売時代の送り屋さんに30万円を借りて、令和元年(2019年)12月、行政書士登録をしました。

行政書士会館と佐々木麻理子行政書士

許認可のサポートをするには経営者と知り合う必要があると考えて、経営者の会合に出るようになりました。

当時、33から34歳で、経験も無かったけれども、経営者の集まりに出席し続けるうち、彼らに飲みに誘われたりして、仕事を貰えるようになってきました。

年が明けて2020年になってから、コロナの影響で持続化給付金の申請の仕事を大量に受けるようになり、給付金申請を中心に、補助金や許認可などの仕事も入ってくるようになりました。1年目の年商が750万円、2年目の年商が3400万円でした。行政書士として良い線いっていると思います。

気持ちよい場所を求め、ドバイへ移住

――日本で行政書士として大成功しているのに、どういう経緯でドバイに移住したのですか?

佐々木:行政書士になって2、3年経った頃は、年300件以上も経営者交流会に参加し、朝起きるとLINEの通知が100件以上もあるような状況で、次第に精神的にきつくなってきました。

気分転換を兼ねて、フィリピンに行ったとき、ホテルのベランダで風に吹かれながら、自由になれる場所に行こうと思いました。

そこで、自由になれる場所を探し始め、フィリピンだけでなく、タイやマレーシアにも行きました。

そんな中、2022年7月、ドバイに1週間来たのですが、東南アジアとは違うクリーンさを感じたし、会った日本人が皆明るかったし、自分自身も居心地が良かったです。

何度か、足を運びながら、2024年6月、家も決めずにスーツケース1つでドバイに移住しました。

プールサイドでくつろぎながら仕事のリサーチをする佐々木麻理子行政書士

ドバイで行政書士の生活が成り立つのか?

――行政書士の資格を持って、ドバイでどのように仕事をしているんですか?

佐々木:日本に住んでいた頃から扱っていた主な業務は補助金申請業務ですが、ほぼ全てリモートでできます。

たしかに、日本国内の業務はゼロになりませんが、日本国内で作業してくれるアシスタントがいるので問題ありません。もともと、日本に住んでいた頃でも、外出するのは飲みに行くときくらいでしたし(笑)

――ドバイの生活コストは高くないでしょうか?

佐々木:スーパーマーケットで買うときの物価は、東京の1.2~2倍くらいでしょう。

外食は、ローカルな店で食べれば1人あたり1,000円くらいで食べられますが、海沿いのマリーナにある店などで食べたら、東京よりずっと高いですね。

いかにもドバイ、金箔つきの肉料理

家賃は、地域によって変わってきますけど、全般的に高いです。東京の表参道に住んでいるイメージでしょうか。1人暮らしならば、家賃20万円~50万円くらいからです。

ちなみに、まもなく、世界一高いブルジュハリファに引越を考えています。ブルジュハリファに住んでいる行政書士は、私以外に誰もいないはずです(インタビューの約1か月後、佐々木行政書士は、本当に、ブルジュハリファに引越したそうです!)。

ブルジュハリファ住民専用ラウンジからの夜景

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