真の資産運用とは、明確な資金使途のもとで、その使途の実現のために行われるものであって、使途の実現が必須だからこそ、そこに規律が働き、合理的で統制のとれたものになるのである。逆に、使途を欠き、投資のための投資となれば、合理性も統制もないもの、即ち、投機に堕すほかない。
個人の一生を通じて、手元資金は常に過不足の状況にあり、それを調整するのが金融機能なのであって、不足を補うのが住宅ローン等の融資なら、過剰を吸収するのが預金や投資信託なのだから、投資信託で運用される資金は、一定期間経過後に解約されて、消費に充当されることが予定されているのである。このことは、融資が弁済を予定しているのと全く同じである。
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AntonioGuillem/iStock
典型的な例は、金融庁のいう豊かな老後生活のための資産形成である。これは、極めて長い勤労期間中に、毎月、一定額を積立てていくことにより、投資対象の価格変動には時間分散で対処すると同時に、複数の投資信託を適切に組み合わせることで、世界経済全体に幅広く分散投資するものである。こうして、個人の投資は、遠い先の老後生活における豊かな消費に目的を定めることによって、理論に適った計画的で合理的なものになり得るわけである。
手元資金に余剰があっても、使途や消費時期が確定していなければ、合理的な投資計画は立てられないので、預金に滞留させるのが合理的だし、逆に、遠くない将来において、使途が確定しているのなら、やはり、預金に滞留させるのが合理的である。実は、個人貯蓄が預金に滞留するのは、多くの場合、それなりに理に適っているのである。
その理に適った預金保有に対して、投資信託を売りつけようとする金融機関の行動は、余暇をもて余す人に、競輪、競馬、パチンコを推奨するのと同じであって、顧客の利益に反している。なぜなら、資金の使途と使途の期日が決まっていなければ、投資は合理性と計画性を欠き、投資のための投資として、投機になってしまうからである。
もちろん、賢い顧客は投機しないから、預金への滞留額が多くなる。そこへ、金融機関として、強引に投資信託を販売しようとすれば、投機の押し売りとなり、非合理な感情や感覚に訴えざるを得ないことは必定であって、実際、ESGやSDGsなどの流行言葉を付しただけのもの、実質的な元本の取り崩しによって表層的な分配金の多さを謳うものなど、おかしげな投資信託が氾濫していて、顧客の利益に反する事態が蔓延しているわけである。
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森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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