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PeopleImages/iStock
日本の企業は真面目に環境保護を問題視し、SDGsは世界の潮流だと信じ切って、真面目に未だにそれらを会社のポリシーに掲げている。既に欧米諸国では時代遅れとされ、エネルギー産業、製造業等の中で、SDGsに傾倒したから経済活動が停滞している現状を問題視している企業と国家が増えてきた。
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Forbesのこの記事は、環境保護を優先してきた団体や企業にとっては青天の霹靂だったかもしれない。何せ、日本国内で環境保護を優先してきた企業は、それが良いことだと思っていたからだ。
そして、世界の潮流はSDGsが持つ何だか怪しげな団体やその理論の曖昧さに気づいた。どうやら良いことだと提唱してきたことが、実はそれほど科学的な裏付けも根拠もそれほど多くは無いことに気づいたのだ。では何故あれほどまでにSDGsに傾倒したのか?その裏側には利権構造があったからだ。ビジネスだったのだ。
もはやIT産業も飽和状態で、AIが新たなイノベーションとして認知され、製造業の主軸になるまでの間(実はAIも製造業全体の割合から言えばそれほど大きくはない)、皆、何か産業を衰退させないきっかけを欲しがっていた。
そんな時、地球は危険な状態にあり、温暖化が進み、森林は破壊されていると言う抒情的な危機観念が世界経済の停滞とともに人々の心の中に蔓延ったことで、目端の利く人々がビジネスにしようと考えた。それがSDGsだった。
ただSDGsの危険性も、ビジネスに関わる人々はよく分かっている。何でかって、SDGsのような偽善的な思想には、常に怪しい人たちが付き纏っているからだ。欧州各国でデモ活動をやってる集団は、よく聞く市民団体というやつで、日本では団体名を公表しない場合が多いが、欧州ではこれらの団体に数多くの税金が投入されていたことが問題視れている。環境保護やSDGsを謳い文句にした政党や企業がロビー活動を行い、法制化したことで環境保護団体への支援が急増した。
更に便乗するようにこれらの団体は北アフリカから海を渡ってヨーロッパ各国に来る不法移民への支援活動を行なっており、ヨーロッパ各国の国民の税金が不法移民という犯罪者への支援に使われてきたのだ。しかもこれら不法移民は保護対象と見做され入国した国でのパスポート取得への支援も行われてきた。
ヨーロッパではこんなバカバカしいやり方に嫌気がさしたから、保守政党の台頭が目立つようになったのだ。
環境保護だの人権重視だの言うのは、東浩紀氏の言うリベラルデモクラシーと言われる潮流で、これは2000年代に入ってからの潮流だった。先進国をはじめ主要国の経済が縮小し、デフレ傾向に向かう中、共存共生だとか地球のキャパ限界だとか言ったり、戦争の無い世の中を作る時代がやってきたなどと言ってた連中のことだ。
別にその主張があまちゃんだとか綺麗事などと言う気はない。そうじゃなくて、現実は真逆なのに美名に名を借りたかりそめの綺麗事を言ってる場合じゃねえだろ?と言うこと。
東浩紀氏はトランプの再登場による時代の変革を認識せよと警鐘を鳴らす。確かにその側面もあるけど、むしろ、好むと好まざるとに関わらずそう言う時代になったと言う現実を直視して、応変に対応すべきだと言う東氏の意見に共感する。
例えば日本じゃあ、クマが市街地に出てきて怪我人が出ていたりするのに、クマの生息域に入った人間のせいで、殺さず保護して山に返すべきだと自治体に電話しまくる人たちがいる。信じるものは救われるもので、彼らはおよそクマなんか縁の無い生活環境にいながら、野生のクマと共存しなければいけない人たちの現実から目を背けた一方的で身勝手な理屈を並べる。
幸か不幸か、野生のヒグマに何度か遭遇した経験のある私は、実際に野生のヒグマを見ればとてもじゃないが「クマちゃん、可哀想」などと言ってはいられないことを知っている。命に関わるのだ。向こうも生きるために必死かもしれないが、こっちだって命は大事だ。
「クマちゃん、可哀想」と思うのは、心情的に理解は出来るが、ではそう感じたからといって、クマの被害に苦しむ人々の代わりは出来ない。まして、殺処分される筈のクマちゃんを引き取ることも出来はしない。何なら、クマが生息する山林を買い取ってクマだけが何の心配もない地域を作るかい?クマの1日の移動距離を知ってて言ってるのかな?クマが1日に必要なカロリー数を餌に換算するとどれだけの食糧が必要になるか、分かって言ってるのかな?
クマを必要以上に殺処分する必要はないが、クマと人間が共存していこうと思うなら、クマに増えないでとお願いすることも出来ないのだから、結局、人間が頭数調整するしかない。猪や鹿、猿だってそうだ。これら害獣指定されている動物たちの被害額を知ってて、動物保護を言ってるのだろうか?もしかしたら、「可哀想」と言う感情論だけで言ってないか?
つまり、前述の環境保護にしても動物愛護にしても不法移民保護にしても、結局は「可哀想」と言う感情論であったり、もっと分かりやすい表現をすれば一種の奢りによって発せられた言葉に踊らされてないか?と言うことだ。
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以後、続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。