
トランプ大統領公式HPより
1. トランプ政権の強みと弱み
トランプ政権が成立してまだ一か月強。
既に世界を大きく揺り動かしているが、その評価については世界を二分しているようだ。
卑近な事例だが、昨晩、青山社中フォーラムを開催し(元経済安保大臣の小林鷹之衆議院議員と細谷雄一慶大教授がゲスト。世界の秩序の見方が大テーマ。筆者がモデレーターを務めての対談)、冒頭、以下のような質問をした。
結果は、見事に二分された。会場のキャパ一杯の約80名の来場参加者(オンライン参加者を除く)が綺麗に半分ずつに分かれた。こんなにきれいに割れていいのだろうか、というくらいに見事に半々であった。
質問:あなたの意見は、次の二つの見解のどちらに近いでしょうか?
① 私の周りのビジネスマン・経営者たちの多くは、「トランプはやはり凄い。失敗もあると思うが次々に物事を動かしている。』『それに比べて数か月早く着任している石破総理は、ほぼ何もやっていないように見える。規制改革その他、トランプ氏のように大胆にリーダーシップを発揮すべきだ。」、と、トランプ氏に好意的な見方をしている。
② 私の周りの官僚やNPO関係者たちの多くは、『トランプで世界が残念な方向に一変しつつある。』『世界で進んでいたSDGsやESGが一気に巻き戻されている。ダイバーシティやインクルージョンが次々に否定され、デジタル課税や環境重視などの国際的枠組みが崩壊しつつある。』と、トランプ氏に否定的な見方をしている。
読者諸賢はどちらであろうか。
私は、リーダーシップ(私の訳だと「始動力」であり、本義的にも「変革力」を意味することが欧米などでは多い)を一つの専門としているので、その観点からは、①に組みしたいところだが、心情的には②である。そして、理性的に考えてもトランプ氏の動きは、早晩行き詰まるのではないかとみている。
なぜか。ここでトランプ政権の強みとリスクを冷静に並べてみたい。
代表的な強みは、①第一次政権での経験があること、②トリプルレッド(上下両院も共和党が多数)であり、最高裁も保守派が多数で(つまり行政・立法・司法の三権を掌握)、③しかも、共和党内をかなりグリップしている、ということが挙げられる。
特に③については、正直、ヘグゼス氏や、ギャバード氏などの閣僚人事の承認にあたっては、さすがに党内からかなりの反対が出て頓挫するのではないかと思っていたが、驚くほどすんなり承認された。党内にトランプ氏に歯向かえない空気が強く流れていると見るのが妥当であろう。
こうした強みを背景に次々と大統領令を出しては、トランプ流の改革を進めているというのが実態だ。
では、トランプ政権にとってのリスク、死角は何であろうか。
強みの裏返しでもあるが、独断専行が激しいので(リーダーシップを強調しすぎるので)、マネジメントが破綻しかねないということがまず挙げられる。第一次政権の際も、主要閣僚を次々に任命してはクビにするということがあったが、例えば、果たして、自我の強いイーロン・マスク氏と、ずっと蜜月でいられるかは分からない。
また、マスク氏がしゃかりきになって進めている政府効率化が典型だが、連邦予算約7兆ドルのうち約2兆ドルをカットするという大胆な目標をすんなり達成できるとは思えず、ウクライナや中東の停戦も、24時間で解決するはずなのに期限が半年延びたりしているのは御愛嬌としても、解決そのものがそう簡単ではない。つまり、掲げている数々の大胆な公約が守れるのか、ということがある。
最近、米国では、あまりにトランプ氏が掲げている改革の中身の実現が大変であり、1期4年での達成は絶対に無理なので、冗談とも本気ともつかない形で、トランプ氏が2期目を志向しているともささやかれている。
ただ、既に1期務めているトランプ氏は合衆国憲法上次の大統領選には出られないため、トランプJrやバンス副大統領を大統領候補にして、自らは副大統領候補となり、勝利した後に大統領が辞任することで取って代わるという裏技がささやかれている。それほどに、トランプ氏の公約は達成が難しい。
そして、その公約を無理に守ろうとすればするほど、相互に矛盾が生じるということも大きなリスクだ。トランプ氏の改革は、アメリカでは、flooding the zone(一帯が水浸し)と言われることも多いが、一挙に色々と改革しているという肯定的見方もできるが、範囲が広すぎてそれこそ水浸しで大変だとも言える。
USAID(米国の海外援助機関)をバサッと切るのは良いが、今まで米国が援助していた先に、早速中国が入り込むという構図になっており、関税その他で中国を封じ込めようというトランプ政権の大戦略と逆の結果、中国の存在感の伸長という事態を産むことになりつつある。
ヒトラーやナポレオンは、電撃的に国内改革や対外遠征で成果を収め、一時は国内的にも国際的にも英雄視された。乱暴に言えば、戦前のわが国なども、それまでの日英同盟やワシントン条約下での英米との協調志向から、ヒトラー率いるドイツの電撃的拡大に惑わされて(それだけではないが)、「バスに乗り遅れるな」とばかりに、日独伊三国軍事同盟への道に乗り換えたとも言える。
トランプ氏の改革は、今は輝かしく眩しく見える部分もあるが、無知なだけにナイーブに突き進んでいるという面も多分にあり、評価する時間軸を長く伸ばした際にどうなるかは分からない。私見では、早晩行き詰まりを見せる気がしている。
2. トランプ改革の本質
世界は、目まぐるしく発動されるトランプ氏の数々の改革ダマに翻弄されているが、その数多ある改革ダマを眺めながら浮かび上がってくる本質はなんであろうか。私は、結論としては、トランプ改革の本質とは「中低所得層への寄り添い」だとみている。主に中西部などに住む、従来からの典型的な白人のアメリカ人の没落を救う救世主としての位置づけだ。
つまりは、彼の改革は、「白人アメリカ人の中低所得者層への寄り添い」を中心に見ると分かりやすいと思っている。減税をし、財政支出もして、中低所得層に寄りそうこと。そのことこそがトランプ氏の改革の基底をなしている。
「バイデン政権で本当に生活が苦しくなった。卵が買えない。」ということが、あたかも最近の「日本でキャベツが高騰して買えない現象」のように米国で取りざたされているが、「とにかく普通に卵が買いたい」という庶民に寄り添うスタンスが彼の政策の中心にある。
減税や財政支出増は、一見、現状のインフレを悪化させ、更に庶民生活を苦しくする方向にも働きかねないが、そうさせないための究極の一手が、政府の効率化だ。とにかく、何か改革をしようとすると抵抗する役人どもの首をどんどん切り、イーロン・マスク氏を送り込んでの上記のUSAIDやNASAへの支出のカットが有名になっているが、政府への支出を大胆に削減することで、インフレを防御し、減税や財政支出の原資を獲得しようという意図が透けてみえる。
いわゆるテクノ・リバタリアンたちの重用・政府への送り込みもこの文脈で理解できる。乱暴に言えば、守旧派の巣窟のような政府などいらない、というのがその眼目である。
さらには、減税や財政支出の減資として、実は有益なのが関税だ。関税の引き上げは、英語ではback door VATと言われたりもするが(VATは消費税の略、value added tax)、形を変えた(裏口からの)消費税の引き上げにも見える。ただ、そう言ってしまうと、低所得者層の味方にならないので、もちろん、そうは言わない。したがって、裏口というわけだ。
海外からの輸入を差し止めて、国内での生産・増産を図るべく、つまりは、中低所得者層の雇用を守るために、中国やカナダやメキシコからスタートして各国に対する関税を上げるというのが表向きの文脈だ。
ただ、その実、少なくとも短期的には、税収を上げる政策にもなっている。関税を払ってまで海外のものを買うのは輸入側のアメリカの業者やその増税分を上乗せされた消費者であり、まさに「バックドア消費税」である。
そして、典型的な白人アメリカ人中低所得者層を守る上で最も重要なのが、不法移民の取り締まりである。安い労賃で、単純労働を必死に引き受ける彼ら・彼女らの存在は経済的にも脅威であるし、治安上の懸念も感じさせるものであり、トランプ氏が支持基盤とする典型的アメリカ国民の排外主義に火をつけている。
また、いわゆるシェール革命以来、アメリカは石油もガスも世界トップレベルの生産国となったが、環境問題など顧慮せずに、そうした国内資源を活用することで、彼らの生活も助かる。特に車が手放せない米国では、安いガソリンは中低所得者たちにとって必要不可欠なものだ。
あと言うまでもないが、ウクライナや中東での停戦促進も、各国に防衛費増と防衛負担増を迫る圧力も、アメリカ政府の政府支出を削るという文脈が大きい。
このように、私見では、トランプの「一帯水浸し」(flooding the zone)とも言うべき大改革は、中低所得者への寄り添いを軸に考えると色々なことを繋げて理解でき、極めて分かりやすくなると感じている。トランプ氏の各種政策の根底・基底にあるのは、典型的白人アメリカ人低中所得者層への徹底した寄り添いだ。
3. トランプ改革の更なる深い理解
では、なぜ、トランプ氏は、ここまで白人の中低所得者に寄り添い、彼らの生活を必死に守ろうとするのか。私はその更なる本質は、トランプ氏がアメリカの「本性」とも言うべきものをそこに見出しているからだと思う。つまり、トランプ氏は筋金入りの「保守」であるわけだ。
これまでの所業や所作を考えると、トランプ氏自身が真に敬虔なクリスチャンであるかどうかは議論があるところだが、少なくとも、数次にわたる暗殺騒動を潜り抜けた自らを神に選ばれし存在であると考えていることは間違いないと思われ、その彼が今こうして踏みしめているアメリカという国は、特に神に選ばれた場所であると特別に感じていることは明白であろう。
中東問題で異様にイスラエル寄りのスタンスを示していることとも、トランプ氏の信じるキリスト教の歴史を紐解くまでもなく、そのことと無縁ではないように思う。
この神に選ばれしアメリカという土地・国家について歴史を紐解きながら考えると、トランプ氏は、上記の宗教観以外に、主に以下の二つのアメリカの「本性」とも言うべき価値観を意識的・無意識的に大事にしているのではなかろうか。
①国家主体ではなく、民間や地方政府主体であるのが、トランプ氏にとっての約束の地とも言えるアメリカの「本性」である。まさに、United States of America(合衆国・合州国)であり、アメリカの本質は、各地・各企業・各個人にある、という考え方だ。独立当時で考えるとジェファソン的なアンチ・フェデラリスト的伝統と言っても良いかもしれない。
そう考えると、例えば、現下のトランプ政権が推し進めている連邦政府の予算を大幅に削って、それを国民に還元するという発想や、或いは、テクノ・リバタリアンたちを重用して規制を嫌い、経済人たちの自由競争を促すというスタンスは更に容易に理解できる。
②世界の警察官となって各地を押さえに行くのではなく、相互不干渉的に、他国の内政にも干渉せず、こちらにも干渉してもらいたくない、というのがアメリカの「本性」である。歴史的には、モンロー主義を掲げたり、国際連盟を提唱しつつ議会が批准せずに加盟できなかったりしたという過去、第二次大戦後の貿易秩序維持のためのITO設立が幻に終わったという過去などもあるが、アメリカの本来のスタンスは、世界への不関与にあるという考え方だ。
そう考えると、現下のトランプ政権が進める「撤退」戦略、つまりは各国に防衛を委ねていくということは、容易に理解できる。
いわゆるMAGA、Make America Great Againを聞いてピンときた人たちも多いと思うが、共和党候補としての大統領選への出馬を目指したブキャナン候補の1992年のキャンペーンでは、Make America First Again(MAFA)というキャッチコピーが使われている。
民主・共和の両党ではない第三の候補として旋風をおこしたロス・ペロー氏などもこの系譜だと思うが、トランプ氏のように極端に中心に入って来たのは異例としても、今にはじまったものではなく、実は伝統的にアメリカにある系譜を継いでいるのがトランプ氏とも言える。
①アメリカの原点であるプロテスタント系の白人ということの重要性を「神がかった」形で強く信じ(キリスト教・神の重視)、②地域や企業や個人を大切にして大嫌いな連邦政府による統制・規制を極端に排し、③世界に関与することよりも国内を重視して相互不干渉を貫く、ということこそが、トランプ氏が信じるアメリカの「本性」であるとも言える。
4. 今後、日本はトランプ劇場でどう振る舞うべきか
本来は、こうしたトランプ氏のアメリカ、トランプ劇場とも言うべき世界にどう日本は対処するかについてもそれなりに言及したかったが、5000字を越えて紙幅が尽きた。そろそろ筆をおこうと思うが、一言だけ述べるならば、重要な点は、日本はそのタフさと窮状をうまく使い分けつつ、トランプ政権とうまく向き合って行かなければならない、ということだ。
野球で例えれば1回の攻防に過ぎないが初回の日米首脳会談は、無難にうまく終了させることが出来た。ただし、これは、官僚たち(主に日本の外務官僚と米国国務省の官僚)の綿密な準備の成功とも言うべきもので、石破氏やトランプ氏の個性が発揮されてのものではない。恐らく我が国の首相が石破氏ならずとも、このレベルまでの成功という意味では、同じような結果になったであろう。USスチール買収問題にしても、関税問題にしても、これからが山場である。
これまで、日本はアメリカの良心に訴えかけ、そこから滲み出てくる理性に訴えかけ、アメリカの凶暴性を押さえるべくマルチラテラリズム(多国間での枠組み)をベースに活動をしてきた。
上述したとおり、トランプ政権には、そのアプローチは全く通用しない。WTOにしても、国際課税の枠組みにしても、マルチの枠組みに米国を取り込もうとしても、今のアメリカ、トランプのアメリカには次代を共に作る理想主義的気分はなく、感情を損ねれば「じゃあ、脱退する」となるだけだ。
今のアメリカに対して、単にお願いに行くと「では、何をしてくれるの?」という負のディールになり(例えば関税を下げてくれ、という懇願に行くと、見返りを求められてしまう)、強気にマルチの枠組みで封じ込めに行こうとすると(これが国際ルールだよね、と説得しようとしても)、脱退されるなどして終わってしまう。
タフにやれることをやっている姿勢、強さを示しつつ、本当に困っていることについては窮状を説明して、施しや妥協を得る、こうした互いの信頼に基づくバイ関係(二国間関係)において求められる当然の姿勢を示すことが求められている。