3/10の毎日新聞・夕刊に、川名壮志記者による長めのインタビューを載せていただいています。先ほど、有料ですがWeb版も出ました。

今年は戦後80年にして「昭和100年」と呼ばれながら、あまり盛り上がらず、なにより「あいだに挟まる平成の30年間はどこ行っちゃったの?」という問いについて、まっすぐ考えています。
ずばり、結びの部分をチラリとお見せすると――
民主主義の国で暮らす以上、今の社会が望ましい姿をしていないなら、それは自分たちにも責任がある。どこかに誰か、悪い人間がいるせいではありません。
過去から続く社会の主人公として、戦争をはじめとしたかつての失敗も含めて、私たち自身が引き受けてゆくのが民主主義です。そうした歴史の感覚が持てないなら、遠からず日本の民主主義は失われます
段落を改変し、強調を付与
そうなんです。もう10年以上も前からお伝えしているんですが、「歴史」なるものが社会に存在する状態は、自明ではない。
まず、①世界の各地で先住民が営む無文字社会では、一般に(私たちが考えるような)歴史は存在せず、「神話」しかないことが普通です。そうした社会を昔は「遅れている」と蔑んだりしたけど、彼らは別に困ってないし、改めて考えるとなにも問題はないのかもしれない。

次に、東アジアは地中海の沿岸と並んで早くから手にしたように、②支配体制=「王朝」が自らの来歴を語るものとしての歴史がある。ざっくり言えば、権力者が「統治の正統性」を説明するための由緒づけとして編纂する、イデオロギーとしての過去語りですよね。
有名な例ですが、中国ではある王朝が亡ぶと、次の王朝が「なぜ彼らは滅亡し、我々に道を譲ったのか」、つまり今の俺たちこそが正統な支配者だぞと示すために、前の時代の歴史を編む。読む人の数ではまちがいなく一番の『三国志』(正史)にしても、成立したのは三国統一後の西晋です。曹操や劉備が自分で書いたわけじゃない。
で、①や②の段階を乗り越えてやっと、③いま暮らす国は「自分たちの国」なので、自分自身で歴史を書きますという状態が来る。
なので、王様や政治家といった偉い人以外についても、その歴史は筆を及ぼす――むしろそちらを主人公に、イデオロギーとしては都合の悪いこと、カッコ悪い失敗や、犯した過ちもしっかり記録することになっている。タテマエとしては(笑)。
もちろん(笑)が付く理由は、ルールを破る奴、ないし意識が低すぎて単に無視する輩がいるからです。「うおおおお歴史学とはジッショー! ボロい文書から文字起こしした俺マンセー! だけど自分たちの黒歴史は忘れるし、みんなで示しあわせて言及しない!」とかね(苦笑)。

さて、ダメな人びとは措いておいて、この③のレベルの「歴史」はいま、日本で生きているのだろうか?……というか、そもそもあったのか? が、戦後80年の今年には、問われるのが本来の姿です。
30年前に「戦後50年」を迎えた際は、加藤典洋「敗戦後論」がその問いを提起して、ものすごい反響を呼びました。文芸誌(『群像』1995年1月号)に載った1本の論考が、「これに言及しないのはあり得ない!」くらいの勢いで、分野も専門も問わずあらゆる識者にコメントされたというのは、いまや想像すらしがたいことです。
具体的には、なにが書いてあったのか。昔、同じ著者の「別の本」の解説でまとめたことがあるので、引いてみましょう。
ほんらいは、そうむずかしいことではなかったと思う。大日本帝国が行った戦争を謝罪・反省するというとき、私たち日本人はたとえばヒトラーやスターリンやマオの殺戮を「反省する」のとは、違うことが求められている。
たんに「人類の悲劇」として後世の糧とするという意味での反省ではなく、そうした悲劇を起こしたものの末裔として反省することが必要なのだが、そのためにはあたかも戦前の日本人と自分たちが切れているかのような態度で、まるで第三者がするのと同様な視点での批判をしては、いけない。
悲劇を起こした人々もまた「われわれ」の一部なのだとして、その苦悶や悔恨を感じるプロセス(日本の三百万の死者を悼む)を経由してはじめて、内実のある批判や反省(アジアの二千万の死者の哀悼、死者への謝罪)は可能となるだろう。たんに、それだけのことである。
加藤典洋『太宰と井伏』解説、218頁
( )内は加藤「敗戦後論」からの引用
「それだけ」の論考が、なぜ1995年には大バズりというか、大炎上に近いほどの劇症アレルギーを、読む人に引き起こしたのか。
ひとつは、歴史の必要性を「死者の追悼」と絡めて語ったために、加害者の追悼を被害者への謝罪より優先するのか! という誤読を招いたこと。
もうひとつは、きちんと歴史を語れるような「自分たち」は存在するか? という問いを、憲法の正統性の問題にまで敷衍したのが理由でした。
しかし加藤さんは同じ評論で、政治(=憲法という自己像)に関して「国民投票で選び直す」というかたちで、明快に「ねじれ」を解消する方途をうたっていた。それが、加藤さんが「よごれ」も同様に解消しようとしている――「これをやれば、よごれていない真の自己が回復されて、謝罪は不要になる」手続きをめざしている印象を与えたのだと思う。
「敗戦後論」の文中でなんども、「よごれ」の遍在性や「悪から善をつくる」以外に方法がないことをくりかえした加藤さんには、心外だったと思うが、とにかくそう読まれた。
同書、218-9頁
先週には、トランプが久しぶりに日米同盟の片務性に言及して話題となり、うおおおお憲法改正が必要! それがウクライナ戦争の教訓だあぁと盛り上がる向きも、戦後80年にはあるようですが……。

いやいや、30年前からレベル落ちすぎじゃない?
憲法が「押しつけのまま」なのはよくないから、自分で選び直そう、と戦後50年には言ってたのが、改正もよその国から押しつけてもらおう! がなんで、「意識高い」みたくなってんの?(苦笑)
5月に刊行する拙著『江藤淳と加藤典洋』は、これまで発表してきた私の加藤論(と江藤淳論)を集めつつ、もういちど歴史も、憲法も、民主主義にふさわしく自分たちのものにしてゆくための、戦後80年史を描いています。

ふたりの本物を主人公に、ホンモノが語る、本物の「自分たち」の歴史。ぜひ毎日新聞の今回の記事とあわせて、お楽しみくださるなら幸いです。
(ヘッダーは、2024年5月の毎日新聞より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年3月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。