陰謀論化する報道と戦う武器としての統計解析

上川陽子氏うまずして発言報道の嘘

上川陽子氏が2024年5月18日、静岡県知事選挙の自民党推薦候補の応援演説で「この方を私たち女性が生まずして何が女性でしょうか」と発言すると、共同通信が[「うまずして何が女性か」と上川陽子外相]と見出しをつけ「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある。」と報じた。

では、上川氏が「出産できない女性は女性ではない」と言ったのか演説を確認してみよう。

ようやく決断をしていただきました。大きな、大きな命を預かる仕事であります。一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性が生まずして何が女性でしょうか。

私も初陣のときに皆さんに「生みの苦しみにあるけれども、ぜひ生んでください」と演説で申し上げた。この候補者のことを思うと、その場面が頭によぎる。

今日は男性もいらっしゃいますが、生みの苦しみは本当にすごい。でも生まれてくる未来の静岡県、今の静岡県を考えると、私たちは手を緩めてはいけない。力を結集すればこの戦いを勝ち抜くことができる。

なお「うむ」を漢字表記で「産む」ではなく「生む」としたのは、上川氏が候補者を当選させるのに「うみの苦しみ」が付きものと言い、漢字で表記するなら「生みの苦しみ」と書くのが一般的で、これが演説で繰り返し登場する「生む」の真意だからだ。しかし私の勘違いや思い込みかもしれないので、この解釈で間違いないか調べてみた。

調べるとき主観が入り混じらないように、統計的な解析術を用いた。

文章は語が組み合わされて意味を成しているので、演説を意味のある最小の単位(形態素)に分けて、それぞれの登場回数や、それぞれの結びつきを解析した。この演説には41の単語、活用形を含むと48の語が使われていた。

① まず演説で語られた「うむ」は、何を「うむ」話だったのか明らかにするため、単語群のなかから性質が似ている単語同士を順にまとめて話題の繋がりを明らかにする「階層的クラスター分析」を行なった。

41個の単語のうち名詞、動詞、副詞可能(たとえば単語「今日」のように『今日(副詞)行きます』とも『今日(名詞)が最後だ』とも成り得るもの)を取り出すと、31個になった。このうち2回使われているのは「苦しみ」「女性」「生み」「生む(生ま+生ん)」「静岡」だった。

なお3回以上使われた単語はなかった。

品詞ごとの類似度は「距離測定方法(Jaccard係数)」を使用して導き出している。

演説は「生み」「苦しみ」「静岡」「女性」「生む」という5つの単語を軸に語られていた。

【「生み」と「苦しみ」】の話題は「静岡」をテーマにした話題だった。

【生みの苦しみと「静岡」】の話題は、【「女性」と「生む」】をテーマにした話題だった。

「うむ」を「生む(発生させたり作り出す)」ではなく、「産む(出産する)」に置き換えると意味が通らない。演説が子供を産む話ではないのは明白で、子供を産めるか否かの意味と捉えるのは一般的な感覚ではない。

② 演説内で、どの単語がどれくらいの頻度でテキスト内に出現していて、どのような単語同士が一緒に使用されているかを明らかにする「共起ネットワーク分析」を行うと、①以上に演説の趣旨がはっきりした。

2回使われた単語は、以下のように他の単語と関係して同時に登場していた。

テーマの中心に位置するもの(centrality)の度合いを色分けした。
単語と単語を結ぶ線が太いほど結びつきが強い。

演説は「生む」が重要なモチーフでありテーマだった。

「静岡」を生み出すのには【「生み」の「苦しみ」がある】という話題だった。

そして、この「静岡」を生み出すのは「女性」たちであると構成されていた。

演説冒頭の「一歩を踏み出していただいたこの方」とされた人物は推薦候補だ。つまり[立候補を決断してもらった。この候補者を私たち女性が静岡県知事にしよう]という意味になる。

【「静岡」を生み出す】とは、「知事を誕生させる」であり、文字通り「未来の静岡県」を生み出すことでもあった。これが演説の趣旨だったのだ。

前掲の共起ネットワークは2回以上使用された単語で分析したものだが、1回以上使用された単語でネットワーク図を描くと以下のようになる。

「(候補者の)決断にまつわる話を女性に呼びかける話題」(図中薄紫色)
「皆さんに初陣での経験を伝える話題」
(黄色)
「(知事や理想の静岡県を)生みだす苦しみの話題」(赤色)
「男性にも呼びかけ、戦いに勝ち抜くことを語りかける話題」(緑色)

が語られていた。

単語と単語を結ぶ線が太いほど結びつきが強い。

演説は文章で書き表されたものではないため、構成が散漫で言葉足らずな表現が少なくない。だが上川氏の演説に「出産困難な人への配慮を欠く」要素はまるでなかった。

もし「生む」「生み出す」「生みの苦しみ」と比喩や慣用句を使うだけで配慮を欠くなら、これらを政治家に限らず私たちは二度と使えなくなる。

嘘をついて責任を取らない報道

大多数の人々は上川氏の演説を耳にしていない。

このため「うまずして何が女性か」「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある」と報じられると、この通りの発言や出来事があったと信じる人が多かった。

しかも共同通信の英語版記事は、見出しが「Japan minister queries women’s worth without birth in election speech」で、「equating the importance of childbirth to electing a new governor in a speech ahead of a gubernatorial election」と報じている。

これらは「日本の大臣、選挙演説で出産を伴わない女性の価値を問う」「知事選挙を前にしたスピーチで、出産の重要性を新しい知事を選ぶことと同列に扱った」という意味だ。

多くの日本人でさえ演説の実態を知らないのだから、非日本語話者や海外の人々は輪を掛けて何も知らず、報道を鵜呑みにしただけでなく、後に共同通信の切り取り報道または虚報であったと知られた経緯も浸透しなかった。そして未だに上川氏の演説についてインターネットを検索すると、共同通信が報じた内容に沿ったマスコミ各社の報道が候補の上位に並んでいる。

マスコミが印象操作を狙った報道の責任を取ったことがあっただろうか。そもそも責任を取れるのだろうか。「うまずして」報道では、いずれも不十分な状態のまま8カ月が経過した。他社の報道では、朝日新聞が連載『プロメテウスの罠』で報じた原子力災害についての数々の嘘や大げさな表現が10余年も放置されたままだ。

口先だけの客観報道から身を守る時代

日本新聞協会の新聞倫理綱領は

新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

と定めている。

しかし実際には、立場や信条に左右された主観的な報道が氾濫している。この出鱈目を覆い隠すため、倫理綱領に客観的報道の遂行を掲げているかのようだ。

コロナ禍以来、マスコミ各社は陰謀論に批判的な立場を取り、SNSが陰謀論や大衆扇動の源泉であるかのような報道もあった。しかし陰謀論による大衆煽動を圧倒的な伝達力で行い、ビジネスにしているのがマスコミといったありさまだ。

マスコミの天下り組織と化しているファクトチェック団体が、チェックの対象から新聞やテレビ番組を外しているのもあり、私たち一人ひとりが信用ならない報道から身を守らなければならなくなっている。身を守る手段のうち一つが形態素解析(統計解析)だが、常に、誰もが、即座に行えるわけではない。

仮に私や他の何者かが客観的な手法で報道を検証して異を唱えても、マスコミに対抗する別のマスコミから素早く情報を発信しなければ、嘘や歪曲に到底太刀打ちできない。

公害を垂れ流しながら利益を得ている企業に対して、どこでどのような被害が発生しているか手製のメガホンで触れ回るようなものだったとしても、私たちは嘘や歪曲報道に向ける武器を一つでも多く手にしなければならない時代に生きている。

すべての報道を真に受けていたら陰謀論者に堕ちかねないだけでなく、原発事故後の報道や旧統一教会追及報道で人生を狂わされた人々がいるのだから、統計や解析を大げさすぎると言ってはいられない。

拙著『検証 暴走報道』で形態素解析だけでなく、報道内容の時系列整理やビッグデータを活用した検証を行なったのは、それだけ重大な社会問題に発展しているからだ。狂っているのは手間暇かけて報道を検証する側ではなく、嘘や歪曲にまみれた報道をしている側である。


編集部より:この記事は加藤文宏氏のnote 2025年3月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は加藤文宏氏のnoteをご覧ください。