私はAIとは新たな「価値」創造であると考えている。そう考えると、AIの活用方法がよりクリアになるからだ。この辺の考察は、是非、拙稿をお読みいただきたい。

ともあれ、AIは流行り廃りのものじゃ無くて、もはやGoogleで情報を収集しなくても、我々が疑問に思うことの大部分は、読者のPCの中にいるAI君が解決してくれる時代になった。
時代は前に前に進んでいる。ただ、「乗り遅れないようにするべきだ!」と言ってるんじゃ無くて、何でも宝の持ち腐れになってはいけないよ、と言ってるんです。活用方法は人それぞれですが、便利なツールも持ってるだけじゃ何の役にも立たない。
便利なツールは、使い方を知ってこそ、便利なツールになるのです。
落語で言う「マクラ」はこのくらいにしておこう。

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何故、言語学?
選択的夫婦別姓と言語学が何の関わりがあるの?と言う、読者の疑問はもっともで、読者の興味をそそる為、敢えて、無関係と思われるものを結びつけて読者の興味を引こうなどといういやらしいことを考えているわけじゃない。
ちょっと長くなるけど、大事なことだから、言語学のおさらいをしておく。(これでも頑張って短くまとめたつもり)
ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky)は、現代言語学に革命をもたらした人物として知られている。彼の主要な学説は以下の通り。
- 生成文法(Generative Grammar)
言語は単なる習慣や模倣の産物ではなく、人間に生まれつき備わった能力に基づいていると考えた。これを「普遍文法(Universal Grammar)」と呼び、人間が言語を習得できるのは、脳に内在する文法生成の仕組みがあるからだと主張した。
彼の初期の理論、表層構造(実際に話される形)と深層構造(意味を司る抽象的な構造)は、変換規則によってこれらが結びつくと説明。1957年の著書『統辞構造(Syntactic Structures)』で初めて体系化。 - 言語能力と行為の区別(Competence vs. Performance)
人が持つ言語の知識(competence)と、実際に話す際の行為(performance)を分けて考えた。現実の会話にはミスや中断があるけど、それは本質的な言語能力とは別だと主張する。この視点は、言語学を心理学や認知科学と結びつけるきっかけにもなった。 - 言語の創造性
人間が限られた文法規則から無限の文を作り出せる点を強調。これは従来の行動主義的な言語観(言語は刺激と反応の繰り返しで覚えるという考え)を打ち破るもので、言語の本質が創造性にあると示した。
どうだい?書いてる私もサッパリ分からないんだから、読んでる皆さんはもっと分からないだろ?
チョムスキー以前の言語学はソシュールと言うヒゲのおっさんの学説が幅を利かせてたけど、チョムスキーが出てきて、言語学は大きく二分された。
ソシュール(Ferdinand de Saussure)は、
構造主義の基盤: 差異による意味の成立
言語の意味は単独では決まらず、他の要素との差異で決まる」と言い。例えば、「猫」が「猫」として意味を持つのは、「犬」や「鳥」と違うから。この「差異」の考え方が、後の構造主義(Structuralism)に大きな影響を与えた。言語って、単語一つ一つじゃなくて、全体のネットワークの中で意味が生まれるんだって発想。
と言う、およそ暇人でなければ考えつかないことをずっと考えてたんだけど、ソシュールで大事なのが構造主義。
構造主義(Structuralism)
構造主義とは「物事の本質を「個々の要素」じゃなくて、「それらがどう関係し合ってるかの全体の構造」で理解しようとする考え方」。
この構造主義は人類学(レヴィ・ストロース)、文学(ロラン・バルト)、精神分析学(ジャック・ラカン)、哲学(ミッシェル・フーコー)と、一度は教科書で目にした人々に多大な影響を与えた。
乱暴だけど大切なこと:保守主義とアナーキズム
ここで、選択的夫婦別姓問題と言語学が何の関係があるの?と言うことの謎解きをする。
ソシュールの構造主義は、これも極々簡単に表現すると、例えば日本の戸籍制度みたいなもの。日本の戸籍法は、戸籍に記録が残ってるところまでは辿ることができる。それ以前となると、お寺の過去帳ということになるか?私の先祖も、生まれ故郷のお寺の過去帳で辿ることができる。これが構造主義。
「今」現在の自分を構成してるものは、過去の延長の「今」であり、積み上げられたものと言うことだ。
これを、自民党は別の言い方で、伝統とか保守主義と言ってる。
一方、少し前に戻ってもらうとチョムスキーは言語とは「創造性」の産物であり、
「人間が限られた文法規則から無限の文を作り出せる点を強調。従来の行動主義的な言語観(言語は刺激と反応の繰り返しで覚えるという考え)を打ち破るもの」
と言った。これも何のこっちゃ分からん言い回しだが、実はこのチョムスキーの考え方は、後年、リベラルの政治思想に多大な影響を与えることになった。
つまり日本のリベラル政党の考え方の元になった。
生成文法
チョムスキーは、言語が単なる習慣や模倣の産物ではなく、人間に生まれつき備わった能力に基づいていると考えた。これを「普遍文法」と呼び、人間が言語を習得できるのは、脳に内在する文法生成の仕組みがあるからだと主張した。
言語能力と行為の区別
人が持つ言語の知識と、実際に話す際の行為を分けて考えた。現実の会話にはミスや中断があるけど、それは本質的な言語能力とは別だと主張した。
これも何が何だか分からない説明だが、要するに、人間には根源的な言語の機能が備わっているということで、チョムスキーはだからこそ、政治思想におけるアナーキズムを提唱した。つまり、人間には自由意志と言語化する(具体化する)機能が潜在的にあり、それこそが人格権であると主張した。
ようは、個人は政治や政府、国家から自由であるべきで、何となれば、「人間には自己表現の手段があるじゃねえか、それが言語能力だろ?」というのだ。
このチョムスキーのアナキズム(無政府主義)が、ベトナム戦争反対運動やアメリカは侵略主義で他国を蹂躙して富を得ているという主張に帰結する。
・無政府主義
・メディア批判
・自由と平等
この3点を主張したチョムスキーは、根底に彼の研究した言語学の持論に基づいている。
反権力・反帝国主義
ベトナム戦争への反対から始まり、イラク戦争やグローバル化による搾取まで、一貫「アメリカは民主主義を掲げるが、実際は他国の主権を侵害している」とか、「資本主義が不平等を助長している」と指摘する。
メディアとプロパガンダ批判
『マニュファクチャリング・コンセント(同意の製造)』で、メディアが権力者の利益を守るフィルターとして機能していると論じる。情報が中立に見えても、実は操作されているという視点は、彼のリベラル思想の根幹。
個人の自由と平等
彼はアナキズム(無政府主義)の立場で、国家や企業による支配を最小限にし、個人が自由に生きられる社会を理想としている。伝統的なリベラリズム(自由主義)よりもさらに進んだ、平等と自己決定を重視する姿勢。
選択的夫婦別姓とチョムスキー
仮にチョムスキーが今の日本における選択的夫婦別姓制度問題を聞けば、「んなもん、簡単やんけ」と答えを出すだろう。
チョムスキーのリベラルな政治思想を踏まえると、
個人の自由と自己決定
「結婚しても自分のアイデンティティを保持したい」「強制的に姓を変えるのは個人の自由の侵害だ」という主張は、チョムスキーが重視する「個人の自己決定権」と響き合う部分。彼なら、「国家が伝統や家族制度を理由に個人の選択を制限するのは権力の濫用だ」と言うかもしれない。
権力構造への疑問
日本の現行制度(民法750条)では、夫婦同姓が強制され、実質的に女性が姓を変えるケースが大多数だ。チョムスキーの視点なら、これは「家制度」や「家父長制」という権力構造が反映されたものと見るだろう。彼は、こうした伝統的な制度が平等を阻害していると批判しそう。
社会のコンセンサスとメディア
選択的夫婦別姓が国会で議論される中、反対派は「家族の絆が壊れる」「伝統が失われる」と主張する。チョムスキーのメディア批判を借りれば、これが「同意の製造」過程で作られた意見かもしれないと疑うこともできる。つまり、権力側が都合よく伝統を強調して、変化を抑え込もうとしている可能性だ。
ということになりそうだ。
これ、聞いてて、なんか正しそう・・・と思っただろ?実はここに落とし穴がある。
日本のメディアは左寄り、つまりリベラルよりだが、このリベラル寄りってのが厄介で、ともすれば過激化する行動に対して、メディアは腰が引けてるように見えるよね?これは、先の大戦以後、大本営発表に堕した反省から、メディア自身が極端な権力構造批判に傾倒しているからだ。
議論の先にある結論の可能性
どうだい?読んでてくたびれただろ?でもね、この難解な問題の先にあることが、これからの日本の政治と日本社会にとっては、まあまあ大事だと考えているのだ。
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以降、
・「構造」と「自由」のバランスが鍵
続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。