中国の発展は日本経済凋落の原因ではない

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中国が経済発展したせいで日本が没落したかのように語る人がいるが、そんな因果関係はない。

日本と中国の逆転は1980年ごろの出来事に起因するが、それについては別の機会に論じるとして、日本はバブルという禁断の果実を味わい、その崩壊はまともな人なら予想できたことだった。ところが、その後の対応を誤ったために、20世紀末にはどうしようもない状況に陥っていた。

その破滅的状況の中で、中国市場の拡大により輸出が伸び、観光客が訪れ、安くて良質な製品を輸入できたおかげで、日本の国民生活は一定程度守られた。

中国の産業に日本の産業が負け、市場を失ったと言われるが、仮に中国が台頭しなかったとしても、韓国や東南アジアに負けていただろうから、結果は大きく変わらなかっただろう。むしろ、中国が経済発展しなかったら日本経済がより活気づき、国民生活が向上していたというシナリオを説明できるなら、ぜひ聞いてみたいものだ。

中国の発展が日本の軍事的な懸念となっているのは、日本経済が低迷し、それに対抗できるだけの軍備を充実させる余力がないからだ。加えて、軍事産業も自らの手を縛って輸出できない状況にある。仮に輸出が自由になったとしても、産業競争力が落ちている現在、本当に市場が広がるかは不透明だ。

日本企業がここ数十年、中国と関わったことで損をしたとは言えない。もちろん、失敗した企業も多いが、他の国と比較して特に酷い状況にあったとは言えない。

確かに、上げた利益を持ち帰りにくいといった問題はあった。しかし、例えば製造機械や部品を利益が出る価格で輸出する、日本国内で販売する製品を輸入し、国内産とあまり変わらない価格で売るなど、さまざまな形で利潤を得ることは可能だった。

また、中国政府の規制は煩雑だったが、それによって完全な自由競争にならず、価格競争だけに陥らなかったため、かえって利益を出しやすい側面もあった。

あるとき、同業の三社が中国へ進出し、ずいぶん甘い基準が設けられたと思っていたら、案の定、朱鎔基副首相から横やりが入った。その際、関東本社の二社は猛抗議したが、関西本社の企業は中国政府と適度な条件で合意し、抜け駆けに成功した。

一般に、中国ビジネスで失敗すると、企業は社会的にも社内的にも中国の悪いビジネス環境を吹聴し、それが広まる。しかし、私には少々誇張された話のように思える。

もちろん、中国でのビジネスには問題もあった。特に、謎の逮捕や出国禁止、後任者へのビザ発給拒否といった嫌がらせは深刻な課題だ。しかし、アメリカでも巨額の賠償請求訴訟があることを考えれば、どちらも一長一短と言えなくもない。

不可解なのは、日本企業が社員の拘束や追放に対して十分に抗議しない傾向があることだ。

問題は多々あるものの、成長を続け、やがて世界一の経済大国になりそうな国が市場として近くにあり、しかも漢字という共通の文字を持つのだから、その有利な立場を生かさない手はない。

アメリカとの同盟関係を維持しつつ、日中関係を改善する努力を続けても損することは何もない。

軍事的には警戒すべきであり、技術や個人情報の流出、技術を通じて従属的立場に置かれる危険性には十分注意を払うべきだ。ただし、それは他国との関係でも同じことが言える。距離を取るという考え方は馬鹿げている。工場撤退の動きもあるが、1990年に75倍あった日中の一人当たりGDPの差は2023年には2.7倍にまで縮小しており、今後さらに差が小さくなっていく可能性が高い。そのため、ビジネスの形は変化していくだろう。

ましてや、ヘイト的な感情に基づく毛嫌いは愚かなことだ。観光客の振る舞いに憤慨する人もいるが、パリでの日本人観光客の振る舞いや、現地での嫌われ方と大差ない。むしろ、かつては日本人観光客のマナーは今よりもひどかったが、それでも問題視されてこなかった。

騒がしい、強引だといった批判も、日本国内で地方同士が互いに嫌い合うのと大差ない。日本人も海外の観光地や聖地、あるいは国内の韓国関連施設などで冒涜行為をすることがある。文化財保護の観点から警戒すべきなのは当然だが、それを過度に問題視するのは行き過ぎだ。

土地や不動産の取得に関しても、現在の日本では不動産価格が上がりすぎて困っているわけではない。山奥の山林など、日本人に買い手がつかない土地を、将来の投資として外国人が購入することは、むしろ歓迎すべきことだ。もちろん、自衛隊基地周辺などの土地取引は問題だが、それは日本人であっても怪しい人物が関与する可能性がある以上、監視と規制を徹底すれば済む話だ。

京都で中国人が不動産を購入すると文化の危機だと騒ぐ人もいるが、パリではむしろ外国人のほうが古い建物の価値を理解し、高値で購入して質の高い修復を行っている例が多い。京都でも同様のケースが起きており、必ずしも悪いこととは言えない。