
NHKより
東京地裁(鈴木謙也裁判長)が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に解散を命じる決定を出した。
日本で大量の資金を集めて、その多くの部分を海外で日本国益に反するような活動に使っていた旧統一教会の活動は悪質である。
しかし、おかしなことは、安倍元首相が暗殺されるまで、それがたいして問題にされず、その後の糾弾も、なにか暗殺事件を正当化するためにのみに議論され、この教団の活動の全体像や日本の政治家などよりはるかに密接な関係を持っている外国人については、なんの問題もなく日本国内で活動させていることである。
そのあたりも含めて、一昨年に発売された『日本の政治「解体新書」: 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)で一章を割いて論じている。そこでは、90年代のはじめに集団結婚式や霊感商法が問題になって、糾弾が進められたころにつながりを持っていた、また対策を怠った政治家がどういう人たちで、それに安倍晋三元首相は全く無関係であったことを紹介しておこう。
この団体の活動が深刻な社会問題となったのは1990年代前半で、このときの対応のまずさが悔やまれる。容疑者の母親による過剰な寄付も20年以上も前の話だ。安倍元首相は、父である安倍晋太郎元外相が91年に死去後、93年に衆議院議員に初当選し、実力者として頭角を現すのは2002年に成立した小泉内閣からだから、容疑者が安倍氏を恨むのはまったく筋違いだ。
日本は資金集めのカモだとみたか、統一教会は信者に厳しいノルマを課した。さまざまな事業に乗り出したが、宗教と絡めた霊感商法として、姓名判断や家系図鑑定を武器に法外な値段で壺や印鑑などを買わせたり、80年代には韓国から「一和」ブランドの朝鮮人参茶、高麗大理石壺など、原価に比して高額で売れる商品を扱い、テレビ・コマーシャルも盛んに行った。
しかし、東西冷戦が終結期に入ったことで方向転換が必要となり、91年に、それまで「共産主義の悪魔」と攻撃してきた北朝鮮へ文鮮明が訪問した。文鮮明は、それまでもレーガンやゴルバチョフに会うなどVIP詣でをしてきた(ゴルバチョフはソウルの文鮮明の自宅を訪問したし、ゴルバチョフ財団の資金へかなりを出しているいるともいわれる)。
それが、この年に金日成主席の招へいを受けて訪朝し、多額の献金や工場建設を約束し、「打倒北朝鮮」から北朝鮮の「高麗連邦構想」に則った南北統一支持に転じた。これに資金が必要になり、日本で霊感商法や集団家婚式が社会的糾弾を受けた。
日本では文鮮明訪朝の前年に、金丸信元副総理に率いられた自民党・社会党の合同訪朝団が派遣された。金丸はマスゲームで大歓迎され、大韓航空機爆破事件を機に明らかとなっていた日本人拉致問題はスルーしたまま、有利な条件で経済協力を約束した。
ただし、「自民党」といっても、このときの事務総長は石井一で、事務局長は武村正義、フォローアップのために訪朝したのは小沢一郎と、いずれものちに野党に転じた。
92年にソウルで行われた合同結婚式には歌手の桜田淳子らが参加して話題になったが、これに先立って文鮮明が最後の来日をした。米国での服役でビザが出ないはずだったが、金丸がゴリ押しして上陸特別許可が与えた。ところが、金丸は「東京佐川急便事件」で5億円もの闇献金が発覚して失脚してしまい、金丸一派と文鮮明の連携は吹っ飛んでしまった。
この来日でやはり文鮮明と会談したのが中曽根康弘元首相である。88年に発覚したリクルート事件で関与が疑われ自民党を離党、無所属で90年の総選挙に臨んだ。落選危機だったが、教団から運動員として派遣されて当選した。中曽根は合同結婚式に祝辞を送り、そののちも濃密な関係を続けた。
また、選挙制度改革をめぐる対立から、宮沢内閣は不信任され、これに同調した小沢一郎らは離党し、非自民連立の細川護熙政権が誕生する。しかし、小沢と対立して閣外に出た武村正義(官房長官、新党さきがけ)は、自民・社会・新党さきがけの連立による村山富市政権を成立させた。
一方、オウム真理教については、89年の坂本弁護士一家殺害事件から疑惑が拡大していたが、94年に起きた松本サリン事件を経て、95年の地下鉄サリン事件で馬脚を現した。この騒ぎと前章で説明した創価学会・公明党への批判が、「自社さ政権」の主要関心事項となり、統一教会はマスコミでも取り上げられなくなった。
村山内閣は国会での質問趣意書への回答で、統一教会について「政府としては、一般的に、特定の宗教団体が反社会的な団体であるかどうかについて判断する立場にない」、「政府としては、一般的に婚姻意思の問題について立場にない」(合同結婚式での結婚に介入しない)とし、これら一連の動きのなかで抜本的な対策のチャンスを失った。
「90年代の初めのころなら、統一教会に対して批判的な世論を背景に教団に厳しい措置が取れるチャンスだったのに」という人が多いが、金丸一派(小沢一郎など)、亀井静香、さらには、自社さ政権に参加していた社会党や新党さきがけ(鳩山由紀夫、菅直人、枝野幸男など)こそが、むしろこの時代の怠惰の主役であり、いま主として立憲民主党など野党サイドにいる人たちだ。
ましてこの時期は、安倍晋太郎が亡くなり、安倍晋三は山口に転居して後継となるべく奮闘し、やがて、当選したものの一回生であったので、ほとんど関わりなど存在していなかった。
また、その後旧統一教会は、自公連立政権の成立に伴い、自民党支持に残るか、民主党支持に鞍替えするか動揺した。このころ、旧統一教会の支持を獲得すべく先頭に立って奔走していたのは、鳩山由紀夫氏である。
しかし、結果的に、旧統一教会は小泉人気にあやかるために自民党支持にとどまり、とくに清和会を支持するようになったが、2012年の総裁選挙でも清和会は安倍晋三でなく町村信孝を推していたのである。