噂の大当たり店舗『マクドナルド庄内店』が突きつける”日本社会の分岐点”

大阪にあるマクドナルド庄内店がめっちゃ美味しいらしい・・・という真偽不明の噂がSNSで飛び交ってて、気になったので食べてきました。

今回はその事に関する「経営コンサル的考察」的な掘り下げを行いながら、この問題が実は突きつけてきている「日本社会はこれからどっちに進むべきか」的な課題について一緒に考えてもらいたいという記事を書きます。

タイトルの「日本社会の分岐点」っていう言葉はすごい大げさに聞こえると思いますが、でもこの問題は今向き合うべきそれぐらい重要な課題を突きつけてきてるんだ、って話を聞いて下さい。

1. 庄内マクドナルド体験記

大阪の阪急電鉄庄内駅の近くにはマクドナルドが二軒ありますが、この話は176号線沿いの方ではなくて駅を出てすぐの商店街の中にあるマクドナルドです。

以下の通り平日の昼2時前とかのちょっとオフピークな時間でもずっと行列が出来ていました。

ちなみに実際に僕が食べたのは夜7時とかだったんですが、それぐらいの時間は店内で並ぶだけで食べれました。長く待ちたくない方は夜がオススメかもしれません。

で!

実際に食べた感じは、確かに美味しかったです。

一緒に食べた妻は「油が良いのかポテトで胸焼けしないし揚げ加減がサクサクで塩加減もちょうど良い」って言ってて、一方で僕が個人的に一番違いを感じたのはビッグマックの「味」なんですよね。

店によったらグッチャグチャに入ってるビッグマックが綺麗にちゃんとまとまってる

ビッグマックって、普段ソースの味しかしない感じなんですが、このビッグマックはちゃんとパティとかまで下味の塩が馴染んでる感があって、そこがなんか妙に全体としていわゆる「ハーモニーっつーんですかぁ?味の調和っつーんですかぁ?」的な感じがありました。

「ビッグマックとして一体化した一つの味」というまとまりがあるというか。

高校の時の友人に「俺三食マクドでもええわ」って言ってるぐらいマクド好きなヤツがいて、特にビッグマックは「ちゃんと」作ってる店だったら本当に美味しい、他のメニューより断然深い味わいだっていう事を言ってて…

仲間内では「はぁ?そんなの変わるわけないやろ」って馬鹿にされてましたけど、今回の庄内マクドで食べてみて「そういやビッグマックって”こういう味”だったよな」的な懐かしさがありました。20年前ぐらいはそういう店は結構あったのかも?

そのあたり、SNSでは実際のマクドクルーをはじめファーストフードで働いてた経験者からの色々な考察がシェアされていますが⋯

(以下代表的なものを抜粋)

料理って、ちゃんと勉強してちゃんとやると同じ素材でも「ウマっ!」ってなったりしますよね。

「コストコで肉買ってきて塩ふって焼いて食う」みたいな単純そうな行程でも、塩をふるタイミングとか揉み込み方とか焼く時の温度管理を厳密にやるとかすると全然違う味!!!って感じになる。

もちろん、「いうてもマクド」なんで、そんな1600円ぐらいするこだわりハンバーガー屋さんみたいになるわけではないんですが…(そもそも使ってる素材がかなり違うので)

でも、さっきの「元クルーの考察群」の中に

『本社が想定した本来のマックの味』

っていう言葉がまさにという感じなんですが、行程のあちこちにおいて

「ちょっとちょっとのひと手間ふた手間」が丁寧になされているだけで、全体としてはかなり違った「味」になってる

…ということなんだろうと思いました。

2. 大当たりチェーン店舗は実は普通にあちこちにあるが、今後も維持し続けられるだろうか?問題

で、ここからはこの「現象」について色々と考察を深めていきたいわけですが、まず「チェーン店なのに味が変わる」「チェーン店なのに大当たり店舗」っていうのは、普通にチラホラあるよな、と個人的には感じています。

今回の庄内マクドは、あるキッカケ(後述します)があって「発見」されたんですが、実はその前までのGoogleマップのレビューを見たら全然「高評価じゃなかった」んですよね。(むしろ注文した時に商品間違われたみたいなクレームだけが散発的についてるだけだった)

だから、そこら辺に「チェーン店だが当たり店舗」はチラホラあるんだけど、普段気づかれずに放置されてる可能性は結構あると思います。

例えば自分は10年前ぐらいに少し田舎のロードサイドのスタバに入ったら「メチャクチャ美味しい!」と思って、しばらく近くに行く用事があるたびにわざわざ通ってた事があります。

スタバがコンビニぐらいにありふれたものである地域と違って、「その地域にスタバが来てくれた!」的なスペシャル感が生きてる地域の方が、一個一個のマニュアルを丁寧にやって美味しく淹れようと思ってくれる確率が高い気がする。

同じことが田舎のコンビニでもあって、コンビニに対して「東京から来た最新文明の派出所」みたいな印象があるぐらいに僻地のコンビニは、なんかオペレーションに気合入ってるっていうか、清掃も行き届いてるし店員さんもキビキビとプライド持って働いてくれてる感じがある。

まあそういう「特別な条件の特別な店舗」の話だけでなくとも、例えばアメリカなんかと比べると、日本はこういう「普通の店」でもちゃんと掃除も接客も行き届いていてしかも安価・・・という環境を享受してこれたのは間違いない。

そしてその日本のそういう環境は、「現場で働いてる人の主体的なオペレーション」がすごいしっかりしてることに支えられてきたのもほぼ間違いないわけですが、ただしそういうのってこれからも維持し続けられるのか?っていうのは最近結構真剣に考えなくちゃいけなくなってる部分ではあるなと思います。

そうやって頑張っても、Googleマップのレビューなんかにはあまり反映されないのに、それでも「低賃金労働者にすごい高度な事をさせてる日本のオペレーション」がそれでいいのか?的な話ですね。

個人的な意見として、社会のあちこちが「清潔さと高いクオリティ」が維持されてる事は日本社会の大事な要素だと考えていて、これからも続けていければと思ってはいます。

しかし、それが平成時代日本のように「低賃金労働者に過剰な労働を要求する事によって成り立っている」のではそのまま維持し続けられないかもしれない。

庄内マクドの件をキッカケに、そういう部分について日本社会の今後を一緒に考えてみて欲しいんですね。

この記事のタイトルの、「庄内マクドが突きつける日本社会の分岐点」というワードが大げさすぎると感じた人も多いと思いますが、それぐらい「今考えるべき課題」がここにはあるという話を聞いてほしいんですよ。

3. 「異様なほど高いオペレーションエクセレンス」の”コスパ”問題

こういう「現場のチカラ」的な優位性の事を経営学用語で「オペレーショナルエクセレンス」といいます。

A オペレーショナルエクセレンス(現場のチカラ・・的な優秀さに支えられた優位性)
B プロダクトイノベーション(商品自体が革新的で他にない価値があるという優位性)
C カスタマーインティマシー(顧客との親密な関係性こそが価値という優位性)

三種類があるという説があって、庄内マクドが体現しているのは「Aがものすごく高い」という状態なのだと言えますね。

というか日本というのはだいたい「A」だけで戦っている企業も結構多いんですが、それでいいのか?っていうのは徐々に問題視されてきてる流れは一応ある。

というのは、さっきも書いたとおりこの庄内マクドも、今でこそGoogleマップのレビュー欄が絶賛で埋まってますが、こうやって評判になるまでは「注文間違えられた」とかそういうクレームがちらほらついてるだけで、全然「高評価」じゃなかったんですよ。

従業員をきっちり教育して、普通のアルバイトの時給なのにすごいちゃんと気を使って働いて貰って「オペレーショナルエクセレンス」を実現しても、それでも特に評価が高いわけでもない・・・という状況自体をどう考えたらいいのか?(ただし一応経営コンサル的に言っておくと、レビューにはのらなくても日常使い的なレベルの需要によって売上にポジティブな効果自体は結構あることは多いです)

たしかに、今まで20年間のデフレ時代にはそれで良かったけど、インフレ局面に入った昨今には、

「こういうオペレーショナルエクセレンスだって”無料”で実現してるんじゃないんだぞ」

…的な疑問が生じるようになってきて、何か真剣に今考えるべき課題がある情勢になっている。

そのことが逆に今この「庄内マクド」現象がSNSで突然火がついたりしている深層心理的な遠因にもなっているところがあるように個人的には感じています。

4. 「庄内マクド」が突きつける日本社会の分岐点とは?

つまり、ここにある「分岐点」というのは、

・今後の日本はそういう「低賃金労働者にまで高いクオリティを求めるのは辞める」ことで、「大当たり店舗」なんかはなくなっていき、日本社会の清掃の行き届き方も徐々にグダグダになっていく、ある種の「社会のアメリカ化」を受け入れるしかない

という方向に行くのか?それとも!

・このタイミングで色々な算段を組みあわせることで、日本社会の”現場労働者の優秀性と自己効力感”みたいなものを維持し、高級エリア以外でも最低限の清潔さが保たれていて、治安もいい状態のまま今後もいられる道を進む(新しい日本的な価値の明確な追求の道を進む)

のか・・・っていう『分岐点』なんですよ。

つまり「際限のない社会のアメリカ化を受け入れる」のか、「新しい日本的な価値を明確に定義してそれを実現しようと頑張る」のか、どちらかを選べ、というタイミングに来ている。

どっちつかずにダラダラと曖昧にしているだけで今までの「平成的にまどろんだような平和」が続くようなことはありえず、今わたしたちが明確な意志を持って後者を選ばない限りは、ただダラダラと掴んだ砂が手のひらからこぼれ落ちていくように

「社会の末端が果てしなく殺伐としてくるアメリカ化の呪い」

…を受け入れるしかなくなってしまう。

どうやって「現場レベルの人材の効力感」を維持したまま、日本社会らしさの価値を未来にもつなげていけるのか?について、今まさに色々と考えなくちゃいけないことがあるんですね。

5. 「彼らは可哀想な存在」ではない

まずこの問題を考えていくうえで大事な価値観の問題として、そういう「現場レベルの優秀性を発揮してくれる存在」をインテリが「可愛そうな存在」だと思い始めるとすべてがオカシクなってくるってことです。

欧米社会はそこで、「インテリ以外の階層をインテリが心の中で見下して」いて、「大した価値を生み出せるはずがない」的な前提が暗黙のうちにかなり強固にあることが、余計に社会を「病ませる」効果を持ってるところがある。

これは、先日この記事で書いたように、ハーバード大教授のマイケル・サンデル(”ハーバード白熱教室”の人)とフランス人経済学者で思想家のピケティ(”21世紀の資本”の人)の対談本でも触れられていた事なんですが・・・(以下は対談本からの引用)

エリートに対する反発の大きな原因は・・・これはトランプへの投票にあらわれていますし、ヨーロッパでも似たような人物への投票に見られますが・・・労働者や大卒でない人たちの多くが、エリートに見下されている、自分たちの仕事の価値をないがしろにされている、という感覚を抱いていることです。
これは先程お話した、主流派政党が不平等を主に高等教育による個人の社会的向上を通じて解消しようとしてきたことにも関係しています。われわれはまず、個人が高等教育を受けて社会的に地位向上することが不平等解消の正解ではない、と認識することからはじめるべきです。

実際にはマクドナルドの店長とか働いてるスタッフの人は大卒であることも多いと思いますが、とにかく「そういう現場で働いてる人」を「可愛そうな存在」的に扱う価値観が蔓延するのがまず良くない。

「それぞれの持ち場」で「それぞれの優秀性」を発揮して、同じ社会を共有して生きているのだ、という前提が壊れ始めると、社会の末端がどんどん殺伐として来ることになる。

そこには「インテリ世界の仕事と現場の仕事に優劣はなく、平等にそれぞれの価値を持つ仕事というのがある」というふうな価値観が(まだ一応は)あることが日本社会の大事な美点だと思いますが、それを今後も維持し続けることが第一に重要なことだと思います。

とはいえ!

こういう「お題目」を嘘くさいものにしてしまわないためにこそ、そういう仕事の給料がどんどん安くなってしまわないような適切な工夫を積んでいくことが大事になってくるわけですが・・・

6. まずは「賃上げ」要求がちゃんと通る社会に変えていくことが大事

まず、給料を上げていくためにはそういう「要求」を社会で共有することが大事なんですが、デフレ時代の日本はそこを「皆で我慢」することで雇用の安定性だけは確保してきたんですよね。

一方で、人手不足でインフレにもなってきたこれからの時代には、今までの「皆で一緒に我慢」の方向性をやめて、どんどん賃上げ要求を通していくことが重要になります。

既にそういう「機運」は高まってきていますが、よりもっと押し進めるための方法については、以下の『新しい時代にあった”労働組合2.0”が必要な時代』という記事を読んでいただければと。

今、『労働組合2.0』が日本に必要な理由|倉本圭造
春闘の「満額回答」みたいなのが連発されてるニュースが流れてきてますが、賃上げは「まだ足りない」というのをもっとコンセンサスにしていかないといけないタイミングなのだという話を聞いてください。 実質賃金プラスに「全く足りない」賃上げ 背景に「異常な労使関係」:朝日新聞  今年の春闘では労使ともに「賃上げの定着」...

上記リンク先記事では、最近は「日本企業の賃上げはまだ不十分であり、その原資もまだあるはずだ」という”金融系エコノミスト”的な立場の人の定量的な研究が増えていることなどを紹介してます(この記事と対になっていて、かなり重要かつ面白い内容だと思うのでぜひ一緒に読んでみてください)。

そういう情勢を素直に活かしていくことで、今まで「左翼的な一部の人たちの中だけで提案されていた」だけでは決して実現しなかった、現場レベルで丁寧に噛み合った解決策の模索ができるようになってきてるんですね。

「20世紀型の左派の内輪トーク」だけじゃなくて、「逆側の党派にいる人も含めた社会全体での機運」を作っていくことが、新しい変化を生み出すはずだという話をしています。

そうやって、「実際に賃上げ方向に社会をシフトさせる」こと自体がまずはすごく大事なことです。

7. 「よおし、あと5分、13点差か・・・点を獲りに行ってやる」by仙道くん

そして、そうやって「賃上げ要求をちゃんと通していく」と同時に、「現場の頑張り」を「収益」にちゃんとつなげていく算段も必要ですよね。

「現場の人の優秀性」を確保して頑張ってもらっても、それが理解されずに収益に繋がらなければ賃上げ原資も作れないので。

この小見出し↑はご存知スラムダンクの仙道くんのセリフですが、「現場の人の優秀性を収益につなげる」には、こういう連携が必要なんですよね。

というのは、「収益をあげるビジネスモデル上の工夫」みたいな事をする能力と、「現場で頑張る」能力ってちょっと乖離するところもあって、日本企業は儲からないところでちょっと「無理に頑張っちゃう」みたいなところがどうしてもあるんですよね。

著書などでよく書いているように、私は経営コンサル業のクライアントの地方の中小企業で10年で150万円ほど平均給与を上げられたような例に関与してた事もあるんですが、やっぱりそういう「経営」をやるのは「現場で頑張る能力」とは結構違うものが必要なところはあるんですよね。「とにかく一丸となって頑張る」ではなかなかうまく行かない。

そして、「ビジネスモデルを知的に理解できる能力」と「現場で頑張れる能力」はカルチャー的にぶつかっちゃうところがあって、うまく協力できずに今まで難しいところがあった。

結果として、「現場の優秀性を維持するための事情」ゆえに「合理的なビジネスモデルの転換」を拒否してしまったりする不幸が続いてきたりするのが過去20年の「日本あるある」だったりして。

そこで上記の仙道くんの話になるわけですが、このセリフは、「自分はチームの主役じゃなくていい」と悟ってブロックを連発するビッグマン魚住選手に触発されて、仙道くんが「じゃあ自分は」点を獲ることに集中してってやる、というシーンですよね。

そんな感じで、「現場で頑張れる能力」と「ビジネスモデルを工夫して収益をあげる」とか「その魅力を発信してわかってもらう」とか、そういう「全く違ったカルチャーが必要な機能」を、「それぞれの役割分担」だと理解して連携していく文化をこれから作っていくことが大事なんですよね。

お互いが自分のビジョンを通す時に、「別の文化」を持ってる仲間のカルチャーを壊さない形で協業する仕組みを作っていく必要がある。

例えば、「ビジネスモデルを工夫して」っていう経営面だけじゃなくて、「どうやって魅力をわかってもらえるか」っていうのも大事な「カルチャーギャップを超えた連携」が必要な領域ですけど・・・

実は、今回の「庄内マクドの魅力を知らしめた」のは、ラジオパーソナリティで作詞家でコラムニストで・・・というジェーン・スーさんという人の以下のポストが始まりなんですね。

ツイートするだけじゃなくて、自身の担当するラジオ番組でもちょいちょい推してくれてたようです。

ジェーン・スーさんは「こういう事ができるタイプの特殊なインフルエンサー」ですけど、でも「インフルエンサー文化」と「地道に頑張る現場力」ってこのインスタグラム全盛時代にはちょっと食い合わせ悪いところもあるじゃないですか。

以下↓はたまたま「インフルエンサー」さんが自分のファッションアイテムを出すにあたって実働を担当する役の人たちに対して結構ヒドイ扱いをしてきてカチンと来たっていうかなりバズってたツリーですけど(クリックすると全文読めます)、こういうカルチャーギャップは普通に沢山あった。

「ビジネスモデルを知的に理解して儲かるような采配をする」のも、「インフルエンサー的能力を発揮して魅力を伝える」のも、そういう能力と「現場で頑張る能力」が相互に敬意を払って活かしあえる環境にできないと機能しないですよね。

その「異文化間のコミュニケーション」がうまく行かないと、お互い相互憎悪が募って協力関係がうまく行かず、さらに「現場で頑張る組」は「現場で頑張る以外の武器」を手に入れられないまま孤軍奮闘する形になってしまっていた。

その「インフルエンサー的要素」「合理的なマネジメント要素」みたいなものと、「現場で頑張る力」が最初は憎み合っていたけど、徐々にお互いを理解して「チーム」として機能できるようになっていく

スラムダンク的ストーリー

…だと理解できるようになると、日本社会は急激に「分断を超える連携」が次々と生まれるようになっていくはずです。

そのあたりの詳細は、先日出たばかりの私の著書をぜひお読みいただければと思います。

論破という病 「分断の時代」の日本人の使命

また、動画の方が頭に入る、っていう人は、こないだ出演したPIVOTの動画がすごい面白くてコンパクトに色々詰まったものに編集してくれてますので、良かったらラジオ的にでも聞いてみてください。

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年3月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。

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