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なぜ、日本政治は変われないのか。その答えの一端は、「三つのジレンマ」が絡み合っていることにあるのではないかと、私は考えている。
それはすなわち、
① 官僚思考政治
② 自民党的政策の構造
③ 強い野党の不在
である。
本シリーズでは、この“日本政治のトリレンマ”を三回に分けて論じてみたい。
初回となる今回は、まず〈官僚思考政治〉に焦点を当てる。
宮澤洋一氏に見る「官僚思考政治」の象徴性
近年、YouTubeチャンネル「ReHacQ」出演を機に、国民から厳しい批判を浴びた自民党税制調査会会長・宮澤洋一氏。
元財務官僚である彼が、なぜここまで国民感情と乖離したように映るのか。その背景には、長く官僚として培われてきた思考様式があるように思える。
宮澤氏は、まさに「絵に描いたようなエリート」の出自だ。
祖父は元首相・宮澤喜一、従弟は現首相・岸田文雄。地元・広島では“宮澤家”として絶大な影響力を誇る政治一家である。
宮澤喜一氏は、アメリカの高官や知識人とも対等に議論を交わせるほどの語学力と知性を持ち、総理経験者の中でも「論理と教養の人」として際立っていた。その資質を受け継いだのが、現・洋一氏だろう。
しかし、こうした知性が、必ずしも国民との対話や民主的な政治に繋がるとは限らない。
国民の声を「非合理」なものとして排し、政策の整合性や制度の安定性ばかりを重視する姿勢は、時として「官僚思考」として批判される。
税制調査会会長という自民党の要職に就き、財務省とタッグを組んで歳入政策の要を握る宮澤氏。その姿は、単なる個人のキャリアを超え、戦後政治が生み出した一つの構造的な“型”のように見える。
官僚思考とは何か──その強みと限界
政治家が官僚と同じ思考を持つとは、どういうことか。
官僚出身者の長所は明確だ。法律や制度に通じ、行政の実務に強く、短期間で政策の論点を把握できる。しかし同時に、その思考は「制度の中での最適解」を探すことに慣れすぎており、「制度そのものを見直す」「時代の変化に合わせて構造を変える」といったダイナミックな思考には不向きだ。
たとえば、少子高齢化や経済停滞といった日本の構造的問題に対して、「現行制度の中で調整する」という発想では、いつまでたっても根本的な変革は生まれにくい。
結果として、「閉塞感」が続くのだ。
官僚出身政治家に共通するリスク
宮澤洋一氏に限らず、財務省出身の政治家たちは、財政規律を何よりも優先する傾向がある。そのため、社会保障や教育投資など「未来への投資」は後回しにされがちだ。
確かに、「安定」は政治の大義ではある。しかし、その安定が、将来世代への希望や改革の芽を摘んでいるとしたらどうだろう。
過度な財政規律主義は、国民の活力を失わせる“静かな破壊”でもある。
与野党に共通する「官僚思考」
こうした官僚的な思考は、決して自民党に限ったものではない。むしろ野党第一党である立憲民主党にも、同様の傾向が色濃く見られると私は考える。
代表・野田佳彦氏は、「財政規律重視」の政治家として知られる。そのため、やはり財政保守派の石破茂氏との親和性も高い。
両者に共通するのは、財務省のブリーフィングを重視し、「財政赤字こそ日本の元凶」という信念に近いものを持っている点だ。
立憲民主党はまた、野党第一党としての「安定したポジション」に甘んじているようにも見える。
「政権交代」と叫びながらも、実際にはその可能性を本気で追い求めてはいない。むしろ、現状の議席数を維持し、政党交付金と委員長ポストを確保することが、現実的な目的になっている節すらある。
このような姿勢は、まさに“現状維持”を是とする「官僚思考」の政治スタイルではないか。
官僚思考を超えるには
政治家が、単なる制度運用者ではなく、時に制度を壊してでも変革を推進する「意思決定者」となるには何が必要か。
それは、ビジョンとリーダーシップだ。
そして、それを育むのは教育であり、また国民との対話を通じた政治文化の再構築ではないか。
地方自治体の首長たちの中には、霞ヶ関的な発想から離れ、大胆な政策に挑戦する者もいる。
そのような挑戦が、中央政治にも求められているのではないかと感じる。
次回に向けて
日本政治が変われない理由としての第一の要因、「官僚思考政治」。
これは、制度に精通するが故の“思考の保守性”であり、それが与野党を問わず蔓延しているのが現実だ。
では、こうした政治構造を生み出した「自民党的なるもの」とは何か。
次回はその実像を掘り下げ、「②自民党的政策の構造」に迫ってみたい。
※ 是非、読者の皆様のご意見をお聞かせください。
(②につづく)