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なぜTBS『報道特集』の「みんなでつくる党」報道に違和感を覚えるのか
4月19日、TBS『報道特集』は、「みんなでつくる党」の関係者と思われる人物が「遺書」なるものを残し自死した件を大きく取り上げた。
しかし、私はこの報道に強い違和感を覚えた。そもそも報じる価値があるのか疑問であるうえに、TBSの偏向体質が今なお続いていることを象徴する事例だと感じたからだ。
本稿では、まず「みんなでつくる党」問題の背景を整理し、次にTBSの報道手法を検証し、さらにメディア権力の本質について掘り下げていきたい。
「みんなでつくる党」破産問題の背景整理
「みんなでつくる党」は、旧「NHKから国民を守る党(NHK党)」を母体とし、以下のような経緯をたどっている。
- 2019年8月:NHKから国民を守る党設立
- 2022年4月:党名を「NHK党」に変更
- 2023年3月:「政治家女子48党」に変更、大津綾香氏が党首就任
- 2023年4月:債権者トラブルが表面化(総額約11億円)
- 2023年9月:民事再生法申立(のちに取り下げ)
- 2023年11月:「みんなでつくる党」へ再改称
- 2024年1月:政党交付金の資格喪失、破産申し立て
- 2024年3月:東京地裁、破産手続き開始決定
破産管財人によれば、党資産の大部分は不動産と預金に限られ、負債総額約11億円に対し、回収率は20%未満と見込まれている。
さらに、大津党首側は破産決定に対して即時抗告を行っているものの、過去の判例から抗告認容は極めて難しいと見られている。
このように、党の破綻は主に資金運用のずさんさと、内部対立によるガバナンス崩壊が原因であり、破産手続き自体は必然だったと見る向きが多い。
TBS『報道特集』の報じ方とその問題点
TBS『報道特集』は、この「みんなでつくる党」関係者の自死をセンセーショナルに取り上げた。
だが、放送の中身を見ると次のような問題が浮かび上がる。
- 両論併記の原則が著しく弱い
→ 立花孝志氏への取材は行われたとされるが、放送では立花氏の主張は歪められ、真意が十分に伝わっていない。 - 放送法4条違反の疑い
→ 放送法第4条は「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないこと」「対立する意見をできるだけ多く紹介すること」を定めている。しかし今回の放送は、明らかに「立花氏批判」一色に染まっていた。 - TBS側の意図的な編集
→ 自死した人物の背景や党内対立の構図が、感情を煽る形で編集されており、視聴者の印象操作を狙ったと見られる。
TBSは「関係者取材に基づく正当な報道」と主張するだろう。
だが、「関係者」と称する人物たちが一方の立場に強く偏っていれば、その発言だけを垂れ流すことは「事実相当性」を担保するどころか、かえってバランスを失わせる。
TBSの過去の重大問題──オウム真理教事件との関係
TBSの偏向体質は、今に始まったものではない。典型例が1989年に起きた「坂本弁護士一家殺害事件」である。
当時、TBSはオウム真理教幹部に対し、坂本弁護士のインタビュー映像を無断で見せたとされる。その結果、オウム側は坂本弁護士を「危険人物」と認識し、結果的に一家殺害へと至った。
TBSはこれを「放送倫理違反」として大きな非難を浴びたが、事件に対する直接責任は曖昧なまま、今日に至っている。
この一件から分かるのは、TBSは「報道機関としての公共的責任」を軽視しがちな体質を持つ、ということだ。
メディア権力の本質──「反省の反動」としてのマスメディア支配
なぜ日本のマスメディアはこのような体質に陥ったのか。その源流は、第二次世界大戦における「大本営発表」の反省にある。
戦時中、新聞社は軍部の発表を無批判に報じ、国民を欺いた。戦後、その反省から「権力に対して批判的であれ」という倫理観がマスコミ界に浸透した。しかし、結果として「権力批判=正義」という倒錯が生まれ、さらには「世論形成」という新たな権力欲へと変質してしまった。
新聞社が出資したテレビ局は、映像と音声という強力なプロパガンダ手段を手にし、やがて「見えざる権力」として政治家すらコントロールするようになった。
メディアは本来、自らの権力性にもっと自覚的でなければならない。しかし現実には、TBSに象徴されるように「自分たちこそが正義」という傲慢が蔓延している。
メディアの自省なくして、日本社会の未来なし
TBS『報道特集』の「みんなでつくる党」報道は、単なる一つの偏向事例ではない。それは、日本のマスメディアが抱える深い構造問題の縮図であり、このまま放置すれば、民主主義の基盤である「情報の自由市場」が破壊される危険性すら孕んでいる。
放送局は、国民共有の財産である電波を使って情報を発信している。
ならば、彼らが守るべきものは自らの「正義」ではない。徹底したバランス感覚と、視聴者への誠実さであるべきだ。
そして、視聴者である私たち自身も、マスメディアの情報を無批判に受け取ることなく、常に疑問を持ち、情報の海を主体的に泳いでいかなければならない。
それこそが、健全な民主主義社会を守る唯一の道である。