お米の値上がりが家計を直撃している。しかし、先日、財務省が政府に、「お米の値段が上がったなら、日本人は安い輸入米をもっと食べればいい」というような提言をしたとか。ただでさえ日本の食料自給率は38%と低いのに、これ以上、下げるような事をして良いはずがない。そこで、コメ問題についておさらいしてみた。

y-studio/iStock
1. コメが高いのは、なぜ?
最近、「お米の値段が上がっている」「スーパーでコメが少ない」という声を耳にする。
いま日本では、“コメ不足”が静かに起きている。でも、“米どころ”日本で、なぜコメが足りなくなるのだろうか?
ニュースでは「猛暑の影響」や「インバウンド需要」などの言葉が並ぶが、実はこの問題、もっと深い歴史的な背景があるようだ。
お米の問題は、単なる天候や景気の話ではなく、私たちの暮らし方や国の政策、そして戦後日本の歩みに深く関わっている。
2. お米の国・日本が「米余り」から「コメ不足」に至るまで
日本は古来よりお米を主食としてきた国だ。祭りや行事、日常の食卓に至るまで、米は文化と密接に結びついていた。ところが戦後、日本の農政は大きく変質した。その背後にあったのが、「アメリカの影響」である。
MSA法とアメリカからの“食料援助”
1954年、日本はアメリカとMSA協定(Mutual Security Agreement:相互安全保障協定)を結んだ。 この協定に基づいて、アメリカから小麦・トウモロコシ・大豆・綿花など、いわゆる「食料援助」と称して余剰農産物の提供が始まった。
しかし、これは単なる無償の援助ではなく、実質的にはアメリカが自国の余剰作物を日本に“買わせ”、外貨を稼ぐための経済戦略だった。 「援助」という表現は形式的なもので、アメリカにとっては農業生産の過剰問題を解消し、かつ同盟国を経済的に従属させる巧妙な仕組みでもあったようだ。
これらの農産物は、当時の日本人の食生活にはなじみの薄いものだったが、学校給食や都市部の食卓を通じて急速に浸透していった。 やがて日本人の食生活そのものが「パン・肉・油」を中心とするアメリカ型に変わっていった。
結果として、
- 小麦や油の消費が急増
- コメの消費量は減少
- それでも農家は国が買ってくれるからと米を作り続ける
こうして「米余り」が深刻化していった。
3. コメを国が一元管理していた「食管法」とは?
この米余りを支えていたのが、戦時中に制定された「食糧管理法(通称:食管法)」だ。 1942年に施行され戦後の食糧難期を経て、日本の農政の中核制度として長く機能してきた。
この制度では、
- 政府が米を農家から一定価格で買い上げ
- 消費者に一定価格で販売
- 差額は税金で補填(=財政負担)
つまり、政府がコメの流通と価格を完全に管理していたのだ。米の自由取引は原則禁止で、農家も流通業者も、すべて政府のルールに従っていた。
食管法の功罪
メリット | デメリット |
米価の安定、食料確保 | 市場原理が働かず、コメ余りと財政負担 |
農家の収入保障 | 巨額の税金で支える「官製農業」化 |
この制度は、戦後の飢餓を克服する上では極めて有効だったが、時代の変化とともに、次第に矛盾と弊害を抱えるようになっていった。
4. 減反政策と構造的コメ余り
米が余りすぎたことで、政府は1970年から「減反政策(生産調整)」を始めた。 農家に「田んぼを休ませて」「米を作るのをやめて」とお願いし、その代わりに補助金を出すという制度だった。
この政策は実に40年以上にわたり続けられ、農家の経営は「米を作らずに収入を得る」という、ねじれた構造になっていく。
やがて、
- 若い担い手が農業から離れる
- 田んぼが荒廃
- 稲作の技術継承が困難に
という副作用が広がり、日本の農業基盤が静かに、しかし確実に弱っていった。
5. そして1995年、食管法が廃止される
1995年、日本政府はついに食管法を廃止し、代わって「食糧法」を導入した。 これは農産物の自由流通を基本とする制度で、政府の価格統制はなくなり、農家と業者が直接取引できるようになった。
この背景には、
- 国際的な貿易自由化(GATTウルグアイラウンド)
- 巨額赤字と制度疲労
- 米国などからの圧力「自由貿易に反する」
があった。
ただし、自由化後も「農家保護」と「備蓄制度」は形を変えて温存され、実質的には中途半端な自由化にとどまった。
6. そして現在:なぜコメ不足?
2023〜2024年、日本は記録的な猛暑に見舞われ、全国的にコメの収量が激減した。
その一方で、
- 減反の名残で生産回復が遅い
- 農家の高齢化と離農進行
- コロナ以降、米消費が微増
- 訪日観光客(インバウンド)による需要増
これらが重なって、想定以上の需要に供給が追いつかず、価格が上昇している。
7. 備蓄米を出さない?
日本には100万トン近い政府備蓄米があるが、市場に放出されたのはごく一部(0.3%程度)だ。ではなぜ、これほど逼迫しているにもかかわらず、備蓄米が本格的に市場に出回らないのだろうか?
その理由は主に以下の3点にある。
- 市場への影響を懸念: 政府は備蓄米を大量に放出することで、米価が下落し、民間の流通や農家経営に悪影響を及ぼすことを恐れている。
- 備蓄の使途が限定的: 備蓄米は災害時などの非常用や国際援助用に保有されており、通常の需給調整に使われるケースは限定的である。
- 民間備蓄とのバランス: 政府は、備蓄政策を通じて市場の安定を支える一方、民間の自主備蓄・流通努力を妨げないよう慎重に行動している。
とはいえ、こうした「出し渋り」が続けば、「そもそも備蓄の意味とは何か?」という疑問が生じるのも当然だ。100万トンも備蓄されているのだから、いまを非常時と考えれば、
50万トンくらい放出してはどうだろうか?是非、実行して欲しい。
8. 海外に輸出するのか?
2025年4月、政府は「食料・農業・農村基本計画」を閣議決定し、2030年までにコメの輸出量を現状の約8倍となる35万トンに増やす目標を掲げた。この計画には中国市場の開拓も含まれており、岩屋毅外務大臣が「日中ハイレベル経済対話」で日本産精米の輸入拡大を中国側に求めたことが報じられている。
一方で、国内では記録的な猛暑や減反政策の影響によりコメの供給が逼迫し、価格が高騰している。このような状況下での輸出拡大は、国内供給の安定性に懸念を生じさせている。政府は、コメの不足感が強まった際には輸出分の一部を国内に回す方針を示してはいるが、輸出契約の柔軟な調整が可能かどうかには疑問の声も出ている。
また、輸出向けのコメ生産には補助金が支給されており、これが国内向けの生産を圧迫しているとの指摘もある。
このように、政府の輸出政策が現在のコメ不足と価格高騰に影響を与えている可能性は否定できない。今後は、国内の食料安全保障と輸出戦略のバランスを慎重に検討する必要がある。
9. MSAの構造的影響はいまも続く
MSA協定は形式的にはすでに終了しているが、戦後に植え付けられた「アメリカ依存型農政」はいまも根強く残っている。
- 小麦・油・トウモロコシなどの輸入依存
- 自給よりも貿易優先の食料政策
- グローバル企業や外資の意向を忖度する農政
これらは、戦後の占領期から始まった構造の延長線上にあるとも言える。
10. では、私たちはどうすればいいのか?
- 国産米を食べて農家を支える
- 家庭でもご飯中心の食事に回帰する
- 政府には、備蓄の戦略的活用や農家支援の強化を求める
- 教育や給食でも、米文化の再認識を進める
そしてなにより、「安ければいい」「輸入すればいい」という発想から脱却し、 自分たちの食を、自分たちの手で守る意思を取り戻すことが必要である。
11. おわりに:MSAと食管法の“その先”へ
今回のコメ不足は、天候や需給の問題にとどまらない。
- アメリカ主導の構造(MSA)
- 官製農業と価格統制(食管法)
- 減反政策という矛盾の上塗り
- 中途半端な自由化と農業軽視
これらが積み重なった結果として、いま私たちは「お米が足りない」という事態を目の当たりにしている。
日本の農と食を持続可能にしていくには、農政の見直しとともに、国民一人ひとりが「お米を選ぶ」という小さな選択を積み重ねることが不可欠である。「ごはん、おいしいね」と心から言える未来を、いま私たちの手で取り戻していかねばならない。