オーストリア国営放送の宗教欄Toposに著名な無神論者で哲学者スラヴォイ・ジジェク氏とのインタビュー記事が掲載されていた。スロベニア出身のジジェク氏は「量子物理の世界は神の不在を証明する新たな根拠」と主張しているのだ。

2008年のジジェク氏 Wikipediaより
量子力学の世界は科学の最先端の領域で、多くの気鋭の量子物理学者が今日、研究を重ねている世界だ。一方、無神論、無神論主義という概念は宗教の世界で使用されている概念だ。ジジェク氏は量子力学の観点から神の存在に新たに疑問を呈しているのだ。
インタビューしたルカス・ヴィーゼルベルク記者は「ジジェク氏は、ある者にとっては文化理論のロックスター、またある者にとっては共産主義のマッチョだ。その哲学者が新しい本を執筆し、神の不在について自らの主張を鮮明にし、キリスト教的無神論を訴えている」と解説している。
当方が興味を感じたのは,ジジェク氏が「真の無神論者にとって、神は存在しないと主張するだけでは不十分だ。神は欺瞞的で、少し愚かであり、あるいは自分自身を完全には信じていない、等を示すことが必要だ」と主張していることだ。そのために、ジジェク氏は、十字架上のイエスの有名な言葉、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」を引用し、「神は自分自身を疑っている。この自己不信は宗教の中では独特なものだ」と強調。リュブリャナ大学の哲学者であり、ロンドン大学バークベック人文科学研究所所長でもあるジジェク氏はイエスのこの発言を「十字架上の神の無神論的瞬間」と表現している。
ヴィーゼルベルク記者はジジェク氏の無神論を「キリスト教的だ」と指摘し、「彼は十字架上で死ぬのは地上の代表者ではなく神自身であると考え、神の死とは、偉大な他者は存在しない、糸を引いて最終的に全てがうまくいくと保証する高位の存在や力は存在しないことを意味する。キリストの死は、私たちが高位の保証のない世界で孤独であるという根本的な体験だ。これはまた、人々の自由がこれに結びついていることを意味する。より高い権威なしに、人々は自分で決定を下し、自分の行動に責任を取らなければならないのだ」と説明している。
例えば、聖書のヨブ記の物語について、ヨブは不当な苦しみについて不平を言うが、神は満足のいく対応をしない。ジジェク氏は「神はヨブに『周りの世界を見なさい。苦しんでいるのは自分だけだと思っているのか?私が創造したものはすべて完璧ではなく、混乱しているのだ』と述べ、ヨブを説得するだろう」と言う。
ところで、ジジェク氏は量子力学を高く評価している。なぜなら、「量子力学は創造の大きな混乱のさらなる証拠を提供し、神の役割に再び疑問を投げかけるから」だというのだ。
近代の理論物理学を構築したアルベルト・アインシュタインは量子物理学の出現を快く思っていなかったという。観測者とは独立して存在する宇宙万物の局地性、実在性を否定し、現実は観測に依存すると主張する量子物理学の世界について、「神はサイコロを振らない」と反論したという話が伝わっている。
2022年に量子テレポーテーションの実現などが評価されてノーベル物理学賞を受賞したオーストリアの物理学者アントン・ツァイリンガー氏は「神は量子物理学に悩まされてる」というのだ。ヴィーゼルベルク記者は「神は『人間はまた量子実験を行い、私が創造を完成させていないことを証明しようとしている。私は不完全さを埋めるために何かを急いで考え出さなければならない』と呟くかもしれない」というツァイリンガー氏のジョークを紹介している。
ちなみに、量子物理学者は2つの光の粒などの量子が遠く離れていても片方の量子の状態が変わると、もう片方の状態も瞬時に変化する「量子もつれ」という現象を実験で証明し、ツァイリンガー教授は「量子もつれ」現象を利用し、情報を量子に埋め込み、それを離れた場所にあるもう一方の量子に瞬時に伝達できる「量子テレポーテーション」という現象を実験で示した。
ジジェク氏は「キリスト教の神が疑わしく、不完全であるように、自然界の偉大な者(神)も不完全だ。量子現象は神の理解を超えた何かがあることの証明だ。神は我々の量子実験に脅かされている」と述べている。
ちなみに、ツァイリンガー氏は2016年、「量子物理学が神と直面する時点に到着することはあり得ない。神は実証するという意味で自然科学的に発見されることはない。もし自然科学的な方法で神が発見されたとすれば、宗教と信仰の終わりを意味する」とメディアに答えている。
ジジェク氏は「神は虚構だ。しかし、それは私たちの現実を構成する虚構だ。神を消し去れば、残るのは私たちの現実ではない。恐ろしい深淵だ」と述べている。
ジジェク氏の呟きは、仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏がドイツ週刊紙「ツァイト」とのインタビューの中で、「宗教なき社会は生存力がない。自分は墓地に足を運ぶ度、われわれ社会の無神論主義にやりきれない思いが湧き、耐えられなくなる」と述べたことを思い出させた。ジジェク氏は、神を否定してはいるが、その不在に恐れを感じている知識人の一人ではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年5月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






