首都高は都市計画において悪か?:街を醜くする最悪の構造物といえるわけ

私がかつてシアトルに一時的に在住後、バンクーバーに移ってしばらくした頃、バンクーバーの不動産開発事業に絡み都市計画を様々な観点から学び、いろいろな方の話を聞いていたことがあります。その際、印象的だった話に「バンクーバーはシアトルの二の舞を避けよ」という話があります。シアトルに行ったことがある方はご存じだと思いますが、Interstate 5号線という北はカナダから南はメキシコまでつながる西海岸の大動脈のハイウェイがシアトルの街の真ん中を掘割形式で分断して走っているのです。I-5は街で降りる人向けのローカルレーンと街を通り過ぎるバイパスレーンの二段階方式で、確か全部合わせて13車線ぐらいあったと思います。

するとどうなるか、といえば街が完全に分断されているわけです。同じシアトルの街なのに高速道路の向こうとこっちでは徒歩では行き来すらままならないわけで生活圏がちぎれてしまっています。

バンクーバーは都市計画において街中に高速道路を入れず、公共交通機関を利用してもらい、ダウンタウンコアにいる人には歩きや自転車を利用させる仕組みを私が知る限り、少なくとも過去40年以上にわたりずっとやっています。自転車専用レーンについては今だ拡大の一途を辿っており、車の車線を減らし、渋滞が嫌なら自転車で来い、というぐらいの施政を貫いています。

電車やバス利用も北米都市ではトロントやニューヨークと並び利用率が高くなっています。バスと電車が同じ会社の運営で、乗り換えは90分までは無料ですので私もバスや電車を頻繁に利用しています。バスも一部で渋滞が頻発する地域ではバス専用レーンが充実しており、街の機能が極めて高いとも言えます。

都市計画は街づくりという大きなピクチャーを50年、100年先の姿を想定しながら計画する点で極めて重要な意味を持たせているのですが、日本政府や東京都がどれだけのビジョンを持っているのか、私は疑問で、東京に来るたびにこのコンクリートジャングルは果たして本当に魅力的なのだろうか、と思ったりもします。

そんな私が東京で嫌なものを挙げよと言われたらその一つに「首都高速道路」と申し上げます。シアトルが高速道路で分断されたように都心の高架の首都高は街を醜くしている最悪の構造物だと確信をもって申し上げます。例えば、若者や外国人が大好きな六本木。私にとってこの街は高校生の時から庭のようなところの一つだったのですが、夜の街以外の顔が思いつかないのは昼間の六本木が高速道路で分断されているからにほかなりません。首都高の下を走る六本木通りはいつも陰り、埃っぽく、無機質で優しさが全くありません。六本木に行くと「あぁ、首都高の向こう側かぁ」というメンタルバリアをいつも感じていました。首都高の向こうはまるでとなり街の意識なのです。

日本橋と首都高速道路 y-studio/iStock

同じことは渋谷でもいえます。青山通りの上の首都高は渋谷の街を南西方向に発展させなかった原因の一つだろうと察しています。街の向こうは首都高が邪魔して見えません。青山通りに面した首都高の向こう側にセルリアンタワー東急ホテルという渋谷ではトップクラスのホテルがそびえ建ちますが、残念ながら渋谷駅から見るとメンタルバリア故に認知度としてはホテルの格に対して明らかに下がります。

これは蛇足なのですが、渋谷は地形的に谷底にあたるわけですが、東急は谷底に高層ビルを林立させています。一方、バンクーバーや周辺都市の都市開発の基本は高層ビルの立地条件は地形的に高いところが有利になっています。つまり、土地の低いところには低い建物を、高いところには高い建物を許可するのです。その点を含め、私は渋谷の都市開発は昔からなじめず、なんでこんな街にしてしまったのだろうと残念に思っています。

首都高が景観の邪魔だというのが具現化され、計画が進むのが日本橋と銀座の二つの路線。日本橋の上には首都高が走り、その景観を台無しにしていました。あそこに高速道路ができたのは1964年の五輪の開催を受けて計画されたもので当初は日本橋の下を流れる日本橋川の川をせき止め、掘割式の高速道路を通す予定でした。つまり日本橋の上に立つとその下には高速道路がある、という計画だったのです。それが防災上の理由から川をせき止められず、高架になったいきさつがあります。五輪の頃はとにかく何でも許可が下りた時代だったのでしょう。景観問題にあえて疑念を挟んだのが小泉純一郎首相(当時)ですが、実現には紆余曲折があったようです。

もう一つは有楽町や銀座の建物の上を通っていたKK線という自動車専用道路が廃止になり遊歩道として再開発が進みました。私が小さい頃、商店の上を走る自動車専用道路は今でも「不思議で異質な」光景だったと記憶しています。60年代70年代の日本は高度成長のためにバランス感覚に乏しい無理な政策を推し進め過ぎたのだろうと思います。

今、東京でその揺り戻しと価値観の議論が始まったことは嬉しいことです。成熟した都市に求められるのは人間生活と環境を経済とどうリンクさせるのか、という点です。そして欧米では環境を維持するために企業が莫大な負担金を払うのが常となっている中、日本は役所が役所の判断で税金を使って単独判断で進めているように感じます。これから官民がどう意見を取り交わすか、そして資金は必ずしも税金ばかりではないという発想を取り入れることも必要となるでしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年5月6日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。