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日本都市社会学会の設立
都市社会学の研究集団が一堂に会せるように、日本都市社会学会が設立されたのは1982年であり、設立時の発起人は鈴木広九大教授と倉沢進東京都立大教授をはじめ15名であった。私も当初から学会に参加し、末席に名を連ねていた。
83年の大会で半日かけて行われたシンポジウムの記録と個別の研究発表を素材に、発起人を中心として2名の若手を加えた10名の論者がそれぞれの研究論文としてまとめ、ミネルヴァ書房の計らいで「都市社会学研究叢書」第1巻として刊行されたのが1987年であった(鈴木・倉沢、秋元編、1987)。
第2巻が日本都市研究で戦前からの蓄積があった「町内会研究」の特集であり、発起人に加えて私も含む3人の若手が執筆に加わった(倉沢・秋元編、1990)。
ミネルヴァ書房との縁
そして第3巻が『都市高齢社会と地域福祉』(1993)であった。学会設立時からミネルヴァ書房編集部長杉田啓三氏(現社長)とは面識があったし、第2巻では「高齢者の都市地域集団関係」という第4章を分担執筆もしていたが、「博士論文」を脱稿する前に鈴木広先生に出版のご相談をしたら、「ミネルヴァ書房が良いだろう」というご判断があり、改めて杉田氏に紹介していただいた。
「都市社会学研究叢書」第3巻として刊行
出版については快諾していただいたうえに、「都市社会学研究叢書」第3巻に入れるというご回答をいただいた。第2巻までは10名ほどの分担執筆者だったが、第3巻は単著となったわけである。しかも、私が返送した初校から三校までを杉田編集部長自らが校正のチェックをされた。それまでに350頁になる専門書を出した経験がなかったため、細部にわたりいくつもの修正箇所を教えていただいたという記憶がある。
これで1993年に「博士学位」を取得して、94年には第14回の日本都市学会賞(奥井記念賞)を受賞できたので、それ以来杉田氏には恩義を感じてきた。
そして学会賞を受賞してから翌年の学会大会でお会いした際に、「まとまった原稿が書けたら、いつでも送ってください。編集部で読んで、可能であれば出版します。」というようなご意思を伺った。これには感激して、その後の単著出版の7割程度をお願いするきっかけになった。
『地域福祉社会学』への途
本書『地域福祉社会学』(1997)はその第1冊目である。前回の『高齢社会・何がどう変わるか』(1995)の準備過程で収集した台湾・台北市での公的データと、その後に数回出かけて実施したオリジナルのインタビュー調査結果が合わせてほぼ3章分になっていた。その一部は社会保障研究所『海外社会保障情報』第114号(1996)などに寄稿していたが、残りは未発表のままであった。
もう一方で、日本国内では事例研究法として「役割理論」に基づいた高齢者論を開始していて、そのライフスタイルに関する高齢者へのインタビュー記録が少しずつ蓄積し始めていた。調査票結果の計量分析では出てこない貴重な体験が聞けるし、そこから「人生の達人」のイメージが膨らむからでもあった。
『人生の達人』の企画と監修
「人生の達人」とは「高齢のエキスパート」を意味するとした造語である。これは北海道新聞社を副社長で定年退職した作田和幸氏が、あらたに(株)CWEを設立されて、その最初の事業のキーワードに位置づけられた。CWEとはChildren,Women,Elderly Peopleの頭文字であり、俗にいえば「子ども、女、年寄り」である。
しかし作田氏は、これからの時代にはこの三者こそが時代を切り開くことを長年のマスコミ人としての経験と直感で確信しておられて、その第1号の事業としてまずは高齢者(Elderly People)に焦点を当て、具体的には札幌在住の中高齢者500人のライフスタイルと意識構造を解明して、今後の高齢社会づくりの参考になるような出版をしたいという希望を私の研究室で熱く語られた。
北大に勤務してからちょうど10年が経過しており、それまでに何回か『北海道新聞』にも寄稿していた縁もあって、訪ねてこられたのである。
「3度目のハタチを生きる」ための本
当時、松下国際財団からの台湾研究は継続していたが、国内向けの科学研究費が切れており、回収ベースで500人の調査データを分析できることへの魅力もあり、快諾した。主な仕事は調査票の設計、データ分析の基本方針の確定、数名の元新聞記者による報告書全文の監修、そしてまとめとしてのEpilogueの執筆であった。これにも縁と運の両方を感じた。
とりわけベテランの新聞記者による読ませる記事ばかりであり、日頃は学術的な論文を書くことに拘ってきた身にとってもグラフや図表というビジュアルな手段を駆使した表現に学ぶことが多かった。
たとえば、主題とした「人生の達人」(エキスパート)は調査データの組合せにより表1のよう類型化した。
表1 人生の達人の類型
(出典)金子、1997:37.
予想通りというべきか、それほど積極的な高齢人生を謳歌する比率は高くなかったが、「無事是好日派」が44%で、「気さくに日常世話役派」が22%となり、両者合わせて66%が平均的な高齢者人生を過ごしていることが分かった。
さらに作田氏の新聞社時代の縁により、税込み2980円の本書(250頁)は北海道内の多くの企業に販売できて、たちまち初版が売り切れたのである。販売方法で一番感心したのは、ホテルのロビーや各部屋に置いてもらうという戦略であった。
このように国内でも調査データを使って、報告書作成を手伝っていたので、この2年間は実証研究に特化していたことになる。
“Sociology = IBM Plus Reality Plus Humanism”
社会学は「人間の共同生活の科学」であり、それは人間面、共同生活面、科学面の三方向に枝分かれする宿命を持っている。
ミルズの1954年論文“Sociology = IBM Plus Reality Plus Humanism”は第1回に紹介したが、「リアリティ」の具体的指標として、人間面を関係における役割セット(role-set)で理解するのが社会学の個性である(マートン、1957=1961:335)。
社会調査のために留意しておきたいこと
その「リアリティ」は現実の正確な「観察」と収集データから得られる。一方では、500票の調査票を配布して回収し、統計学的裏付けを確認しながら、パソコンでそのデータ分析を行うやり方がある。しかしこれだけでは細かな「観察」ができないので、事例研究として特定の対象者を選び、少し長いインタビューを実施して、後からその記録を作成してデータ化する。
この方法論上の問題を本書の「序章」でまとめていたので、それを紹介しておこう。なぜなら、本書を構想した際に使おうとした論文のテーマは、「人生の達人」調査による高齢者の生きがい、地域福祉、高齢者の人間像、コミュニティ・ケアの実態、そして台湾・台北調査の結果の分析などであり、ほぼ全てが調査データを使った論考であったからである。
社会学研究の「8原則」
そのために「序章」で、北大10年間の社会調査の経験から導きだした社会学研究の「8原則」を示していた。
原則1:取り上げるテーマに社会的意義と重要性があるか
原則2:そのテーマが広範な関心をよべるか
原則3:新しい命題を創造できるか
原則4:文献レビューの質は高いか
原則5:操作概念化が適切か
原則6:操作概念と収集したデータは整合しているか
原則7:データ分析の方法は正確か
原則8:研究方法が明確化されていて、追試が可能か
全編でこの通りに行えたわけではないが、計量データでも事例研究法でも調査データを分析する際にはこれらを備忘録としておきたいという心構えであった。
人間を役割から見る
一方で、高齢者を「地域福祉」論で扱うのだから、理論的には「高齢者は役割縮小過程の存在」を大前提の仮説にした。一般に役割は必ず社会的地位に関連しており、両者が揃って社会構造を作り上げるからである。
社会構造の下位カテゴリーには縦の関係にある権力と階層、横の関係にある地域と集団が存在する。そしてすべての老若男女には個人としてこれら両方の地位をもつ。
ここにいう「地位とは、特定の諸個人が占める社会体系内の地位を意味し、役割とは、かかる地位に属する型式化された期待を行動的に演ずることを意味する」(同上:334)であり、各方面でこの定義が活用されてきた。
ただし、階層が規定する地位と地域社会での地位とが同じ重さにはなりえない。そのために個人はいくつかの地位に伴う役割葛藤を経験することになる。たとえば、会社の課長という地位は、小学校での運動会では単なる生徒の保護者という地位とは無縁であり、課長としての所得や資産の高低は必ずしも町内会の序列には連動しない。
固定役割としての人類役割と家族役割
そこで本書では、様々な地位をもつ個人の側から見て、私なりの独自の見解として、地位に基づく役割は四種類に大別できるとした。一つには人類の一員としての「人類役割」があり、平和や安全の維持確保それに地球環境の維持に関する行動を含んでいる。それは、古今東西の老若男女全てが担うことになり、図1には登場しない。
図1 3つの個人役割とバックアップシステム
(出典)金子、1997:45.
しかし家族の中で誕生する人間は幼いころから固定した「家族役割」をもつ。それは次第に年齢とともに増えていくが、子どもとしての役割、親としての役割、高齢者としての役割などに拡散する。その意味で、図1で示した「固定役割」は家族に関連する。
さらに多くの場合、親の世代は町内会などの「地域役割」、職業関連のたくさんの「職場役割」も合わせ持つようになる。このうち「職場役割」は退職とともに消失するが、「家族役割」はいつまでも残り、子どもの就学、卒業、就職、結婚などの場面で発揮され続ける。そして子どもの他出や本人の配偶者の死などにより徐々に失なわれる。
高齢者は「役割縮小過程」の存在
だから「人類役割」は普遍的としても、高齢者になれば、「家族役割」、「職場役割」、「地域役割」のすべてで縮小ないしは喪失してしまう。
そこで社会学的には高齢者を「役割縮小過程」と理解する。そうすれば、この認識から高齢者対策は年金、医療費、介護などの福祉面での支援を越えて、「役割回復」を基軸とすることになり、これまでの社会福祉領域からのサービス提供とは異質の論点が浮上する。「地域福祉学」でも「社会福祉学」でもないタイトルの「地域福祉社会学」には、この秘めた狙いがあった。
限界役割効用を活用する
そのために「限界役割効用」という専門用語を造語した(金子、1993:61)。これは地域福祉の調査で特に町内会長とインタビューを繰り返した際に気がついた概念であり、経済学では周知の「限界効用」(marginal utility)を下敷きにしている。
経済学の「限界効用」とは、ある財の消費量、たとえばボールペンを増やすとき、一本増えるたびに得られる満足度すなわち効用が減少するという法則を応用したものである。具体的にはボールペンの持ち合わせがなければ、筆記の際に最初の1本の効用は天文学的に高いが、2本目からのそれは次第に乏しくなり、5本にもなれば効用を特に感じなくなる。
「役割」が多すぎて、「効用」を感じない人もいた
人の場合はやや事情が違うことを承知したうえで、「役割縮小過程の存在」になった高齢者が、たとえば町内会の班長という新しい役割を手にした時に感じる大きな効用と、次第に役割が増えて、5つ目あたりからはそれほどその役割に効用を感じないという調査体験から作り上げた概念である。
実際の経験でも、ある政党の支部長、シルバー人材センター運営委員、町内会長、市役所の地域福祉審議会の委員、出身高校の同窓会の幹事、元の職場の同期会会長などを引き受け続けて、忙しさが先に立ち、「効用」などとは縁遠いと話された町内会長がおられた。
生きがいに役割理論を応用する
しかし、いくつかの役割活動は生きがいを得るための条件にもなるので、それを10か条に整理しておいた(金子、1997:46)。
すなわち、①誰かに必要とされる、②生きるよろこびは緊張を伴う真剣さから得られる、③まずは一つの役割活動から始める、④好奇心をどこに感じるかを自分で決める、⑤自己実現かコミュニケーションかを選択する、⑥夢中になれるものがあるかを問いかける、⑦自分の引き出しをたくさんもっているかを自問する、⑧家族、近隣、友人、緊急通報システムのうち、安心感を何で得るかを考えておく、⑨人生の再出発では、男は内(厨房)に、女は外(街)にからが大原則である、⑩働かない・動かない自由=新有閑階級の存在も認める。
これらの条件のうち、⑩以外では、とりあえずは高齢者に積極的な関心をもってもらい、それに好奇心が刺激される事業対象のなかに自分の役割が発見できれば、その「効用」によって生きるよろこびが強まり、安心感も得られるとした。
自助、互助、公助、商助の提唱
さらに図1では「高齢者役割」を側面援助する「バックアップシステム」を用意した。これらのうちの「自助、互助、公助」はその後政府文書でも独り歩きするようになったが、「商助」は放置されたままであった。
しかし、「要介護者」への介護保険サービスを取り上げても、介護事業所は民営の場合が多く、その際には公助というよりも費用を利用者が支払ってサービスを購入している。また、夕食宅配でも自治体が半額補助で実施しているところもあるが、民間企業が通販などを通して通常の販売を行う場合もある。それらを念頭にビジネスモデルとしての「商助」を造語したのである。
新しいコミュニティモデルの提唱
なお、連載第2回目に三角形の「コミュニティモデル」を提示したが、そのうちに三角形ではなくて四角形モデルの方が現実的ではないかと思うようになり、図2を作成した。どこが違うかと言えば、「行事(イベント)」を付加した点である。
図2 コミュニティの四角形モデル
(出典)金子、1997:123
当時何回か出かけていた台湾・台北市でも日本都市でも、コミュニティ活動が盛んなところでは、祭りの準備と開催、多様な住民活動、防犯や災害時での専門家と一般住民の協力、世代間の交流、その手段としてのボランティア活動などが共通に認められた。
義工と義捐・微助人活動
何回か台湾調査に出かけて、中国語に触れる機会が増えたために、漢字への関心も深まった。たとえば台湾ではボランティア活動を「義工」あるいは「志工」と表現することを知った。これは台北市でのインタビュー調査で学んだ言葉であった。
そこから日本語になって久しいボランティア活動を「義捐・微助人活動」(ギエン・ビスケット活動)と表現するようになった。その理由は、災害時に多くの国民が提供する「気持ち」の象徴である「義援金」という表記では、意味が十分に伝わらないのではないかという疑問をもったからである。なぜなら、「義援」の「援」は慈善や被災者救済の趣旨で単に「援助する」以上の意味が感じ取れないからである。
見返りを求めないのが義捐
さらに当時、「義援金」を出したからには、「自分も困った際には義援金をもらえる」というようなNPOが出てきたので、そのような考え方ではボランティアの趣旨に合わないと思うようになった。すなわち、「義援」では単に与えるのだから、「見返り」を求める人が出ることへの危惧から、その表現では本来の趣旨にそぐわないと考えたのである。
今でもマスコミを筆頭に「義援金」という表現しか使われないが、本来は「見返りを求めない」のであれば、「義捐金」の方が正しいであろう。
その根拠としては、たとえば『大言海』では、義捐を「不幸ノ者ヲ恤ミテ、金銭、物品ヲ施シ、與フルコト。ホドコシ」とあったからである。また『広辞苑』でも、「捐はすてる意。慈善・公益・災害救助などのために金品を寄付すること。『義援』とも書く」となっている。
ボランティア切符制への疑問
これらを確認した後、ボランティア活動を「義捐・微助人活動」と表現することにした。ボランティア切符制やボランティア時間の蓄積を高唱するいくつかのNPOの活動は、たとえば3時間のボランティア活動をしたら、その時間を蓄積していて、自分が被災したような場合には、その3時間分のボランティア活動を受ける「権利」があるという趣旨で行われていた。
しかし、これでは「義捐」の精神は消えてしまう。元来は「ほどこし」であり、「捨てる」意味なのだから、「権利と義務」の観点でボランティア活動を論じることはできない。その観点からの真逆の主張である「義捐・微助人活動」の提唱であった。
微助人活動
また、「微助人活動」を「ビ・スケット活動」と呼んだのは、当時の「市民参加」論の一部に、ボランティア活動を全国的に展開すれば、「政治や世の中が変えられる」というような主張が聞こえてきたからである。「世の中が変えられる」とは大変なことであり、専門家抜きの素人集団の活動だけでは何も変わらないだろうと考えたからである。
「義捐・微助人活動」は学界レベルでは浸透しなかったが、福祉系のNPOのいくつかでは「札幌微助人クラブ」などの名称で利用されたが、10年くらい続いて自然消滅したようであった。
台北調査その後
94年と96年に松下国際財団から研究助成をいただいたので、台北市で戸別訪問をして、不十分ながらインタビュー調査を繰り返していた。内政部がまとめた『國民生活状況調査報告』(1994)によれば、台湾全体の家族構成は図3のようであった。
①単身、②夫婦二人、③単身家庭(父または母+未婚子女)、④核心家庭(父+母+未婚子女)、⑤主幹家庭(祖父母+父母+未婚子女)、⑥祖孫両代、⑦その他に分けられた家族構成であった。
図3 台湾地区受訪者家庭組織形態比較
(出典)金子、1997:214.
図3から、台湾の「核心家庭」率は92年と94年ともに過半数を占めていたが、対照的に95年の日本の「核家族率」は37%あまりであった。また台湾の第2位には20%程度で「主幹家庭」が登場したが、95年国勢調査では日本の「三世代同居率」は33.3%であったから、同じ東アジア文化圏であっても、台湾の方が祖父母との別居が進んでいると見られた。
しかし、内政部の『老人状況調査報告』を入手して精読すると、図4のような結果がたくさん示されていて、台湾の男女間の家族の居住形態では統計学的な相違が確認できた。すなわち、「子と同居」に関しては女性の方が男性よりも10%近く多く出た。
図4 台湾男女高齢者の家族居住形態
(出典)金子、1997:236.
輪住(lúnzhù)に驚く
台湾調査での一番の驚きは、「子と近居」のスタイルにあった。俗にいう「スープの冷めない距離」に象徴される「子と近居」は、当時の日本でも珍しい形態ではなかった。しかし台湾ではさすがに男系の「宗族」意識の強さがあり、日本のような「近居」とは様子が全く違っていた。
何よりも台湾の「子と近居」は、親が息子の家を泊まり歩く「輪住」が主流であったからである。具体的な事例としては、祖父母に3人の息子と2人の娘がいるとする。娘は他家に嫁いでいるので、最初から「近居」の対象外である。
「輪住」こそが親孝行
代わりに、3人の息子の家を1年間のうち4か月ごとに泊まり歩く「輪住」こそが親孝行であるという規範であった。その際には長男、次男、三男の区別はなく、平等に4か月ごとに両親の世話をする。
十数軒のインタビューした家族すべてが「輪住」をしていたのではないが、半数近くが行っていて、やっていてもやっていなくても皆さんの回答は台湾では「輪住」こそが最高の親孝行であるというところに落ち着いた。日本語ではこれを「たらい回し」と呼んで否定的な意味しか与えないから、この家族規範の差異は強烈であった。
この数年間は、1994年の「国際福祉シンポジウム」に招待していただいた国立政治大学の社会学教授の先生方、研究費の補助でご支援を受けた松下国際財団、現地調査でお世話になった内政部の課長以下の何人かのスタッフ、そして通訳も兼ねてくれた国立政治大学の社会学専攻の院生諸氏との縁と運を常に感じていた。
比較文化論に目覚める
沖縄・那覇空港からわずか1時間、NHKBS放送が受信できる台北市での調査で一番の発見が「輪住」であり、この経験ほど現地調査での観察の重要性を教えられたことはない。加えて、比較することの重要性がしっかり学べたことで、その後の比較文化論にこだわる私なりの実証的研究への指針になったと考えている。
【参照文献】
- Horowitz,I.L.,(ed.),1963, Power, Politics and People-The Collected Essays of C.Wright Mills, Oxford University Press.(=1971 青井和夫・本間康平監訳『権力・政治・民衆』みすず書房).
- 金子勇,1993,『都市高齢社会と地域福祉』ミネルヴァ書房.
- 金子勇監修,1996,『人生の達人』(株)CWE.
- 金子勇,1997,『地域福祉社会学』ミネルヴァ書房.
- Merton,R.K,1957,Social Theory and Social Structure,The Free Press.(=1961 森東吾ほか訳『社会理論と社会構造』みすず書房).
- 倉沢進・秋元律郎編,1990,『町内会と地域集団』ミネルヴァ書房.
- 鈴木広・倉沢進・秋元律郎編,1987,『都市化の社会学理論』ミネルヴァ書房.
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