日経が行っている日経MJヒット商品番付の2025年上期版が発表になっています。正直、何だろう、このつまらなさは、と言わざるを得ないのです。日経の企画が悪いのではなく、ヒット番付になるような商品が開発されていないし、消費者もどこまで何を望んでいるのかわからないし、国民的ヒットに繋げるようなマスマーケティングの戦略はもはや有効ではないように見えるのです。

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東の横綱は「米フレーション」。コメがヒット商品になったわけではなく、話題になり、争奪戦になっただけです。西の横綱は「万博」。まぁ、これは良しとしましょう。東の大関には「MLB東京シリーズ」、春先にあったアメリカ大リーグの公式戦が東京で開催され、大谷フィーバーを日本で楽しんだことが評価されたようです。西の大関は横綱になった「大の里」。久々の日本人横綱の誕生ということですが、そこまで話題になっているより決まってから日が浅く、鮮度があるのでランク入りという気がしないでもありません。
こう見るとランキングの横綱格は一種の社会現象、大関格はスポーツの話題で商品番付とは言い難いのです。ちなみに24年下期の横綱と大関は「大谷50-50」「新NISA」「スポットワーク」「春『夏夏』秋冬」。正直、商品というよりトレンドないし話題になった話です。小結から下は比較的個別の商品が主流になるのですが、基本的に小粒感が否めず、新製品と銘打つも基本は改良型の商品で今まで世の中になかったものが出てきたというジャンルの物はほとんどありません。また趣味がばらける時代になり、国民的ヒットが育ちにくい環境になって来たとも言えそうです。
この現象は音楽やメディアを振り返ると顕著で、かつては国民的アイドルが多く生まれたのにだんだん個性化していった流れもありました。NHKの朝ドラ ランキングをみるとトップ3は「らんまん」「カムカムエヴリバディ」「あさがきた」で「おしん」は15位になっています。多分、朝ドラを見る人と見ていない人でそもそもの認知度でゼロか100かの違いが生じてしまうケースが続出しているのだと思います。私には全くわかりません。
それこそスポーツでも野球や相撲が好きな人は盛り上がると思うのですが、そうでない人にとってはヒットでも何でもないわけです。大谷サンの話題はメディアがホームランの度に速報を入れ、「へぇすごいね」という印象付けをするのです。それがシーズン全体でみれば誰でも認知度が層状になり一定の理解ができるわけです。ところが案外、彼が所属するチームがどこか、そのチームの成績がどうかと聞けば答えらない人が続出すると思います。つまりヒットというより現象で聞かされているといったほうが良いのでしょう。
唯一国民的イシューになったのが「米フレーション」で、これは現在進行形でありますがコロナ期のマスク争奪戦そっくりなのです。あとで振り返ればあれは何だったのだろう、という話になるとみています。(国民の胃袋の数は同じだという原点に立ち返ればそう考えざるを得ないのです。)大阪万博も行く人は行くし、興味ない人はいかないわけで、友人同士で話をしても行った人は興奮気味にいろいろしゃべるも行かない人にとっては「ふーん」でしかないのです。
私の年代から上の方ぐらいですと日本経済がいかに発展してきたか、国民レベルで共感するものがあります。長嶋茂雄さんがお亡くなりになりましたが、まさに国民的英雄だったと言っても過言はないと思います。それぐらい皆さんが同じ目線で共有していたと思います。
かつてはモノにしろ、娯楽にしろ選択肢はさほどなかったのです。家の娯楽の代名詞であるテレビは一家に1台しかなく、チャンネル権争いが家庭の中で常に繰り広げられ、見たくもない時代劇を見せられたし、ゴールデンタイムは巨人の試合放送、商店街育ちの私は外に出ても商店の店先からはラジオの大音量の野球放送が聞こえてきたものです。つまり選択肢が極めて少なかったし、否が応でも目に入り、耳に入る状態だったのです。「木枯し紋次郎のつまようじ」なんて興味もないのに覚えたのは如何に話題が限定されていたかよい証だと思います。
音楽ではヒットチャート的なもので国民を縛り付けたのですが、それが廃れたきっかけは逆説的にジャニーズとAKBがチャートを占拠したからではなかったでしょうか?なぜならあれほど話題になる一方で嫌な人、ファンではない人にとって逃避するところを必死で見つける必要があったのです。同様に12月31日の紅白歌合戦に対して民放は紅白に負けない特番を組み、牙城切り崩しを行いました。もちろん紅白の番組構成があまりに汎用的で現代人に受けないこともありますが、それ以上に国民に押し付けをする商品は当たりにくくなったとも言えないでしょうか?
私どもはアニメ商品も扱っており、今月から夏の間は毎月のようにイベント出店が続きますが、今年はアニメで大ヒット作品がなく、テーマが絞れません。そんな中、店づくりはどうするかといえば多品種少量仕入れでどんな趣味のお客様にも希望に応えられる商品構成にするしかありません。日本の書店に行くと村上春樹氏の「街とその不確かな壁」が山積みを通り超え、某書店では「文庫タワー」を作っていたのですが、時代遅れのセンスだなと感じるわけです。春樹ファンは一定層いますが、比較論理ならエンタメ系の軽いタッチの東野圭吾の方が圧倒的に一般性はあるのです。書店員のテイストが出すぎて売る側と読む側のミスマッチを感じました。
今後、ヒット番付が意味をなすのか私には疑問を感じます。押しつけ型のマーケティングはもう流行らないのです。客が自分で調べて欲しいものをきちんと選択できる時代とも言えそうです。商品開発の難しさを感じる今日この頃ですね。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年6月4日の記事より転載させていただきました。






