
先月にトランスジェンダリストたちが、既存の学会を ”乗っ取ろう” とする企てについて書いた。調査して「差別的な企画ではなかった」との結論が出た分科会を、気に入らないから「やっぱり差別だ!」とネットで叫び、その場にいない・調査もしない・学会員でもない外部の署名を集めて潰そうというのだから、むちゃくちゃである。

この日本女性学会は今週末、6/7・8に大会を開く。まさしく「学問の自由」が懸念されるだけに、毅然とした対応を望みたい。
ぼくは同学会の会員ではないが、困るのは、自分が属する団体も同じ問題を抱えていることだ。日本文藝家協会でもトランスジェンダリズムによる異論の排斥が起き、会報の紙面がおかしなことになっている件は、かねて報告している。

学会も協会も、メンバーは山のような数いる。会を挙げての「決議文」みたいなものは別として、個別の発表や投稿が異論を招くものだったとしても、本来なら会全体の責任にはならない。
ところが「おたくは ”差別的” な主張に場所を与えましたね、つまりおたくらは組織ぐるみで ”差別” をしました、炎上しますよ…」と因縁をつける人が現われ、運営者が事なかれ主義で「言うとおりにするから許してください!」と白旗を上げると、大惨事になる。そんなハウツーは、昔は常識だった世間知だけど、いま知らない人が多い。

上記で引用した、1986年の加藤典洋さんとの対談で、上野千鶴子さんがまさにそれを述べていたのを、教訓としてご紹介しよう。ふたりの対談集の双方で読めるが、今回は上野さんの方から引く。
当時、彼女も属する会誌に載せた原稿が、「反女性学的な意見」だと外部から批判され、編集部が動揺して、今後は事前に内容をチェックしようとする声が出た。それを一喝していわく――
私はもうびっくり仰天しましてね。オタつくんじゃないよ、それはあなたたちが悪いんじゃない、署名入りで載っている原稿を見て、そのグループの代表の意見だと短絡的に思う受け手が悪い。自分が悪いと思わず、受け手が悪いと思うべきだ。
むしろ送り手の検閲のほうが問題なんだ。こういう開かれたグループでは、たとえば中曽根康弘が会員になって、フェミニストの名において何かむちゃくちゃなことを書いても拒否できないという、それが戦後民主主義というもののパラドックスですね。
私たちにできるのは、中曽根の文章を載せないことではなくて、ただちに中曽根の文章に反論を載せることだけなんです。そういう状況の中に私たちの運動はあるわけだから、検閲制度というのは中曽根の文章を載せるよりもっと悪いことなんだよというふうに言って、反対したんですよ。
『接近遭遇 上野千鶴子対談集』115頁
(段落を改変し、強調を付与)
なんといっても「中曽根康弘が会員になる」という想定と(笑)、それでもOKなんだ、検閲ではなくあくまで言論で戦うんだ、との啖呵がいい。先にも書いたが、この対談が載ったのは1986年。
中曽根氏は当時首相だったのはむろんのこと、前年の85年の終戦記念日には、史上初めて(そして最後にもなるが)靖国神社を「公式参拝」し、軍国主義の復活を目論む右翼の親玉のように言われていた。左の側の反発と警戒心も、「アベガー!」とかのレベルじゃなかったわけだ。

「もちろん、いわゆる公式参拝です」と
取材に応える中曽根首相。
NHKアーカイブスの動画より
ちなみに ”乗っ取り” ないしキャンセルされかけたこの雑誌だが、やっぱりノーチェックは怖いとビビる会員もいて、組織の原則を標語にしたそうだ。「やれやれ」という調子で、上野氏は続ける。
標語というのは簡単なんですが、「だれも、だれをも代表しない」というのと、「だれも、だれにも代表されない」。こんなジョーダンみたいなことを、いまさらイロハのイから言っていかなきゃいけない。
イロハのイを常に言わないと、あっという間にそれがどんどんファッショ的なものに干渉されてくる。そういう権威主義ってどんな場にでもあるんですね。フェミニズムの中にもあるんです。
同書、115-6頁
これまた、本当にヤバいファシズムは中曽根ではなく(苦笑)、フェミニズムの「内側から来るんだぞ」と自省する語り口が、なんとも言えない。ぼくのように、実際にそうしたファシストの群れと戦ったことがあったりすると、なおさらである。

せっかくの素敵な標語を、上野さんが「イロハのイ」だと卑下したのは、1968年ごろの全共闘では常識でしたよね、との趣旨だろう。実際に加藤さんの側も、「ぼくは全然だれも代表してないから……シュプレヒコールも大嫌いで、「インターナショナル」なんていうのを歌うのも大嫌いなんですね」と、嬉し懐かしなノリで応えている。
そうした歴史の共通体験を失うとき、社会は薄っぺらになり、瞬間的なバズりだけが売りのニセモノばかりが横行する。いま、ぼくたちが思い出すべき過去の記憶はどこにあるか、それを「戦後40年」の頃に行われた、ふたりの「元全共闘」の対話は教えてくれる。

P.S.
すぐ上のリンクのとおり、上野さんのことを(ぼくのことも)好きでない小谷野敦氏も、対談集『接近遭遇』は面白がり憧れていたらしいのを知った。これは同感で、とくに加藤典洋の回を挟んで「吉本隆明→ 浅田彰」と繋がる流れが絶品なので、そのうち紹介するかもしれない。
参考記事:


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






