小泉農相はコメ卸を非難する前に、コメ市場についてもっと勉強しよう!

小泉進次郎農相がコメ価格高騰の原因として、「卸の営業利益が急増している」と非難したが、コメの市場構造と価格形成の経緯をまったく理解しない、短絡的な責任転嫁にすぎない。

2023年夏からすでに供給リスクを察知

そもそも、卸をはじめとするコメ市場関係者は、2023年夏の時点で全国的な作柄不良をいち早く察知していた。

農水省自身が毎月公表している「米に関するマンスリーレポート」のDI調査(米取引関係者の判断に関する調査)では、「作柄不良」による需給逼迫と価格高騰が卸などの市場現場から示されていた。

通常、DI調査において作柄が需給動向や米価水準の判断に影響する割合は、平常月では1〜数%程度にとどまる。だが、2023年8月には10%を超え、9月以降は3カ月連続で20%台に達した。

つまり、現場の需給を最もよく知る市場関係者は、すでに2023年夏の段階から、農水省に対して“コメ騒動”の予兆を明確に、かつ継続的に警告していたのである。

「供給は安定」の誤情報が混乱を拡大

それにもかかわらず、農水省は同年10月に「作況指数101(平年並み)」を発表し、以後も「供給は安定している」「コメは足りている」といった誤ったメッセージを繰り返した。

しかし、現場の実感とかけ離れた作況指数の発表によって、実際に存在する供給リスクが統計上は隠蔽され、市場はリスクプレミアムを織り込まざるを得なかった。

言い換えれば、農水省の発信した誤情報によって、実際の需給逼迫が過小評価され、現実とのギャップが拡大。その結果、価格は超過需要率以上に過敏に高騰する“情報錯誤プレミアム”が上乗せされる構造が生じた。

価格上昇は、農水省の不正確な情報発信に対して、市場が合理的にリスク回避行動をとった、きわめて当然の結果にほかならない。

責任転嫁の言説と因果の逆転

農水省はその後の説明責任の過程において、江藤前農相の「流通スタック(停滞)」「転売横行」説、小泉農相の「農協備蓄滞留」「卸の暴利」説など、責任の所在を民間に転嫁する複数の言説を展開した。

もし農水省が現場の声や価格シグナルを正確に把握し、需給見通しとして適切に反映・発信していれば、ここまでの価格高騰や混乱は回避できた可能性が高い。

以上からわかる通り、市場価格を吊り上げたのは小泉農相が糾弾するコメ卸では決してない。農水省の誤った需給情報によって市場と実態のあいだに情報乖離と不信感が生じ、それにコメの各市場プレイヤーが合理的に反応したにすぎない。

その結果である価格上昇は市場が発したシグナルであり、需給の逼迫という現実を可視化する唯一のツールだったのだ。

したがって、農水省統計を司る小泉農相がコメ卸を非難するのは、米価高騰の因果関係を逆転させたまったくもって無責任な主張である。

複雑なリスクを引き受けるコメ卸の機能

主張を撤回するに当り、小泉農相はコメ卸の機能について勉強し、正しく理解しなければならない。

卸は、外食・中食などと複数年ベースの数量契約を結んでおり、価格変動に関係なく、契約通りの供給を維持しなければならない。こうした契約は価格非弾力的な需要に近く、卸は集荷業者からの仕入価格が高騰しても調達を止めることはできない。

つまり卸は、契約履行のためにあえて高値で仕入れ、リスクを負いながら供給を継続しているのである。

これは単なる中間業者による営利活動ではない。むしろ、コメ卸が担っているのは、主食であるコメ市場全体を調整する、準公共的な役割である。流通のクッション役として、需給の波を緩和し、パニック的な欠品や急騰・暴落を防ぐその機能は、社会全体の安定に資する不可欠な存在だ。

3つの機能に分けて説明しよう。

1. リスクベアリング機能

第一に、価格変動リスクの引き受け機能(リスクベアリング)である。

米卸は、仕入れ価格が高騰しても複数年契約や数量確約を守るため、価格に関係なく調達・供給を継続する必要がある。この価格非弾力的な需要構造のもと、価格変動リスクをコメ卸が自ら負担しているのである。

こうしたリスクテイキングには当然、リスクプレミアム(対価)が必要であり、結果として得られた利益はその多寡に関わらず、決して「暴利」ではなく、経済合理的な収益である。

2. ショック吸収機能(スタビライザー)

第二に、価格の急変を防ぐショック吸収機能(バッファー効果)である。

コメのような主食市場では、需給が一定の臨界点(クリティカルポイント)を超えると、価格が非線形的に急騰・暴落する構造がある。こうした非線形性を和らげるために、卸は供給を分散的・計画的に行い、急激な価格変動を抑える緩衝装置(スタビライザー)として機能している。

3. 在庫調整機能(裁定的インベントリーマネジメント)

第三に、在庫調整機能(裁定的インベントリー・マネジメント)である。

卸は、目先の需要過熱に応じて在庫を一括放出するのではなく、新米期など将来の供給時期を見越して、在庫を段階的に市場へ投入する。このような時点間価格差(インターテンポラル・プライスギャップ)に基づく在庫戦略は、価格を過剰に上げ下げせず、時間を通じて価格をならす「スムージング効果」をもたらす。

消費者から見れば、米価は「急に高くなった」と映るかもしれない。

だが実際には、卸が約2年にわたり在庫を慎重に調整し、価格上昇を段階的に図ってきた結果である。その過程で、欠品によるパニックを未然に防いできた。その証拠に、主要な外食や中食産業での「コメ不足」は見かけない。長期契約のない小売に対しては、供給調整を行いながら、過度な買い占めや混乱的な購入行動を抑える「購入抑制効果」も発揮してきた。

こうした卸の機能は、民間でありながら、実質的に公共財的な市場安定化を果たしてきた。その多大な貢献を無視して「利益を得たから悪だ」と断ずるのは経済学的にも政策的にも誤りであり、コメ行政を掌握する農水大臣として失格だ。

統計は「説明」ではなく「構成」する力をもつ

農水省は本来、正確な作況情報と民間の需給予測を精緻に取りまとめ、市場に的確なシグナルを提供する責務を負っている。

その統計には「公共性」と「構成的役割」がある。

市場参加者は、作況指数や需給見通しをただの情報としてではなく、「制度的な前提」として行動をとる。

つまり統計とは「市場の実態を説明する道具」ではなく、「市場そのものを構成してしまう力をもつ制度的要素」なのである。

ゆえに、統計に誤差や見落としがあれば、行政には速やかに訂正・補足し、適切な情報を再発信するアナウンス責任がある。

市場を壊すのは民間ではなく行政の介入である

しかし、コメの公式統計を司る小泉農相は誤った情報を出した責任はとらないばかりか、訂正もせず、挙句の果てには現場の卸事業者を「暴利をとる悪者」として吊るし上げている。

コメ卸を非難する小泉農相の発言は、自省の不備と情報錯誤から目をそらすためのスケープゴート化に過ぎない。その不見識は米のサプライチェーンに対する国民からの信頼を根底から損なわせる暴挙だ。その姿勢は、民業圧迫どころか、もはや大臣による恫喝と言っても過言ではない。

市場経済においては、価格が希少性や需給の逼迫度を反映し、資源の効率的配分を導く。農業も例外ではない。コメ農家もそのメカニズムの中で、毎年リスクを背負って田植え/直播に臨んでいる。

だが、小泉農相が市場価格を無視して備蓄米を安価に放出したり、「米の流通は極めて複雑怪奇でブラックボックスがある」「流通の可視化が必要だ」などと民間事業者に過度な非難と介入を繰り返せば、価格形成メカニズムがゆがめられ、市場からのインセンティブ構造は崩壊する。

結果として、農家は高リスク・低リターンの経営環境に追い込まれ、離農が進む。短期的には安価なコメが供給されるかもしれないが、中長期的には生産基盤の縮小と供給不安を恒常的に招くことになる。

ブラックボックスは「流通」ではなく「農政」

小泉農相は「米の流通は極めて複雑怪奇でブラックボックスがある。可視化を進めたい」といった発言で、あたかも正義の味方を演じてみせても、本当に可視化されるべき“ブラックボックス”は別のところにある。

それは、誤った官製統計を修正せず、自らの判断ミスを検証しようとしない農水省の内側だ。

真に問うべきは、現場の実感と乖離した作況指数の誤りと、それを前提にした誤った需給情報や政策判断、さらにそれを訂正もせず民間に責任を転嫁しようとする、ブラックボックス化した行政組織の“無謬性”のほうである。

<
小泉農相の一連の言動は、コメ市場の主体である生産や流通に寄り添うものではなく、消費者受けや選挙を意識した政治的パフォーマンスにすぎない。

だが、たとえ一時的に一般の消費者を騙せても、卸や農家といったプロの目は欺けない。その軽率な発言と責任転嫁は、現場でコメを支える人々への裏切りであり、日本のコメ全体の信頼と矜持を損なう行為である。


編集部より:この記事は、浅川芳裕氏のnote 2025年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナルをお読みになりたい方は浅川芳裕氏のnoteをご覧ください。