グレタ・トゥーンベリさんが乗る船「フリーダム・フロティラ」マドリーン号が、地中海上でイスラエル軍の支配下に置かれ、グレタさんら乗組員たちは、イスラエル当局によって拘束された。
こうなることはわかっていたと、集団懲罰の文化が根強い日本の世論では、冷笑的な雰囲気も強いようだ。
だが私としては、大停滞社会・日本から、グレタさんを冷笑するような気持ちには、到底なれない。
私には、ガザの絶望的な状況に、著名な運動家としての自分の存在を最大限に活用して、せめてもの行動をとったグレタさんには、尊敬の気持ちしかない。
22歳といえば、大学を卒業する年齢だ。大学教員の端くれとして、勇気を持って巨大な矛盾に一石を投じたグレタさんの姿に、胸が痛む。

気になるのは、日本のメディアが、一斉に、「グレタさんら乗る船、拿捕される」と報じているころだ。
せめて「拿捕」と、「引用」であることを示すためにカギかっこを付けて報じるべきではないだろうか。
イスラエルがグレタさんらを拿捕できるかどうかについては、深刻な疑念があり、各方面でのそのことが指摘されている。深刻なレベルで議論の余地があることを、最初から封じ込める見出しは、客観的とは言えない。
拿捕とは、「政府船舶が商業船舶に対して乗組員を送り込む方法などによりその権力内に置くこと」だが、政府所有の船舶であれば自由自在に誰でも拿捕ができるわけではないことは、言うまでもない。そんなことが許されたら、日本の漁船が公海上で外国籍船に拘束されても、何も文句が言えないことになってしまう。
政府が、強制力を発揮して、指揮下にない私人を権力内に置くからには、当然、法的根拠が必要である。
領海であれば、国内法の刑法等を適用した拿捕が想定されるが、今回の「フリーダム・フロティラ」の場合には、イスラエル領海内の事件ではないため、この可能性はない。エジプト沖を通り、イスラエル領には近づくことなく、ガザに向かっていた。
したがって国際法上の根拠がなければ、イスラエル軍の行動は、違法な私人拘束である。法的根拠を持つ拿捕にはならない。
イスラエルは、武力紛争の存在を根拠にして、武力紛争中の海上封鎖に伴う「拿捕」を主張しているとみられる。しかしガザはイスラエル軍によって違法な占領状態にある場所なので、そもそも海上封鎖の要件が成立しない。違法な占領を根拠に、領海やら海上封鎖やらが合法になるはずがない。占領地に対する占領当局の責任はあるが、土地に対する占領が、恣意的な海上封鎖を、合法化する根拠になるはずはない。
武装した集団からの自衛行動が、占領地であっても違法性を阻却される可能性はあるだろう。しかし非武装で人道支援物資を運んでいた公海上の民間船舶に対する自衛権の行使は、ありえない。ましてイスラエル軍が、積極的に、拘束するための作戦行動をとっていたのであり、占領行政上の理由に伴う自衛権の行使の余地はない。
合法性を欠いた「拿捕」の説明を、あたかも明白に確立された事実であるかのように報道する日本のメディアの態度は、言葉の客観的な意味で、「偽情報」の流布にあたる。
日頃は、血眼になってSNSを徘徊して学者のXの言葉尻でも捉えて「おーい、みんな、隠れ親ロ派を見つけたぞ!」などと「犬笛」を吹いてネットリンチを呼び掛けたりすることに熱心な日本のジャーナリストたちが、イスラエル政府の行動となると、一斉に太平洋戦争中の大本営発表を聞くような従順な態度しか示さなくなってしまうのは、どういうことなのか。
せめてイスラエル政府発表の引用であることを示すカギかっこを付して、「拿捕」と表記すべきだろう。
イスラエル政府は、グレタさんの行動を「セレブのショー」と呼んでいる。占領及び軍事行動を批判する社会アピール運動だ、ということだろう。
イスラエルも、プロパガンダを行っている。イスラエル政府の軍事的強制力を行使したグレタさんらの拘束は、むき出しの実力行使で、占領統治とガザにおける軍事行動を既成事実化して、批判者を無力化するプロパガンダ行動である。
日本のメディアが、そのイスラエル政府のプロパガンダに協力しているということについては、無自覚的であるべきではない。
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