「国家の人格分裂」を治癒するために、政治にこそ文学が必要である。

発売から約1か月で、『江藤淳と加藤典洋』の増刷が決まった。江藤や加藤の名前を知らない人も増えたいま、まさにみなさんに支えていただいての快挙で、改めてありがとうございます。

なぜいま『江藤淳と加藤典洋』なのか|與那覇潤の論説Bistro
今年の5月に、『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』という本を出す。副題のとおり戦後80年にあたっての、ぼくの研究成果だ。 江藤と加藤と聞いても、どっちも知らないよ、という人も多いだろう。別に、それでいい。ふたりとも日本の文学と歴史を大事にして、在野と大学の双方を体験した、批評家だった。この説明以上の知識は、特にい...

このnoteで初めて告知を出したときから、ぼくは一貫して、社会の分断を乗り越えるための本だと書いてきた。江藤と加藤のどちらも、80年前の敗戦の受けとめ方をめぐり、(たとえば)左右のあいだで「人格分裂」のようになった戦後の日本を憂い、その克服を模索したからだ。

そんな江藤と加藤なら、急変する今日の日米関係になにを言っただろうか。浜崎洋介さんと議論するYouTubeの前編が、6/17から公開されている。

加藤典洋は1995年の「敗戦後論」で、護憲派と改憲派がどちらも「われわれ日本人」を代表できず、いがみ合う様子を、ジキル博士とハイド氏の二重人格に喩えた。しかし30年後のいまでは、むしろ米国こそが①ラストベルト派と、②シリコンバレー派と、③ポリティカルコレクトネス派の「三重人格」状態になっている。

平成のあいだ中、日本が二重人格を統合しようと苦しんでいたら、「この人をモデルについていけば大丈夫」と頼ってきたアメリカまで、三重人格になってしまった。ぶっちゃけ医者の方が重病だったと後でわかるような話で、大変なことである。

「足りない主義」が令和の日本を食べ尽くしつつある。|與那覇潤の論説Bistro
先日ぼくも無自覚に使ってしまったが、「精神論」という語を目にして、よい意味にとる人は令和にはいないだろう。 なぜうまくいかないのか? という問いに「気合いが足りないからだ!」としか答えない、根性一辺倒みたいな指導法は、スポーツの現場でも退けられて久しい。いまだに唱える人は昭和の遺物として笑いものになり、パワハラで訴え...

どうしたらいいのだろう。仕事で読んでいた、荒木優太さんの『無責任の新体系』(2019年)に、滋味のある手がかりを見つけた。

文献横断的な哲学エッセイである同書は、「敗戦後論」をめぐる論争からアーレント(ヘッダー右)の読み方を問いなおし、欠点を埋めるヒントをロールズ(左)に求める。その読解は、教科書的な要約とは異なる分、いまアクチュアルだ。

無責任の新体系
――きみはウーティスと言わねばならない 荒木優太 著 四六判上製 216頁 定価:1,980円(本体1,800円) 978-4-7949-7076-3 C0095 〔2019年2月〕 若者は、社会から同時に押しつけられる「責任論」とどう対峙すべきなのか? 自由に生きる道はあるのだろうか? 日本社会における匿名性...

人生は具体的なものだ。言い換えれば、個々別々であり、それぞれが容易に一般化できない経験の厚みをそなえている。そういった特異な人生の群れに対して普遍的に妥当しうる正義の原理を構想するには、全知の神の化身のようなモデルに頼るのではなく、非力ゆえに傾き偏る多様な人生の物語をテストする必要がある。
(中 略)
アレント的注視者はパート的なものを否定するために全体を見渡す神の視線に限りなく近くなる。が、ロールズの当事者はパート的なものの集合体、いわば部分の仮体験を繰り返すことで全体に接近する。

181頁(強調は引用者)

ロールズの思想として知られる「無知のヴェール」は、被れば誰もがいちばん中立で平等な正解を見つけられる、魔法のブラックボックスのようにイメージされがちだ。「自分は何者か?」についていったん無知になることで、たとえ何者であっても、そこそこ暮らせる社会の構想に同意できる。

俺は男だ、白人だ、プロテスタントだ、富裕層だ……みたいな個性を削ぎ落し、完全にニュートラルな視点に立ってみれば、もし自分が「貧困層でムスリムのアラブ系女性」だったとしても、生きていける社会がやっぱいいなと思うはずでしょ?――というのが、通説的なイメージだ。

しかし荒木さんは、それはむしろ(悪い意味で)アーレントの立場であり、ロールズが被せる「無知のヴェール」の内部では個性のリセットではなくて、色んな仮想の人生のシミュレーションが起きていると考える。

それはちょうど、世の中がどんな場所かを十分に知る前に、手あたり次第にフィクション作品を楽しむことで人生のモデルを見つけてゆく体験に近い。荒木さんの本業が「江藤と加藤」と同じく、文芸評論であるがゆえの提言だと思う。

同じ本を「違って読める」ときにだけ、その人は自由である|與那覇潤の論説Bistro
発売中の『文學界』7月号で、上野千鶴子さんと対談した。タイトルは、ずばり「江藤淳、加藤典洋、そしてフェミニズム」。ネットでも2つ、PR用の抜粋が出ている(もう1つのリンクは後で)。 「歴史なき時代における『成熟』とは何か?」 與那覇潤と上野千鶴子の白熱対論 | 文春オンライン 戦後を代表する文芸評論家、江藤...

こうして見たとき、米国の「三重人格」では①のラストベルト派だけが、そうしたセンスを持っていることに気づく。代表するJ.D.ヴァンスがまだ無名の頃から、自伝文学をベストセラーにして政財界に足がかりを作ったのは、偶然ではない。

③のポリコレ派には人文学者も多いが、彼らは政治的な「正解」が社会にあると確信しているので、小説の読み方にも多様性がなく、つまり実は文学的でない。②のシリコンバレー派は、「文系なんてムダ」論者の巣窟みたいなもので、データ化されない個々のユーザーの人生に関心はない。

荒木さんの本にも、近日はテクノ・リバタリアンと呼ばれる「功利的な全体主義」(統治功利主義)への批判があるが、哲学者の千葉雅也さんとも2021年の秋に、重なる議論をしたことがある。

過剰可視化社会 | 與那覇潤著 | 書籍 | PHP研究所
数値化、エビデンス、タグ化が求められ、価値の「見える化」が過剰に進行するコロナ後の社会を考察。千葉雅也氏などとの対談も収録。

千葉 多義性を扱うレトリックが軽んじられてファクトに座を譲ったように、いまは「言葉と意味とは一対一で対応すべきだ」という信仰が強すぎて、そこから「差別的でない新語にすべてを言い換えて世界を覆い尽くそう」とする発想が出てきた。自然科学的な規則志向やエビデンス主義が、人文学の内部にまで侵入してきました。

與那覇 陰謀論とエビデンス主義とは、一見すると正反対ですが、「世界が多義的なものであることを拒絶し、単一の原理のみに回収しようとする」志向では通底しているわけですね。リベラル派が大衆を抑圧する姿勢へと反転した謎を解くカギも、そこにありそうです。

『過剰可視化社会』156頁

イーロン・マスクですら最近ぱっとしないように、「国家の人格分裂」を治癒することが政治の任務になる時代には、正しい意味で文学ができる人こそがいちばん強い。そのことに無知な②や、むしろ人文学の「裏切者」である③をしっかり排斥することは、国力を回復する上で急務なのだ。

「極端主義」の時代: 文学が政治学よりも役に立つとき|與那覇潤の論説Bistro
前回の記事の補足と、別の出演情報の紹介。先月に続き『創価新報』の10月号で、創価学会青年部長の西方光雄さんと対談しています。今回の(特に前半の)テーマは、いま世界的に見られる「中道政治の衰退」。 穏健な二大政党制の母国イギリスで政権交代したら、過激派が路上で移民排斥を唱えて暴動になり、知性ある民主主義の国フランスで...

……というわけで、戦後で最強の「文芸評論家」であり、かつ日米関係を根底から問う批評家だった江藤淳と加藤典洋を、扱う拙著がもっと読まれると嬉しい。ぜひ今後とも応援のほど、何卒よろしくお願いします!

参考記事:1つめの6/25イベントもぜひ!

【與那覇潤氏による教養講座】「推し」でも「アンチ」でもない生き方のために…文芸評論の双璧「江藤淳と加藤典洋」に学ぶ
※本イベントはリアルタイム配信と見逃し視聴(1ヶ月)でご参加いただけるイベントです。 新潮社が運営するオンライン学習サービス「新潮社 本の学校」は、学びたい人のニーズに応える「文系... powered by Peatix : More than a ticket.
なぜいまポリコレは挫折し、かつもっと「挫折させるべき」であるのか|與那覇潤の論説Bistro
今週末に発売の『表現者クライテリオン』3月号に、フェミニストの柴田英里さんとの対談「「議論しないフェミニズム」はどこへ向かうのか?」の後編が載っています! 前編の紹介はこちらから。 今回も盛り沢山ですが、特に注目なのは、柴田さんに美術家としての哲学を伺うなかで―― 柴田 アイデンティティを構築する上では排除の段...
テクノ・リバタリアニズムのどこが「居心地が悪い」のか|與那覇潤の論説Bistro
昨晩のBSフジ「プライムニュース」では、久しぶりに先崎彰容さんとじっくり話せて楽しかった。早くも公式なダイジェスト動画が、YouTubeに上がっている。スタッフの皆様、改めてありがとうございます(ヘッダー写真はその後編より)。 個人的に意外だったのは、むろん「警戒せよ」という趣旨なのだけど、先崎さんがテクノ・リバ...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年6月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。