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今年も、あの8月15日が近づいてきました。あと1か月ほどです。
言うまでもなく、この日は多くの日本人にとって「終戦の日」であり、あらためて戦争について考える人もいるでしょう。
私自身、この日が近づくたびに思うことがあります。それは、戦争を「記憶」ではなく「事実」で語る努力を、私たちは果たして十分にしてきたのか、ということです。
ちなみに、私は「太平洋戦争」ではなく、あえて「大東亜戦争」という言葉を使っています。これは当時の日本政府が正式に決めた名称であり、戦時下の空気感を追体験するためにも、当時の呼称をそのまま用いることに意味があると考えているからです。
ちょうど1年前、私はアゴラにて山本七平氏の『空気の研究』を手がかりに、戦争と「空気」の関係を読み解くシリーズ記事を寄稿しました。
「空気の研究」の研究:大東亜戦争の終戦は「空気」で決まったのか?
「空気の研究」の研究②:大東亜戦争開戦の理由は行動経済学で分かるのか?
「空気の研究」の研究③:なぜアメリカは対日石油禁輸が絶対に必要だったのか?
奇しくも、記事掲載直後の8月13日には、パリオリンピックから帰国した早田ひな選手が「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と語ったことが報じられ、特攻隊に関する議論が急速に盛り上がる場面がありました。
今年は「昭和100年」、そして「終戦80年」という節目の年でもあります。この流れの中で、1年前の議論をさらに深めたいと思い、データと史料に基づいて『神風特攻隊のサイエンス』を上梓することにしました。
しかし、実際に取り組んでみて感じたのは、特攻というテーマを「データで検証する」こと自体が、いまだにどこか“タブー”視されているという事実でした。
米軍が解読した暗号から浮かび上った「特攻」の実像
「戦後、日本軍の機密資料はすべて焼却された」──そう語られてきた歴史。しかし実際には、多くの作戦情報や戦況報告が、アメリカ軍の暗号解読記録として保存されていたのです。
たとえば2015年、防衛省主催のシンポジウムで歴史家リチャード・B・フランク氏は、「アジア・太平洋戦争の終結―新たな局面―」という論考を発表。
これらの[大東亜戦争における]一連の出来事についての我々の理解が大きく変わる契機になったのは、1970年代以降、機密扱いとなっていた米国の無線諜報情報が大量に公開されたことであった。
(中略)
終戦直後、日本の指導部が戦犯裁判に影響しかねないと恐れた文書類が大量に破棄された。しかし、日本の指導部は自国のコードや暗号が広範に破られていることに気づいていなかったため、日本の意思決定を浮き彫りにする当時の疑いなく真正な文書が、米国の記録の中に大量に残されていたのである。
アメリカで文書の公開が始まったのは1970年代以降。つまり日本国内では、まだ核心的な情報にアクセスできない状態で、多くの評論や研究(たとえば名著とされる『失敗の本質』や『「空気」の研究』)がなされてきたということになります。
この“情報の非対称性”は今も尾を引いており、近年ではWikipedia英語版やアメリカの研究書の方が、一部の日本語文献より「事実に忠実」であるといった逆説的な現象も生じています。
通説の再検証が導いた新たな視点
今回、私は一次資料とAI(ChatGPT)を活用し、特攻の軍事的・心理的効果を分析しました。
その結果、これまで一般的に語られてきた「非合理な作戦」「さほどの戦果はない」といった見方とは異なる側面が浮かび上がってきました。たとえば──
- 直接的な戦果を遙かに上回る、米軍に対する極めて強力な抑止効果
- 戦争終結に与えた決定的な影響
- 米軍の内部文書に見られる、特攻へのある種の敬意
- 同盟国ドイツとは対照的に、終戦の日も鉄道は定時運行
中でも特筆すべきは、本土決戦が実現していた場合、日本が局地的に勝利する可能性も完全には否定できない、という点です。
もちろん、最初は信じられませんでした。しかし、英語の資料からは、そうとも読み取れる記述が散見されます。
本土決戦に備え、九州に50万人を超える日本軍兵士と1万機の特攻機を準備
沖縄戦が終了したのは1945(昭和20)年6月。米軍は、その後に日本本土上陸計画(ダウンフォール作戦)として、11月に九州上陸計画(オリンピック作戦)、翌年3月には関東平野上陸計画(コロネット作戦)を予定していました。
米軍が解読した暗号情報によれば、次のWikipedia英語版にある図のように、最初の米軍上陸予定地である九州には、1945年8月時点で50万人を超える日本軍が集結。さらに「根こそぎ動員」による民間人兵士、特攻機も1万機規模に達していたとされます
一方、米軍の上陸部隊も同規模ながら、「攻撃側は守備側の3倍の兵力が必要」という「勝利の公式」を踏まえると、日本が勝利する可能性も否定できないことが読み取れます。
なぜこれだけの動員が可能だったのか。それは、日本国内の鉄道網が終戦後まで機能していたからに他なりません。
終戦の日も鉄道は定時運行していた
一定の年齢以上の方なら、終戦直後の食糧難で、親や祖父母が地方へ買い出しに行った話を聞いたかもしれません。では、はるばる何十㎞も歩いて米を買いに行ったのか。もちろんそうではなく、多くの方は鉄道を利用したはずです。
しかし、よく考えると奇妙な話です。日本中が焼け野原になっていたはずなのに、鉄道は問題なく定時運行していたのか?
実はそうなのです。これは、終戦直前の1945年7月の時刻表で確認することができます。
図3 1945年7月の時刻表
かつての国鉄総裁・磯崎叡氏はこのことに触れ、終戦の日に広島から鉄道で東京に戻ったという『あの日も列車は定時だった』という著書を出版しています。
これらは、かつての同盟国ドイツとは対照的に、日本では終戦まで鉄道が定時運行していたことを明確に示しているのです。
当時の写真を見てみると、原爆でも広島駅舎は辛うじて生き残り、東京大空襲でも石造りの建物と鉄橋は残っています。
図5 東京大空襲
対照的に、ドイツでは石造りの建物まで徹底的に破壊され、鉄橋も完全に破壊されています。
図6 ケルン空襲
主な理由は、日本に投下された爆弾量がドイツの約10分の1であり、桁違いに少なかったためです。ただし、木造の建物では、焼夷弾の被害により多くが焼失しています。
ドイツの日本との“無条件降伏”の違い
このように、かつての同盟国ドイツとの違いは印象的です。
ドイツでは、1944年末には鉄道網が徹底的に破壊され、極度の石炭(燃料)不足で戦争継続が事実上不可能な状態に陥ります。
図7 ドイツの石炭輸送量
その後、1945年4月30日にヒトラーは自殺し、政府要人はすべて自殺、逃亡、捕虜となり実質的には無政府状態。
このため、中央政府による「降伏」も不可能となり、最終的に米英仏ソ4国による直接統治に移行しています。
対して、日本は依然として中央政府は健在であり、1945年8月には「本土決戦」が想定された九州に、前出のように50万人を超える兵力を送り込む能力を持ち、1万機の特攻機も使用可能でした。
しかし、真珠湾攻撃による“だまし討ち”で始まったと認識しているアメリカ世論は厳しく、“無条件降伏”以外は受け入れがたい雰囲気が支配していました。
なにしろ、1945年6月の米ギャラップ調査では、33%が昭和天皇の処刑を求め、17%が裁判を、11%が生涯における拘禁、9%が国外追放するべきであると回答しているのです。
その一方で、アメリカは占領統治の実務を見据え、「交渉相手を完全に消滅させる」ことのリスクも理解していました。東京が原爆投下の候補地から外された理由の一つも、まさにそこにあったのです。
このことは公開された機密文書から読み取ることも可能です。
前出のフランク氏は、次のように述べています。
米軍統合参謀本部は、米国にとって最大の問題はダウンフォール作戦[日本上陸計画]の進行ではなく、日本政府と軍部が秩序ある降伏をしないことだと認識していました。
なぜなら、終戦直前になっても、米軍は日本占領地域のすべてを奪還したわけでないからです。もし日本の降伏がなければ、本土やアジアの400~500万人もの日本軍残存兵力に打ち勝つ必要があり、ダウンフォール作戦が成功しても終戦にはならないのです。
氏は「米国が直面しうる究極の惨状」をこう描き出します。
米軍は最後まで[400~500万人もの日本軍残存兵力との]地獄の掃討戦をやる破目に陥る。そうであれば米軍が懸念していた、対独戦終了後の極東への兵力移動がもたらす士気喪失がきっかけとなり、対日戦での米軍士気を完全崩壊させかねなかった。
以上のことから考えると、日本の「国体護持」(天皇制維持)が実質的に保証されたのは、「偶然」ではなく「必然」ということになります。
言うまでもなく、これは「特攻」などにより極めて頑強に日本が抵抗したからです。言い換えれば、特攻には直接的な戦果を遙かに上回る、米軍に対する極めて強力な抑止効果があったことになります。
特攻の「科学的検証」はなぜ語られにくいのか
こうした文脈であらためて振り返ると、特攻の軍事的意味とは何だったのか。その問いに対して、日本国内では十分な議論がなされてきたとは言いがたいのが現状です。
戦後80年。いま必要なのは、「空気」ではなく「事実」に基づいた検証です。
本書が、その一助となれば幸いです。
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金澤 正由樹(かなざわ まさゆき)
1960年代関東地方生まれ。山本七平氏の熱心な読者。社会人になってから、井沢元彦氏と池田信夫氏の著作に出会い、歴史に興味を持つ。以後、独自に日本と海外の文献を研究。コンピューターサイエンス専攻。数学教員免許、英検1級、TOEIC900点のホルダー。
『神風特攻隊のサイエンス:データが語る過小評価と続「空気の研究」の研究』