ウクライナ戦争に踊った「大きな少国民」

20日発売の『Wedge』8月号から、巻頭コラムの連載を担当させていただいています。ずばり、タイトルは「あの熱狂の果てに」。

今日に至る、さまざまな歴史上の熱狂をふり返り、「……しかし、いま思うとあれは何だったの?」を省察するのがコンセプト。毎回、写真家の佐々木康さんによる撮りおろしの扉もつきます。

ひと:佐々木康さん=ウクライナの義勇兵に同行した報道写真家 | 毎日新聞
佐々木康(ささき・こう)さん(53)  ロシアの侵攻を受けるウクライナで義勇兵に同行し、衣食住を共にした約200日を記録した写真集「ヘルソン――ミサイルの降る夜に」を出版した。

依頼をいただいた際、私が最初に思いついた連載名は「うおおおお!なヒトビト」という身もふたもないモノだったのですが(汗)、編集部のご提案で、詩情溢れるタイトルになり感謝です。

「紅衛兵」の時代がふたたび来るのか?(ニッポン放送・私の正論に出ます)|與那覇潤の論説Bistro
ニッポン放送の名物コーナー「私の正論」の収録に行ってきました。前々回の記事で村松剛に触れたタイミングで、彼の旧著と同じタイトルの番組からお声がかかるとは、奇縁を感じます。 1976年刊。 個人的には史論や文芸評論に比べて、 村松の正論(政論)はイマイチですが… 昨年末刊の『正論』2月号に寄せた「斎藤知事再選と「推し選挙...

前号でも「沖縄特集」の一環として、前フリ的に「憲法9条という熱狂」を採り上げましたが、独立したコラムとしてスタートする今回、採り上げるのは太平洋戦争。それでも、日本人は選びましたからね(笑)。

作家の小林信彦さんの回想『一少年の観た〈聖戦〉』を素材に、当時と現在を往復しながら、人が戦争に熱狂するとは、どんな状態かを掘り下げています。映画少年だった小林は真珠湾攻撃のとき8歳、東南アジアの密林を往く日本軍の進撃を、大好きなターザン映画になぞらえていました。

小林信彦 - Wikipedia

となれば、いま対照すべきは、令和のあの戦争の「銃後」ですよねぇ。拙文を引きますと――

「戦争のおかげで、ぼくとジャングルが地続きになったのである」。少年の目線では「〈大東亜戦争〉とは、ぼくが猛獣狩をするためのチャンスであり、プロセスであった」と、小林は思い出す。玩具の銃だけでなく、ほんものの熱帯用ヘルメットを買ってもらい、予行演習のつもりで毎晩遊んでいたという。

いま日本の少年をターザン映画のように冒険に誘うのは、ロボットアニメやオンラインのバトルゲームである。だから近年に海外で起きた戦争でも、「おかげで、ぼくとガンダムが地続きになったのである」といった快楽に耽っているのかなとしか、評しようのない振るまいが世に溢れた。

小林のように小学校(当時は国民学校)でそうなるのはしかたないが、いい歳をしたおじさん・おばさん、まして学識者がそれでは困る。どうにも日本人は、「戦時下の少年」の目線から、進歩できずにいるらしい。

しかしそうなるのにも、理由がある。

9頁(強調を付与)

そうそう、困るんですそれじゃ。なにより困るのは、そう苦言を呈されただけで「誹謗中傷ガー! 開示請求ダー! 損害賠償ダー!」みたいな人で、もはや少国民らしい可愛げもないのね(苦笑)。

「ロシアは池乃めだか的に終わってほしい」との迷言を遺した識者もいましたが、戦時下の少国民だって「米英はエンタツ・アチャコみたくどつかれてほしい」とか思ってたんすよ(笑)……というのが、歴史を振り返ると見えてくるわけです。

ウクライナ論壇でも始まった「歴史修正主義」: 東野篤子氏の場合|與那覇潤の論説Bistro
2020年の7月に出た雑誌への寄稿を、「コロナでも始まった歴史修正主義」という節タイトルで始めたことがある。同年4~5月の(最初の)緊急事態宣言が明け、その当否の検証が盛んだった頃だ。 池田信夫氏のJBpress(2020.5.15)より 統計が示すように、①新型コロナウィルスへの感染は緊急事態宣言の前からピークアウト...

あっ! 軍国主義の時代は、「防諜ごっこ」も少国民に流行りました。「噂ではあの家はスパイ~」「ボクらも戦ってるぞ!」みたいな。で、民主主義の選挙でも同じことやってる大きな少国民をこの前見たけど、なにしてんの。戦争のコスプレ?

選挙の情勢を「外国のせい」にする人こそ、民主主義の脅威である。|與那覇潤の論説Bistro
今年の1月に出た『文藝春秋』では、浜崎洋介さんとこんな議論をした。2024年末にルーマニアで極右候補が躍進した大統領選挙を、「ロシアの工作だ」として無効にする事件を受けてのことだ。 浜崎 外国からの政治干渉というのは、政治的には当たり前の話ですよ。だから干渉されないように防衛するんですが、でも、実施された選挙自体...

進歩のない人たちで「遊ぶ」のはこの辺にして、先ほどの引用で大事なのは、最後の1行です。

しかしそうなるのにも、理由がある。

前も書いたけど、批判と非難は別のもので、どこで分かれるか。単にダメ出しして満足なら、非難。「しかしなぜそうなった?」と理由まで考えるのが、批判というのは、妥当な指標でしょう。

言論人にとって「批判」とはなにか?:『江藤淳と加藤典洋』刊行によせて|與那覇潤の論説Bistro
いよいよ本日(5/15)、新刊『江藤淳と加藤典洋』が発売になる。ヘッダーのとおり、上野千鶴子さんが、過分な帯を寄せてくださった。 ……と、殊勝なことを書くと「口先だけで、お前ホントは恐縮してないだろ?」とか絡む人が出てくるけど、そんな次元の話ではない。 二人の巨人と辿る戦後80年間の魂の遍歴 『江藤淳と加藤典...

なぜ80年近く後にウクライナ戦争を迎えても、日本の民度は真珠湾攻撃に沸く「少国民」のままだったのか。その考察は『Wedge』を手に取っていただくとして、書ききれなかった小林さんの挿話を、最後にご紹介したく。

小林信彦さんの『一少年の観た〈聖戦〉』は、1940年11月の「皇紀2600年祭」に始まり、47年5月3日の日本国憲法施行の式典で終わります。あいだに挟まる「戦争」の熱狂と、幻滅を経て――

式は十時からで、芦田均憲法普及会会長のあいさつがあった。

驚いたのはそのあとで、尾崎行雄がマイクの前に立ったのだ。この人がむかし〈憲政の神様〉と呼ばれたことぐらいは知っていたが、生きているとは思わなかった
(中 略)
この日の尾崎の演説をぼくは記憶している。それはとても良いものだった。この日の人々のあいさつの中で唯一、記憶するに足るものだと思うので、新聞から引用する。

「私は本日のきびしい天候を、この新憲法施行の日のためによろこぶ。なぜならば、この天候のごとく、国家の前途は、たとえ新憲法ができても、むずかしい!」

単行本版、206頁

ここに「熱狂」はない。うおおおお国民主権! も、うおおおお戦争放棄! もない。では、なにが在るのか。

”主権潔癖症” が招き寄せる第三次世界大戦の足音|與那覇潤の論説Bistro
周知のとおり、6/13にイスラエルがイランを空爆し、交戦状態に入った。ウクライナ戦争と同様に当初、トランプの米国は両者に停戦を求めたが奏功せず、参戦の可能性さえ報じられ始めている。 イスラエルとイラン、攻撃の応酬続く イランは死者220人超と発表 - BBCニュース イスラエルとイランの対立は激しさを増し、...

まさに歴史であり、成熟でしょう。毎月、読めばよい意味で齢が重なるコラムをめざしますので、ご贔屓にしてくだされば幸いです。

1947年5月3日、
荒天の憲法施行式典での昭和天皇
(尾崎行雄記念財団のコラムより)

参考記事:

なぜ、悪口や不謹慎にも「寛容であるべき」なのか: 日中戦争からウクライナへ|與那覇潤の論説Bistro
戦後80年を考える著書として、先月『江藤淳と加藤典洋』を出したところ、「この本の著者はヒトラーで、帯を寄せた学者はスターリンだ」という、ものすごい悪口が届いてしまった。それも、著名な評論家からである。 ふつうに考えてイミフだけど、でも、そういった「悪口芸」も含めて言論の自由だから、昨今流行りの民事訴訟ダーも刑事告訴ダ...
ウクライナ浪漫派の耐えられない猥褻さ|與那覇潤の論説Bistro
今年に入って2回、お会いした相手から「江藤淳のこの文章、いまこそ大事ですよね」と切り出されて、驚いたことがある。ひとりは『朝日新聞』で対談した成田龍一先生で、もうひとりはいまアメリカで取材されている同紙の青山直篤記者だ。 文章とは、江藤の時評で最も有名な「「ごっこ」の世界が終ったとき」。初出は『諸君!』の1970年...
『ウクライナ戦争は起こらなかった』|與那覇潤の論説Bistro
フランスの現代思想家だったボードリヤールに、『湾岸戦争は起こらなかった』という有名な本がある。原著も訳書も1991年に出ているが、お得意のシミュラークル(いま風に言えばバーチャル・リアリティ)の概念を使って、同年に起きたばかりの戦争を論じたものだ。 ボードリヤールは当初、「戦争になるかもよ?」というブラフの応酬に留ま...

(ヘッダーは毎日新聞の記事より。1943年9月の戦意昂揚ポスター)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年7月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。