
20日発売の『Wedge』8月号から、巻頭コラムの連載を担当させていただいています。ずばり、タイトルは「あの熱狂の果てに」。
今日に至る、さまざまな歴史上の熱狂をふり返り、「……しかし、いま思うとあれは何だったの?」を省察するのがコンセプト。毎回、写真家の佐々木康さんによる撮りおろしの扉もつきます。

依頼をいただいた際、私が最初に思いついた連載名は「うおおおお!なヒトビト」という身もふたもないモノだったのですが(汗)、編集部のご提案で、詩情溢れるタイトルになり感謝です。

前号でも「沖縄特集」の一環として、前フリ的に「憲法9条という熱狂」を採り上げましたが、独立したコラムとしてスタートする今回、採り上げるのは太平洋戦争。それでも、日本人は選びましたからね(笑)。
作家の小林信彦さんの回想『一少年の観た〈聖戦〉』を素材に、当時と現在を往復しながら、人が戦争に熱狂するとは、どんな状態かを掘り下げています。映画少年だった小林は真珠湾攻撃のとき8歳、東南アジアの密林を往く日本軍の進撃を、大好きなターザン映画になぞらえていました。

となれば、いま対照すべきは、令和のあの戦争の「銃後」ですよねぇ。拙文を引きますと――
「戦争のおかげで、ぼくとジャングルが地続きになったのである」。少年の目線では「〈大東亜戦争〉とは、ぼくが猛獣狩をするためのチャンスであり、プロセスであった」と、小林は思い出す。玩具の銃だけでなく、ほんものの熱帯用ヘルメットを買ってもらい、予行演習のつもりで毎晩遊んでいたという。
いま日本の少年をターザン映画のように冒険に誘うのは、ロボットアニメやオンラインのバトルゲームである。だから近年に海外で起きた戦争でも、「おかげで、ぼくとガンダムが地続きになったのである」といった快楽に耽っているのかなとしか、評しようのない振るまいが世に溢れた。
小林のように小学校(当時は国民学校)でそうなるのはしかたないが、いい歳をしたおじさん・おばさん、まして学識者がそれでは困る。どうにも日本人は、「戦時下の少年」の目線から、進歩できずにいるらしい。
しかしそうなるのにも、理由がある。
9頁(強調を付与)
そうそう、困るんですそれじゃ。なにより困るのは、そう苦言を呈されただけで「誹謗中傷ガー! 開示請求ダー! 損害賠償ダー!」みたいな人で、もはや少国民らしい可愛げもないのね(苦笑)。
「ロシアは池乃めだか的に終わってほしい」との迷言を遺した識者もいましたが、戦時下の少国民だって「米英はエンタツ・アチャコみたくどつかれてほしい」とか思ってたんすよ(笑)……というのが、歴史を振り返ると見えてくるわけです。

あっ! 軍国主義の時代は、「防諜ごっこ」も少国民に流行りました。「噂ではあの家はスパイ~」「ボクらも戦ってるぞ!」みたいな。で、民主主義の選挙でも同じことやってる大きな少国民をこの前見たけど、なにしてんの。戦争のコスプレ?

進歩のない人たちで「遊ぶ」のはこの辺にして、先ほどの引用で大事なのは、最後の1行です。
しかしそうなるのにも、理由がある。
前も書いたけど、批判と非難は別のもので、どこで分かれるか。単にダメ出しして満足なら、非難。「しかしなぜそうなった?」と理由まで考えるのが、批判というのは、妥当な指標でしょう。

なぜ80年近く後にウクライナ戦争を迎えても、日本の民度は真珠湾攻撃に沸く「少国民」のままだったのか。その考察は『Wedge』を手に取っていただくとして、書ききれなかった小林さんの挿話を、最後にご紹介したく。
小林信彦さんの『一少年の観た〈聖戦〉』は、1940年11月の「皇紀2600年祭」に始まり、47年5月3日の日本国憲法施行の式典で終わります。あいだに挟まる「戦争」の熱狂と、幻滅を経て――
式は十時からで、芦田均憲法普及会会長のあいさつがあった。
驚いたのはそのあとで、尾崎行雄がマイクの前に立ったのだ。この人がむかし〈憲政の神様〉と呼ばれたことぐらいは知っていたが、生きているとは思わなかった。
(中 略)
この日の尾崎の演説をぼくは記憶している。それはとても良いものだった。この日の人々のあいさつの中で唯一、記憶するに足るものだと思うので、新聞から引用する。「私は本日のきびしい天候を、この新憲法施行の日のためによろこぶ。なぜならば、この天候のごとく、国家の前途は、たとえ新憲法ができても、むずかしい!」
単行本版、206頁
ここに「熱狂」はない。うおおおお国民主権! も、うおおおお戦争放棄! もない。では、なにが在るのか。

まさに歴史であり、成熟でしょう。毎月、読めばよい意味で齢が重なるコラムをめざしますので、ご贔屓にしてくだされば幸いです。

1947年5月3日、
荒天の憲法施行式典での昭和天皇
(尾崎行雄記念財団のコラムより)
参考記事:



(ヘッダーは毎日新聞の記事より。1943年9月の戦意昂揚ポスター)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年7月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







