「歴史を誤用」する歴史学者を信じるのはもうやめよう。

いよいよ8月で、昭和史と「歴史の教訓」の季節性インフレがピークとなる。そんな時こそ、メディア上のニセモノを警戒しなくてはならない。

戦後80年を「キャンセルをやめる年」に|與那覇潤の論説Bistro
あけましておめでとうございます。去年の師走に「2020年代の前半」が終わるという観点で、私たちの生きてきた時代を振り返るインタビューを出していただいたのですが、いよいよ2020年代も後半戦です。 世界は無根拠、だけど怖くない 與那覇潤氏インタビュー - 教育図書 アメリカでトランプ氏が再び大統領に選ばれ、日...

アゴラで野口和彦氏(国際政治学)が、興味深い記事を書いていた。「歴史に学んで」なにかを決断するとき、人は過去の史実Aが現状Bと「似ているから」といったアナロジーを用いるが、そのAとBとの並べ方が適切でない場合、かえって大惨事を招いてしまう。

とはいえ、過去の参照を「禁じる」わけにもいかない。むしろその大失敗Cが、やがては顧みられる過去の史実となる。ぼくらにできるのは、なるべく歴史の思い出し方のバリエーションを多くして、偏ったアナロジーが言論を席巻しないよう努めることだけだろう。

「歴史に学べ!」の落とし穴
国家の指導者は、過去に起こった出来事を頼りにして対外政策を決定することがあります。その際、「歴史のアナロジー」は、政策決定者にとって、しばしば、よきガイダンスになります。 無政府状態(アナーキー)において、国家は高い「不確実性...

ウクライナでの西側の失敗を覆い隠せない今日、まちがったアナロジーとしてすっかり評判が悪いのが、ミュンヘン会談の教訓(1938年)だ。ヒトラーとの妥協が彼をつけ上がらせたとして「宥和外交、ダメ、ゼッタイ」の根拠になり、「プーチンと交渉するな」と説くために引かれた。

宥和政策の当否はともかく、そもそもミュンヘン会談自体に対して誤解が多い。ナチスの勢いに「ビビッて日和った」みたいに単純な話でなかったことは、篠田英朗氏も書いている。

「チェンバレンのように行動しない」とはどういうことか
「ポーランドはチェンバレンのように行動しない」とポーランド外相が語った、というニュースを見て、チェンバレン氏が可哀そうになった。 「チェンバレン」は「宥和政策」の代名詞として用いられる。ヒトラーのドイツによるチェコスロバキアの...

野口氏も触れるが、この「歴史の誤用」という現象に最初に注目したのは、外交史家アーネスト・メイの『歴史の教訓』(1973年)である。米軍でも戦史を編纂したメイは、眼前のベトナム戦争敗北の原因を探る中で、この着想に達した。

日本では、加藤陽子氏のベストセラー『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009年)の序章に引かれたことで、知った人が多い(ぼく自身もそうだ)。たとえば、こんな調子である。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子 | 新潮社
膨大な犠牲と反省を重ねながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそ れぞれに国家の未来を思い、なお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横

メイ先生のいいたいことをはっきりいってしまえば、政府を引っぱるような政策形成者は、歴史をたくさん勉強しなさいね、ということですね。

メイ先生は、政府の意思決定に携わる人々が、きちんと自分の話を聞くように、第二世界大戦以前の時期に、アメリカは歴史をいかに誤用したか、冷戦期に入ってどれだけ誤用したか、朝鮮戦争の時期にどれだけ誤用したか、ベトナムの体験でどれだけ誤用したか、それを実に面白く詳細に明らかにしました。

新潮文庫版、87頁
(強調と改行は引用者)

この文章自体はまちがっていないが、にもかかわらず、著者はまちがっている。読んでわかるとおり、まちがえるのは政治家であり、歴史学の「先生」はまちがえない、だから政治家は「先生」に従うべきだという、立証できない事実に基づく無根拠な価値観が、前提とされているからだ。

この発想が、自身を学術会議の会員に任命しなかった「政府を叱る」という、近年の加藤氏の言動の基礎にあることは確かだろう。だがその結果、得られたものは、なにもなかった。

日本学術会議を敗北させた「A級戦犯」は誰か?|與那覇潤の論説Bistro
今月11日に、日本学術会議を法人化する法案が成立した。いわゆる「6名の任命拒否」問題が浮上したのは2020年10月だから、4年半超をかけての決着で、太平洋戦争より1年長い。 法人化に伴い、日本学術会議の会員は、①総理大臣による任命ではなく、会議が自ら選ぶ形となる。一方で、②運営の評価や監査を行う役職は、会員以外から総...

どうしてか。政治家と同じかそれ以上に、歴史学の「先生」もまた歴史を誤用するからである。

6月、国民の無関心と失笑の内に終わった日本学術会議騒動をめぐる、最大の謎は、なぜ法案の阻止も修正もほぼ不可能となった参議院での審議の段階で、(加藤氏を含む)抗議行動が活発化したかだ。そこにはおそらく、戦後80年を飾るに相応しい(?)、 歴史の誤用があったと思う。

五月雨や ツワモノどもが夢の痕 2025学術会議法人化騒動記|狸穴猫(まみあなねこ)
2025年6月11日、参議院本会議で、学術会議法の改正が可決され、学術会議の独立行政法人化法案が成立した。 既にいくつか5月の連休後からの動きについては記事を書いているので、その部分は割愛し、本記事では、2025年5月13日衆議院通過以降の流れを簡単に追っていきたいと思う。 2025年5月20日の「緊急院内...

戦後の市民運動の頂点とされる、60年安保闘争のピークは、5月20日の「衆院通過」の後だった。強行採決どころか、警官隊を国会に投入して野党議員の座り込みを除去し、実質は自民党だけの本会議での可決成立である。

警官隊に抱えられて排除される
社会党・江田三郎書記長
(NHKアーカイブスの動画より)

これは条約の可否を越えて「民主主義の危機だ」ということで、空前絶後の反対運動が起きたのだが、気をつけるべき点がある。条約の批准は、憲法が衆議院の優越を定める事項の1つなので(61条)、仮に参議院では審議や採決が行われなくても、30日後に「自然成立」する。

つまり政府としては30日間をしのげば、最低限の目標には達する。それもあって国民規模の反対の声は、参議院での「採決なし」と、アイゼンハワー米大統領の来日中止を勝ち取った。どの程度評価するかはともかくとして、歴史書に残せるなにかは得たわけである。

何もかもが見えすぎる社会は人を幸せにしない――與那覇潤(評論家)【佐藤優の頂上対決】(全文) | デイリー新潮
透明化や可視化が「善」とされるこの社会。コロナ対策ではエビデンスや数値化といった言葉が声高に叫ばれた。…

今年、学術会議を法人化する法案が衆院を通過したのも5月半ばだった。そこから「危機感を募らせて立ち上がる!」という演出は、60年安保をなぞったとも言える。で、それは正しかったか。

今回の法案は通常の法律なので、衆院から回ってくれば、参院でもふつうに採決する。まして当時は参院では与党が過半数・衆院のみ少数与党なのだから、参院の審議が始まってから(院外で)座り込んでも意味がない――のだが、歴史学者は「デートもできない警職法」(1958年)とか、謎すぎる歴史の誤用を楽しそうに語っていた。

それにしても、不思議である。上記の動画(ヘッダーも)を見てほしい。

60年安保は言うに及ばず、平成の晩期に「国会前デモ」の流れを生んだ2011年からの脱原発運動、15年のSEALDsと比べても、この問題で集まった人数はびっくりするほど少ない。主に高齢者が、歩道に沿って並んで聞いてるだけで、デモというより屋外カラオケだ。

もし歴史を覚えていたらこのとき、過去の事例と比べてしまって、つらくてやり切れないんじゃないかと思う。集まりの少なさに「わっと泣き出す」のがふつうの反応で、にこにこマイクを手に演説するなんて、ぼくならとてもできない。

それでも平気で「運動」した気持ちになれる人は、歴史中枢とも言うべき脳内で過去の記憶を司る部分を、セルフ・ロボトミーで切除しているのかなと思う。そんな人がいてもいいけど、同じ人が歴史の専門家を名乗るのは、単に矛盾だ。

コロナ以後の世界に向けて「役に立たない歴史」を封鎖しよう
目下のコロナ騒動が前例のないものではなく、歴史家の眼で見ればかつて起きた国家的な失敗の反復に過ぎないことを、前編では論じた。しかし私はいま、そうした「歴史」というものの無力さを痛感している。

2020年5月の上記の記事以来、何度も述べてきたが、新型コロナ禍では歴史学者ほど「歴史の誤用」を繰り返した。抗生物質やワクチンはむろん、上下の水道さえ十分になかった幕末のコレラや大正のスペイン風邪を連想して怖がるのが、「歴史の教訓」だとする議論が平気であった。

さすがに挽回しないとヤバい、と気づいた歴史学者が走ったのが、20年10月からの「学術会議の任命拒否に抗議する」運動であり、コケた後もなお私って意識高い感を求める一部が乗ったのが、21年4月の「炎上した歴史学者をみんなで叩こうぜ」署名だった。周知のとおり、ともに遠からず、笑いものになって終わっている。

オープンレター秘録③ 一覧・史料批判のできない歴史学者たち|與那覇潤の論説Bistro
学問的な歴史に興味を持ったことがあれば、「史料批判」という用語を一度は耳にしているだろう。しかしその意味を正しく知っている人は、実は(日本の)歴史学者も含めてほとんどいない。 史料批判とは、ざっくり言えば「書かれた文言を正確に把握する一方で、その内容を信じてよいのかを、『書かれていないこと』も含めて検証する」営みだ。...

いま必要なのは、信賞必罰である。

歴史を適切に利用し、この間生じた問題のすべてに正しく対応してきた者が、讃えられなければならない。逆に「歴史の誤用」を犯した者は、それが歴史の専門家であればあるほど、責任を問われなければならない。

「コロナではまちがえました」。その程度の反省もできないまま、座り込みやネット署名の代償行動でごまかし続ける歴史学者を、ぼくたちはもっと侮蔑してゆこう。彼らが悔い改めるか、逆にすべての権威と信用を失うとき、初めて歴史はこの社会に帰ってくる。それは、誤用ではない。

参考記事:

【聞きたい。】與那覇潤さん 『歴史なき時代に 私たちが失ったもの 取り戻すもの』
 ■空気に流された専門家たち
戦争に敗けた後で、歴史を書くことは野蛮なのか|與那覇潤の論説Bistro
今月発売の『文藝春秋』2月号にも、連載「「保守」と「リベラル」のための教科書」が掲載です。戦後80年の最初の月に寄せて、私が採り上げたのは石川淳の代表作「焼跡のイエス」(1946年)。 敗戦直後を代表するこの短編のあらましは、ずばり、まずは以下のリンクから読めるところまで読んでいただくとして、文字数の関係でどうしても...
昭和を忘れた日本人は、なぜここまで未熟なのか:『江藤淳と加藤典洋』序文①|與那覇潤の論説Bistro
いよいよ5/15に、新刊『江藤淳と加藤典洋』を出す。病気の後は対談を併録するなど、他の方に助けられて本を作ることが多いので、100%自分の文章のみの純粋な単著としては、2021年の『平成史』以来、4年ぶりになる。 前から書いてきたとおり、ぼくなりに戦後80年、昭和100年を受けとめた著作だ。そのメッセージが伝わるよう...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。