「見えない原爆投下」がいま、80年後の世界を揺るがしている。

昨日発売の『潮』9月号で、原武史先生と対談した。病気の前には原さんの団地論をめぐり『史論の復権』で、後には松本清張をテーマにゲンロンカフェで共演して以来、3度目の対話になる。

ゲンロンカフェで松本清張イベントに出ます(6/2)|與那覇潤の論説Bistro
お世話になっている五反田のゲンロンカフェで、作家の松本清張をめぐる鼎談イベントに出ます。夜開催が多い同カフェですが、今回は6/2(日)15:00~の開催。「帰りが終電!」「むしろ朝まで?」の心配はご無用の、健康的なイベントです。公式サイトはこちらから。 オリジナルの選集『時刻表を殺意が走る』を編まれるなど、歴史研究者...

今回はともに5月に出た、私の『江藤淳と加藤典洋』と原さんの『日本政治思想史』の内容を交錯させながら、いま、江藤と加藤から戦後史をふり返る意味について、考えている。

原さんと加藤さんは、2000~05年にかけて、明治学院大学で同僚だった。学者になる前に、社会人の体験(それも同じ国会図書館)を持つ点も共通する。お二人の交流の秘話も、今回の読みどころなので、ぜひ広く手に取られると嬉しい。

もっとも江藤と加藤はおろか、もう「戦後史」自体どうでもいいよ、という人も多いだろう。でも、待ってほしい。対談では1985年のデビュー作『アメリカの影』に入っている、加藤さんの論考「戦後再見」(初出は前年)に基づいて、プーチンとトランプとネタニヤフの話をした。

『アメリカの影』(加藤 典洋) 製品詳細 講談社
戦後日米関係の根底を問う鮮烈なるデビュー作。江藤淳の『成熟と喪失』および一連の占領研究を精細に追跡することで、彼の戦後言説空間への強烈な批判意識とその背後に隠されたアメリカへのナイーブな思いとの落差に、戦後社会の変容を読み解き、また、原爆投下を可能とした<無条件降伏>という思想それ自体を問うことで、日米関係の<原質>に...

加藤の「戦後再見」は、日本の無条件降伏を批判的に再検証するものだ。しかし1978年に江藤淳が提起した、「無条件で降伏したのは軍隊のみであり、国家としては無条件の降伏はしていない」といった議論ではない。

いちおう主権国家どうしは対等、というタテマエの世界で、他の国に「無条件で降伏しろ」(=主権を持つことをやめろ)と求めること自体が異常ではないだろうか? それが加藤の問いである。

”主権潔癖症” が招き寄せる第三次世界大戦の足音|與那覇潤の論説Bistro
周知のとおり、6/13にイスラエルがイランを空爆し、交戦状態に入った。ウクライナ戦争と同様に当初、トランプの米国は両者に停戦を求めたが奏功せず、参戦の可能性さえ報じられ始めている。 イスラエルとイラン、攻撃の応酬続く イランは死者220人超と発表 - BBCニュース イスラエルとイランの対立は激しさを増し、...

実際に、米大統領ルーズベルトが枢軸国に「無条件降伏」を求める方針を決めると(1943年1月のカサブランカ会談)、ハルやアイゼンハワーといった外交や軍事の「専門家」は反対した。降伏したらなにをされるかわからない、という状況の下では、かえって相手は降伏しなくなるからだ。

一般には、第二次世界大戦は民主主義の連合国と、全体主義の枢軸国の戦争と見なされる。これに「連合国でも、ソ連は全体主義だろ」と絡む反論も昔からあるが、加藤は違った次元でより痛烈な批判を放つ。

「無条件降伏」は……戦争の ”局外者の存在を許さない” 全領域君臨の完成態であり、そのようなかたちをとった、国家の何の義務も伴わない、他国の国民主権の一方的侵害をも、意味したのである。

一言でいえば、無条件降伏とは、やはり全体主義的、かつ超国家主義的な思想である。

講談社文芸文庫版、186頁
(強調を追加)

ここで、WGIPを発見した江藤淳なら「そうだそうだ。アメリカこそ全体主義だ」と言い出しかねないが、加藤さんがさすがなのは、でも日本人も似たこと考えてましたよね、とすかさずフォローを入れることだ。

楽しく学ぼう! 戦後日本と「WGIP」についてのQ&A|與那覇潤の論説Bistro
3月16・17日の東京新聞/中日新聞に、風元正さんの『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』の書評を寄せました。Webにも転載されたので、こちらのリンクから読めます。 平山周吉さんの『江藤淳は甦える』が「実証史学」的な江藤論だとすれば、風元さんの本は「文芸批評」的な江藤論。ちなみにどちらも、編集者として生前の江藤と面識...

日中戦争でまだ日本がイケイケだった1938年1月、「国民政府を対手とせず」で有名な第一次近衛声明が出ている。蒋介石を主権国家中国の代表とは見なさない、という趣旨だが、いまならプーチンの「ゼレンスキーはもう大統領ではない」、ネタニヤフの「イラン国民は現政権を転覆せよ」と、言いたいことは同じだ。

加藤の調べた範囲では、日本の議会や外務省で、そんな方針は「国際法違反にならないか?」と問う批判は起きなかった。ということは、として、その論は日本がやり返される場面へと続く。

無条件降伏という政策が、その政策立案者の立場から見たより好ましい政権の樹立を目的とし、しかも、その目的達成のためには現政体の徹底的破壊が必要という判断に立って作られていることを考えれば、ここ〔近衛声明〕に現れているのは、それとそのようには違わない考えである。
(中 略)
近衛声明のこうした特異性に何の違和感も感じなかったぼく達が、その後、「無条件降伏」に出会い、これを自然に受けとめたのは、いってみれば当然のことだったのである。

193-4・197頁

これまた、江藤なら「ルーズベルト(米国)はひどい」な話に持っていくところを、「おまえ(日本)もな」で返したわけ。これが、本物の批評です。勝てそうな相手にだけSNSでケンカを売り、「さすがセンモンカ!」と囃されてイイ気持ちなお子様には、一生書けないの。

ウクライナ戦争に踊った「大きな少国民」(『Wedge』連載開始です)|與那覇潤の論説Bistro
20日発売の『Wedge』8月号から、巻頭コラムの連載を担当させていただいています。ずばり、タイトルは「あの熱狂の果てに」。 今日に至る、さまざまな歴史上の熱狂をふり返り、「……でも、いま思うとあれは何だったの?」を省察するのがコンセプト。毎回、写真家の佐々木康さんによる撮りおろしの扉もつきます。 ひと:佐々...

しかしそれでも、なぜルーズベルトが無条件降伏に固執したか、という謎は残る。その答えこそ「原子爆弾」だというのが、加藤の論旨だ。

ルーズベルトやチャーチルらが「原子爆弾の使用が国際法に抵触しないかどうか」を「調査したことを示す証拠」は公表されていない。

しかし米国のこの原子爆弾投下決定に深く関与した人物達のその後の動きは、何より彼らがこの人類史上かつてない規模をもった「火器」の使用に踏みきったことの政治的責任、また「道義的、倫理的」責任に深く捉えられていたことを示すように思う。
(中 略)
ぼくには、無条件降伏政策は、途中で船長を失った船のように見える。

271・274頁(改行を追加)

通常の降伏では「さすがに原爆投下は戦争犯罪じゃないか」という声が、敗戦国から上がる恐れがある。その芽を事前に摘むために、相手国の主権を全否定する「超国家主義的な思想」として、無条件降伏は必要とされた。

ところが主導者のルーズベルトが途中で死んでしまい(1945年4月)、船長を失った結果、本来の文脈を忘れて、戦争では一方の力さえ強ければ「無条件降伏なるものがあり得る」とする概念の亡霊だけが、さまよい出た。

そしてその亡霊は、まさにいま徘徊している。

トランプ氏、イランに「無条件降伏」要求 イスラエルとの軍事衝突続く中 - BBCニュース
アメリカのトランプ大統領は17日、イスラエルとイランの軍事衝突が続く中、「我慢の限界に近付いている」として、イランに無条件で降伏するよう求めた。さらに、イランの最高指導者ハメネイ師の居場所を「正確に把握している」としつつ、「今のところは」殺害するつもりはないとした。
トランプ氏、イラン攻撃を原爆投下になぞらえる 広島・長崎で怒りの声 - BBCニュース
アメリカのドナルド・トランプ大統領が、先週末に実施したイランへの攻撃について、第2次世界大戦の終結につながった広島と長崎への原爆投下になぞらえる発言をし、日本で非難の声が上がっている。

原武史さんの『日本政治思想史』の特徴のひとつは、平成を通じてあまり使われなくなった「超国家主義」の概念を、新たに論じなおしている点にある。それを踏まえた形で、対談では、ここに書いたような話をした。

プーチンもネタニヤフも、もちろんトランプも、これからの戦争で「核を使う」可能性は排除できない。そして幸いに使われなくても、相手の主権の存続すら認めずに終戦へと持ち込む「見えない原爆投下」としての、無条件降伏の思想には、終わりがない。

ロシアが「死者の手」に言及、トランプ氏「脅しがあった」…原子力潜水艦の派遣で圧力
【読売新聞】 【ワシントン=阿部真司】米国のトランプ大統領が原子力潜水艦の派遣命令を明らかにしたのは、ウクライナを侵略するロシアに核戦力を誇示し、圧力を背景に停戦に向けた譲歩を引き出す狙いもあるとみられる。制裁発動の猶予期限である8

『潮』で活字になった部分のうち、それに触れた箇所を最後に掲げる。いまさら戦後80年、ではなく、「いまこそ戦後80年」なのだ。多くの人がもう一度、初心を忘れず考えてみるきっかけに、なってほしいと願う。

與那覇 令和になるや、トランプやプーチンが「それは国益になるのか?」と疑わしい決断を下しても、まさに国家を超えた存在のように指導者を神格化し、礼賛する支持者が溢れていますね。戦時下の日本での「国が滅ぼうが聖戦貫徹」のようなもので、超国家主義こそが他国にも見られる、グローバルな現象になっている。

 とても面白い見方ですね。

與那覇 加藤さんもデビュー作の『アメリカの影』(講談社文芸文庫)に、戦う相手を「国としては対等な存在だ」と認めず、全否定して無条件降伏を強いる発想こそが「超国家主義的」だと書きました。ウクライナや中東の戦争で、いま同じ問題が出てきています。

『潮』2025年9月号、136頁

参考記事:

ゼレンスキー大統領は独裁者なのか: 「戦時下」の日本史から考える|與那覇潤の論説Bistro
日本の国際政治学者による「叩き込み」も空しく、プーチンとの手打ちに前のめりなトランプがゼレンスキーを「独裁者」と呼び、西側諸国で批判を集めている。もともとSNSでも言っていたのだが、2/19には集会の場で公に、ゼレンスキーが「選挙の実施を拒否している」と非難した。 ゼレンスキーは2019年の大統領選(4月に決選投票...
なぜ、悪口や不謹慎にも「寛容であるべき」なのか: 日中戦争からウクライナへ|與那覇潤の論説Bistro
戦後80年を考える著書として、先月『江藤淳と加藤典洋』を出したところ、「この本の著者はヒトラーで、帯を寄せた学者はスターリンだ」という、ものすごい悪口が届いてしまった。それも、著名な評論家からである。 ふつうに考えてイミフだけど、でも、そういった「悪口芸」も含めて言論の自由だから、昨今流行りの民事訴訟ダーも刑事告訴ダ...
プーチンの戦争が終わらせる戦後日本の「曖昧な平和主義」
<勝敗を「曖昧にすること」でウクライナ戦争を終えることは、もはや困難に見える。それは戦後の日本人が冷戦以来ずっとなじんできた、「曖昧さゆえの平和」を大きく揺るがす> 2月にロシアが始めたウクライナ戦争...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。