歴史を忘れた人類は、「刷り込み」に回帰する。

いま通じるかわからないけど、1979年生のぼくらの世代の人は、国語の教科書で「刷り込み」の話を読んだと思う。たぶん出典は、コンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』な気がする。

刷り込み(imprinting)とは、ひな鳥が孵化して「最初に目にした動く存在」を、親だと思い込む現象である。ローレンツはこの発見から動物行動学を打ち立て、1973年にノーベル賞を受けた。

ソロモンの指環 動物行動学入門
孵卵器のなかでハイイロガンのヒナが卵から孵った。小さな綿毛のかたまりのような彼女は大きな黒い目で、見守る私を見つめ返した。私がちょっと動いてしゃべったとたん、ガンのヒナは私にあいさつした。こうして彼女…

2020年代に見えてきたのは、どうやら人間もまた、ひな鳥レベルの知性に回帰しつつあるという事態だ。本noteではおなじみの、センモンカとキャンセルカルチャーを連想すればわかる。

コロナでもウクライナでもいいが、自分が「よく知らない」分野で変事が起きる。だとすると、その分野には「どんな学者がいて、誰が信頼できるのか?」も、やっぱり知らないはずだ。

だけど視聴者は、TVで最初に見かけた「専門家」をなぜか信頼し、ひな鳥のように後をついていく。その人を信じる根拠はTVに出てることだけなのに、「日本のメディアは終わってる! センモンカのこの先生だけが救い!」とか言い始める。マジでイミフである。

キャンセルカルチャーも要は、炎上した瞬間の第一印象だけを永遠に固定して、コイツは世の中から消せ! と噴き上がることで起きる現象だ。東浩紀さん風にいうと、人間の条件だったはずの『訂正する力』の衰えた人が増えて、むしろ鳥類に近づきつつあるわけだ。

ホルダンモリさんのシラスチャンネル(1/8)に出ます。|與那覇潤の論説Bistro
新年の初仕事として、1/8(月祝)の17:00より、ホルダンモリ/翼駿馬さんのシラスチャンネルに出ます(ライブ中継後、半年間はアーカイブあり。番組へのリンクはこちら)。 翼駿馬さんは非常にありがたい『平成史』や『危機のいま古典をよむ』のレビューを書いてくださった方で、ゲンロンカフェのイベント(こちらとか。公開2/29...

どうしたらいいんだろう。本来なら、そこでこそ人文学の出番なはずだけど、最近ぜんぜんダメだからなぁ(苦笑)。

たとえば有名な思想家については、それこそ教科書で習ったりして、誰もが「第一印象」を持っている。しかし、実際に読んでみると、その印象にあてはまらない新たな側面が見えてくる。そちらを論文にすることで、研究が進展していく……というのが、正しい人文学のあり方だった。

むかし教えたから知っているけど、大学の人文系で「できの悪い学生」とは、逆に第一印象のとおりの資料ばかり集めてしまう人を指す。ところが、そんなのが大学で教え出し「ずっと炎上時の印象のままにしましょう!」とキャンセルを煽るせいで、誰も文系の教授を信じなくなった。

歴史学者はいかに過去を捏造するのか:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑩
私はポストドクターを入れると大学院に5年半在籍し、続けて地方公立大学の准教授として7年半教鞭をとったので、通算すれば13年間は「歴史学者」として仕事をしたことになる。その最中から歴史学の教育にまつわる営みが、ひとつ間違えば危険なもの...

5月に出した『江藤淳と加藤典洋』で行っているのも、ふたりの著名な批評家について、これまで知られてこなかったイメージを描き出す作業だ。それには成功したと自負するけど、しかし、そうした「シン・江藤、シン・加藤」が持つ価値を評価してもらうのは、道半ばである。

たとえば加藤典洋さんと聞くと、敗戦の体験を忘れるなとして、「歴史の重視」を説く姿がすぐ浮かぶ。キャリアの最初と最後は、実際にそうだし、ぼくにせよそちらの側面を引くことはある。

歴史と民主主義の戦いでは、民主主義に支援せよ: 30年目の「敗戦後論」|與那覇潤の論説Bistro
3/10の毎日新聞・夕刊に、川名壮志記者によるロング・インタビューを載せていただいています。先ほど、有料ですがWeb版も出ました。 特集ワイド:昭和100年 平成はどこへ 消えた「時代の刷新」 與那覇潤さんに聞く | 毎日新聞 歴史軸を失った私たち  ちまたでは「昭和100年」が話題になるが、へそ曲がりなの...

だけど真ん中の2000年代半ばに、加藤さんは「戦後から遠く離れて、たとえみんなが歴史を忘れても、それでいいよ」と語ったことがあった。歴史は大事ダーな学者は他にもいっぱいいるので、むしろこっちが彼だけの個性だと思うのだけど、これを広めるのが難しい。

メインの論考が、戦後50周年だった1995年に出た加藤典洋の『敗戦後論』は、2005年に初めて文庫になり、15年に現行のちくま学芸文庫版が出た。後者の解説は、伊東祐吏さんという加藤さんと親交のあった方が書いているのだが、

『敗戦後論』加藤 典洋|筑摩書房
筑摩書房『敗戦後論』の書誌情報

この二十年のあいだに、加藤典洋にもいくらかの変化があったように私は思う。ひとことで言えば、加藤の「文学」は錆びたのではないだろうか。

加藤の「文学」は、ウソやゴマカシを拒むとともに、自己中心性を大きな特徴としていた。だが、憲法の選び直しを主張していた加藤は、安倍政権〔第一次〕の改憲が見えてくると、憲法九条を守ることを第一に考えるようになる。これは、”新敗戦後論”と銘打たれた文章(「戦後から遠く離れて」)での主張だが、自らの思想信条よりも、手続き自体を重んじ、そこでのウソやゴマカシを指摘していた頃とくらべると、明らかな後退だろう。

伊東祐吏「一九九五年という時代と「敗戦後論」」
380頁(強調は引用者)

と、ぼくの好きな部分は単に、否定されてしまっている。これは上野千鶴子さんも同じで、先日の対談でも、

同じ本を「違って読める」ときにだけ、その人は自由である|與那覇潤の論説Bistro
発売中の『文學界』7月号で、上野千鶴子さんと対談した。タイトルは、ずばり「江藤淳、加藤典洋、そしてフェミニズム」。ネットでも2つ、PR用の抜粋が出ている(もう1つのリンクは後で)。 「歴史なき時代における『成熟』とは何か?」 與那覇潤と上野千鶴子の白熱対論 | 文春オンライン 戦後を代表する文芸評論家、江藤...

與那覇 戦後なんて知らない、実感ないよという世代が「ふつう」になるのなら、彼らに寄り添って、同じ地点から考えると。
『敗戦後論』では「戦後史上のねじれを自覚せよ」と強調した加藤さんが、十年の時を経て07年にそう書いたのは、いま多数派を占める「歴史なき他者」を予感した助走でもあったと感じます。
(中 略)
上野 
「どこから始めてもいいんだ」とか「自分から始めてもいいんだ」とか書いてましたね。若い人におもねっていると感じました。

『文學界』2025年7月号、101-2頁
(07年は「戦後から遠く離れて」の初出年)

な感じで、うーん、「中期・加藤典洋」を評価する人はこの世にぼくしか居ないのかと、けっこう孤独感を味わったのである。

もっとも、一歩ずつ前進はしている。書店員の倉津拓也さんが、6/22の『京都新聞』に寄せてくれた書評には、

京都新聞書評#4 與那覇潤『江藤淳と加藤典洋』(文藝春秋)|倉津拓也
初出:京都新聞読書面「本屋と一冊」京都文芸同盟、2025年6月22日 江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす (文春e-book) amzn.to 2,000円 (2025年07月22日 23:14時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する ...

都合よくつまみ食いされる断片的な歴史は、他者との関係を作りなおすことの妨げとなってしまう。著者は大胆にも、そんな歴史なら捨てよう、と主張する。むしろ歴史を捨て、べつのかたちで他者との関係を作りなおすことはできないか。

本書によれば、それが批評である。
(中 略)
本書は、テクストを通じて作者という他者の影と対話する姿勢さえあれば、歴史を共有していなくても、他者との関係を作りなおすことができると読者に呼びかける。未来の批評について考えるうえで必読の一冊だ。

と、あって、嬉しかった。

先が遠くても、「第一印象がすべてじゃないよ」と伝える作業を重ねないと、ヒトの脳はますますひな鳥のレベルに退化し、『鳥類化する日本』になってしまう。現にその兆候があることは、これまでも動物行動学を参照しつつ書いてきた。

「感じの悪い人」論: 人類は〈家畜〉から野生に戻るのか|與那覇潤の論説Bistro
このnoteを読むたびに「品位がある・ない」の二択で感想をくれる友人によると、前回の投稿は品位が低めらしい。もっとも同記事は、あくまでSNS上で粗暴な言動を繰り広げる「うおおおお!」な人びとを批判するために模写しているので、その責めを私に負わされても困ってしまう。 しかし、文脈がどうであれ「その瞬間だけ見て嫌だったら...
チンパンジー化する日本人?(2/16にシラス出演します)|與那覇潤の論説Bistro
池田信夫さんが昨年末に出した新刊『平和の遺伝子』を読んだ。全4章のうち3つは、日本通史の形で書かれているけど、その前に置かれた第1章「暗黙知という文化遺伝子」が、本書ならではの魅力である。 平和の遺伝子 - 白水社 強いリーダーを拒む、日本社会の構造この国はなにを失ったのか?  日本社会の同調圧力について抉...

なので今後も、「刷り込まれちゃった人」を元に戻す仕事――次の本になる『専門家から遠く離れて』(仮)と合わせて、気長にのんびりやっていきます。震えて眠ることになる人以外は、ご支援よろしくお願いします。

ある編集者への手紙|與那覇潤の論説Bistro
以下は2024年12月23日に、ある編集者に送ったメールの全文である。とくに返信のないまま1週間が経ったため、目次と強調を附して公開する。 1. 今年を閉じるにあたって 爾来ご無沙汰しています。世界が大きく動いた2024年も終わりつつありますが、どうお過ごしでしょうか。 ご存じかどうか、米国では今年、議会が20...

参考記事:

歴史を書くとき、ひとは社会をカウンセリングしている。|與那覇潤の論説Bistro
臨床心理士の東畑開人さんが、6/22の読売新聞に『江藤淳と加藤典洋』の書評を書いてくれた。いまは同紙のサイトで、全文が読める。 『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』與那覇潤著 【読売新聞】評・東畑開人(臨床心理士) 戦後史についての本であるけれども、それ以上の本だ。自分は歴史学者を廃業したと記す著 ...
ぼくらは税ではなく、「歴史を無視するコスト」を払い過ぎている。|與那覇潤の論説Bistro
3/29の『朝日新聞』夕刊に、歴史学者の成田龍一先生との対談記事が掲載されました。紙面に入りきらなかった部分も補足して、より充実させたWeb版(有料)も出ています。 訂正(3月31日 22:00) リンク先を、増補された版に差し替えました。 歴史のつまみ食いは陰謀論への道 対談・成田龍一さん×與那覇潤さん:朝...

(ヘッダーはアメリカ精神医学会のサイトより、水鳥の「親」になったK・ローレンツ)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年8月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。