「よその国のせい」症候群の日本は、世界のどこまで堕ちてゆくのか

告知が遅れたけど、先月18日の『朝日新聞』1~2面の特集「米国という振り子」にコメントした。Zoomで取材してくれたのは、滞米中の青山直篤記者で、以前紹介した同氏の『デモクラシーの現在地』は、トランプを理解する必読書である。

道化師たちの日米選挙: なにが「チンドン屋のお祭り」を民主主義にするのか|與那覇潤の論説Bistro
大接戦で勝者の確定に時間がかかる、と目されてきたアメリカの大統領選挙は、あっさりとトランプの当選が決まってしまった。「2016年の雰囲気に似てきた」とする先月の不吉な予感が、遺憾にも当たった形である。 フォークナー『響きと怒り』上・下 | 與那覇 潤 | 文藝春秋 電子版  来月に迫る米国の大統領選挙で、ハ...

コメントの中身はリンクと一緒に、最後に上げるけど、日米関係史をふり返る企画なので、『江藤淳と加藤典洋』の著者としてお声がかかった形である。まぁ、彼らの後を継ぐ正嫡だしね(笑)。

……それはともかく、よい機会なので補うと、加藤典洋の『敗戦後論』(主たる論考は1995年)をめぐる最大の誤読は、江藤淳との関係にある。

歴史と民主主義の戦いでは、民主主義に支援せよ: 30年目の「敗戦後論」|與那覇潤の論説Bistro
3/10の毎日新聞・夕刊に、川名壮志記者によるロング・インタビューを載せていただいています。先ほど、有料ですがWeb版も出ました。 特集ワイド:昭和100年 平成はどこへ 消えた「時代の刷新」 與那覇潤さんに聞く | 毎日新聞 歴史軸を失った私たち  ちまたでは「昭和100年」が話題になるが、へそ曲がりなの...

一般には、拙著でも書いたけど、

それが他者(占領軍)の手で書かれた事実を直視せよと唱える『敗戦後論』の論旨が、江藤的な「押しつけ憲法」への糾弾を連想させたのは事実で、柄谷〔行人〕の参謀役だった浅田彰は「ほとんど江藤淳が『一九四六年憲法――その拘束』(文春文庫)なんかで執拗に論じてきたことのたんなる回りくどい言い換え」にすぎないと、強い言葉で加藤にやり返している。

『江藤淳と加藤典洋』262-3頁
(強調を付与)

といった読み方が、ふつうである。要は、加藤は「江藤淳らの改憲論の側に寝返ったぞ!」とみなされたから、当時は護憲派が主流だった論壇で袋叩きに遭い、キャンセルされかけたわけだ。

だが先入見なしに『敗戦後論』を読むと、妙なことに気づく。まさに江藤淳を主題として論じ、感激した江藤本人が礼状を送った『アメリカの影』(該当部は1982年)に比べて、同書の江藤評価はむしろ異様に辛辣なのだ。

「見えない原爆投下」がいま、80年後の世界を揺るがしている。|與那覇潤の論説Bistro
昨日発売の『潮』9月号で、原武史先生と対談した。病気の前には原さんの団地論をめぐり『史論の復権』で、後には松本清張をテーマにゲンロンカフェで共演して以来、3度目の対話になる。 今回はともに5月に出た、私の『江藤淳と加藤典洋』と原さんの『日本政治思想史』の内容を交錯させながら、いま、江藤と加藤から戦後史をふり返る意味...

具体的に引くと、

これを指弾する江藤は、河上〔徹太郎と〕同様、「清く潔白」な存在を善とし、それを自説の背骨としている〔が〕……彼自身汚れから自由であるはずのない江藤の「清く潔白な」観点からする「汚れ」の断罪は、むしろ完全に転倒しているという印象をぬぐいがたいのである。

ちくま文庫版、88-9頁
後日、現行の版に差し替えます

な感じだし、また江藤が昭和天皇の死後、福沢諭吉の論説を根拠にその無答責を主張したのを、

江藤の論は、天皇をまったく人倫の外におくことで、表面上、これを無実化するビホウ論であり、これ〔福沢〕の逆をいく。……いわば、世界を敵に回した天皇擁護論であり、福沢の「帝室論」と正反対の、戦後の天皇信奉の完全な破綻の図といわなければならない。

同書、303-4頁

と酷評してもいる。つまりボロカスである。

なぜ、そうなるのか。先月ご案内した、江藤と加藤を「転向論」として読みなおす拙稿に、ずばり答えを書いておいた。

なんどもやってくる鮫島伝次郎のために|與那覇潤の論説Bistro
このnoteで以前告知した、三鷹の書店UNITEでのイベントを、来聴した毎日新聞の清水有香記者がネットの記事にしてくださった(冒頭のみ無料)。短縮版が、8/25の夕刊紙面にも載るらしい。 24色のペン:参政党躍進の裏にある「歴史の消滅」 與那覇潤さんの憂い=清水有香 | 毎日新聞  歴史が消えた。  あの戦...

江藤は日本人よ、GHQによる精神の支配から自立して「父となれ」と煽るが、それを言うのは本人こそが、自分の転向をアメリカという父親に「強いられたせい」にしたいからだ。戦後に再出発する際、鮫島伝次郎にはなるまいと誓ったはずの初心を、江藤は忘れているとする批判である。
(中 略)
転向なしでは生きられなかった日本人としての過去を、「ごまかすな」と説いてこその江藤淳だったのに、本人が率先して責任を転嫁しているじゃないか。そんな加藤の苛立ちは、95年の評論「敗戦後論」で頂点に達する。

美術の窓』9月号、74-5頁

という次第である。つまり日本の “自立” と言うとき、憲法・軍備・外交とかばかりが云々されるけど、それ以前に自国の体たらくを「よその国のせいにしない」って態度こそが、第一歩じゃないのかよ!? ってことだ。

この加藤の苛立ちから30年を経て、いま同じ問いは、ぼくらにとってますます深刻である。

2010年に民主党の鳩山政権が基地問題で倒れ、11年に福島第一原発事故が起きてしばらく、対米従属論のブームがあった。要は基地にせよ、原発にせよ、「アメリカのせい」でこうなってるんジャン、というわけだ。

一方、2014年にオール沖縄県政が発足すると、こんな選挙結果は「中国のせい」みたいな話が、自民党の熱烈支持層から飛び出した。もっとも当時はあくまで、まぁテキトーな陰謀論ってありますよね、くらいの扱いだった。

ところが2025年となるや、自分が推さない政党が伸びるのは「ロシアのせいだ!」と、大学教授が真顔で叫び散らしている(笑)。軍事大国とはいえ、米中よりだいぶ格下の国にまで、日本は操られてるみたいっすね。自虐史観なの?(苦笑)

選挙の情勢を「外国のせい」にする人こそ、民主主義の脅威である。|與那覇潤の論説Bistro
今年の1月に出た『文藝春秋』では、浜崎洋介さんとこんな議論をした。2024年末にルーマニアで極右候補が躍進した大統領選挙を、「ロシアの工作だ」として無効にする事件を受けてのことだ。 浜崎 外国からの政治干渉というのは、政治的には当たり前の話ですよ。だから干渉されないように防衛するんですが、でも、実施された選挙自体...

ところが、まだまだ止まらない! 先月にはご存じのとおりの「ホームタウン騒動」があって、ついに日本政府は、ナイジェリアに操られてるとかまで言われるようになってしまった(涙笑)。

それさぁ、もう国として底辺じゃん。ニジェールとかチャドとか、その辺なの?(同国の人、ごめんなさい)

「JICAアフリカ・ホームタウン」に関する海外メディア等の報道について外務省やJICA、自治体が「移民政策ではない」と否定「一度白紙に戻すべきでは」との声上がる
【三条市が認定されました!】 横浜での「JICAアフリカ・ホームタウンサミット」で、市長が登壇🌍🪷 このたび三条市は、JICAから「ガーナのホームタウン」に認定されました。 パネルディスカッションでは、ガーナと三条市の交流ビジョンを共有し、地域と国際協力の可能性を語りました✨✨ #三条市

自分の国がぱっとしないことの責任を、自ら背負う姿勢を欠くかぎりで、日本の地位はどこまでも堕ちてゆく。加速するのは「私は正しい。悪いのはあの国!」とばかり言い張り続ける、ニセモノなセンモンカの存在だ。

偉大な批評家だった江藤さん、「あなたもそうなりかけてますよ?」と、戦後50年の節目に加藤典洋は述べた。そこから30年でより広がった、悪い意味の “江藤淳症候群” からどう抜け出すか。それが後を歩む者の課題だろう。

『朝日新聞』の日米関係特集に寄せた、ぼくのコメントは以下のとおり。多くの人がいま同じ自覚を持って、まずは言論の世界から、まともな国へと立ち直らせる手助けをくれるなら嬉しい。

トランプ再来、曲がり角の「吉田路線」 対米依存の「先」を描けるか:朝日新聞
■「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編⑤ 敗戦後の日本でダグラス・マッカーサー元帥と主に相対したのは、のちに首相となる吉田茂(1878~1967)だ。 吉田は外相だった1945年9月、連…

江藤を研究してきた歴史家の與那覇潤氏は「江藤の主張は戦後日本の欺瞞の告発としては強いが、『ではどうすれば』という代案は弱かった。自分の国は自分で運営するという民主主義を支える感覚よりも、『どうせ米国に決められている』と責任転嫁した方が楽だといった発想がなかったか、江藤だけでなく私たちも問われている」と話す。

紙面での掲載は2025.8.18

参考記事:1つめは、朝日記事の前半部

「家父長」マッカーサーに食い下がった男 経済重視へ路線転換の裏側:朝日新聞
■「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編④ 老境を迎えたダグラス・マッカーサー(1880~1964)は歓声と音楽に迎えられ、オープンカーで通りを進んだ。 対日戦争を率いた米陸軍元帥。日本の…
ウクライナ浪漫派の耐えられない猥褻さ|與那覇潤の論説Bistro
今年に入って2回、お会いした相手から「江藤淳のこの文章、いまこそ大事ですよね」と切り出されて、驚いたことがある。ひとりは『朝日新聞』で対談した成田龍一先生で、もうひとりはいまアメリカで取材されている同紙の青山直篤記者だ。 文章とは、江藤の時評で最も有名な「「ごっこ」の世界が終ったとき」。初出は『諸君!』の1970年...
父にならず「持ちこたえる」ことが成熟である。:『江藤と加藤』イベント告知!|與那覇潤の論説Bistro
「アゴラ」の池田信夫さんが声をかけてくれて、『江藤淳と加藤典洋』をめぐり行った対談が、早速公開されている。その末尾で『成熟と喪失』を主著とする江藤よりも、ほんとうは加藤の方が「成熟」していたんじゃないか、という話をした(31:00頃から)。 與那覇 なにが成熟なのかって江藤淳が〔『成熟と喪失』を書いた〕67年の...

(ヘッダーは、ナイジェリアの海上スラム・マココ。Foresightのルポより)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年9月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。