「石破茂首相の辞意表明で日本は救われると思う7つの理由」が好評だったので続編である。

① 石破首相が会見で「どうしたら良かったのかな、と思う」といったそうだ。そんなことは分かりきっている。「安倍さんにこれまで申し訳なかったと反省している」と最初に言うべきだったし、「総理になって改めて安倍さんのご苦労がよくわかって申し訳なかったと思う」と言うべきだったのだ。
さんざん、小早川秀秋のようにいざ決戦というときになると背後から弾を撃ってきた。単なる謀反とか批判ではなかった。小早川秀秋は、徳川家康や東軍の諸将からも馬鹿にされ、筑前から備前に移ったのも栄転ですらなかった。
結局、批判に耐えられず酒に溺れて狂死同然だった。せめて反省し、清和会いじめをやめ、村上誠一郎などを重用しなかったら選挙にも大負けしなかったし、あと一年くらいはできただろう。

石破首相と村上総務相 首相官邸HPより
② 石破首相は総理として何も業績を上げなかったが、何もしなかったわけではない。それは、安倍晋三と清和会への恨みを晴らすことだけはやった。しかし、やったのはそれだけだ。
恨みを晴らすなどということには封印して仕事をすべきだったが、個人的劣情を国に尽くすことより優先したということだ。
③ 石破父子は父親の代から60年間、鳥取県を牛耳ってきた。地方創生大臣もやった。その結果は評価できるものなのか。それでいて島根との合区になって文句を言っていたが、それは幼稚な隙間狙いのふるさと創生路線がナンセンスなものだった結果だ。
にもかかわらず総理になっても間違った路線の深化しか言わなかった。どんな明白な間違いをしても間違った自覚も謝罪の気持ちもない人間に政治を委ねることは、この国を蟻地獄に落とす亡国の判断だった。
④ 石破首相は日米首脳会談では短時間にして、外務省高官が周りを固め、安倍さんの通訳をつとめた外交官が安倍さんと似たニュアンスに微妙に軌道修正して乗り切った。しかし、本来なら首相が出て行くべきところに一回しか出なかった。
そしてサミットなどマルチの会議では、本来はない個室を無理筋でつくってもらってそこに逃げ込んだり、別の時間にすればいいフジモリ大統領の墓参りに行くといって会議場を逃げ出したり、みんなが談笑している間から議場に一人で座ってヘッドフォンを着けて話しかけられないようにしたり醜態を続けた。いまのご時世でタバコを吸わないと禁断症状を起こすような人に首相の資格はない。
これからは、国際舞台に出せるかどうかを首相選びの第一条件にしてもらわないと国益が守られない。
⑤ 党所属議員が落選するのは、本人の日常活動が足りないからで首相の責任でないという愚か者がいる。そういう人は、経営者が従業員を4割削減するときに、解雇された人に日ごろの頑張りが足りなかったせいだとして、経営者を責めるなと批判するような人である。
⑥ 高市さんは「安倍さんより右には行かない」と言えばいいだけだ。そこがはっきりしないのが不安だ。そう言えば、公明党だって嫌がる理由がない。だいたい、衆参両院でどちらも過半数がないのだから右に行けないのは現実なのだ。若いときから知っているが別に右翼的な人ではない。
【関連記事】








